卓球レポート2007年1月号掲載インタビュー

卓球レポート 2007年1月号 掲載 インタビュー 別所キミヱ “今は、卓球のことしか考えられない”

. ntervzew カラーインタピュー■別所キミヱ 093 January 果 敢 な ロ ン グ サ ー ビ ス 。 着 実 なラケットさばき。チャンスを狙い澄ます目。力強い左腕。機敏な動き。11月11ー12Bに行われた第7回日本障害者選手権大会で見せた別所キミヱのプレーは、日ごろの努 力 の 跡 と 、 こ れ か ら の 可 能 性 を 漂 わ せ て い た 。 58 歳 の 別 所 は 、 若 い 選 手 や 卓 球 経 験 の 長 い 選 手 を 打 ち 負 か し 、 車 い す 女 子 の 種 目 で 堂 々 の 2 冠 を 獲 得 し た 。 勝 利 の 瞬 間 、 別 所 は 喜 び に 酔 う りん こ と な く 凛 と し て 、 瞳 に 強 い 光 を宿していた。別所の関心は、手にし た ば か り の 勝 利 の 喜 び を 飛 び 越え、すでに次の段階へ向かっていた の だ ろ う 。 戦 術 の 成 果 や 技 術 的な課題を、頭の中で1つひとつ確認しているかのようだった。1 9 8 7 年 ( 昭 和 62 年 ) 10 月 。 へされさ そ れ は 、 ま さ に 晴 天 の 霜 継 だ っ た 。別所は、夫と2人の息子に囲まれ 、 穏 や か な 家 庭 生 活 を 送 っ て い た 。 家 族 全 員 が ソ フ ト ボ ー ル や バ レ ー ボ ー ル な ど の ス ポ ー ツ に 親 し み 、 地 域 の 自 治 会 役 貝 も 務 め る など、明るく活動的な一家だった。だが、最愛の夫が突然この世を去 っ た の だ 。 43 歳 の 若 さ だ っ た 。 「 あ る 晩 、 頭 痛 を 訴 え て 病 院 へ 。 そ の ま ま 帰 ら ぬ 人 と な っ て し ま い ま し た 。 く も 膜 下 出 血 で し た 。 あまりにもショックで、しばらく何も考えられませんでした」* 別所は悲嘆にくれた。だが、高校3年生、1年生の息子のために強 く な ら な け れ ば と 思 い 、 徐 々 に 悲 し み を 乗 り 越 え て い っ た 。 平 穏 な 日 常 を 取 り 戻 し 始 め た ころ、再び悪夢が襲う。別所は腰から足にかけてしびれを覚えるように な り 、 や が て そ れ が 激 痛 に 変 わ せ ん こ つ き ょっていったのだ。病名は、仙骨巨細胞腫。仙骨(尻のあたりにある骨)にできたガンだった。1 9 9 0 年 ( 平 成 2 年 ) 2 月 、 手 術 が 行 わ れ た 。 手 術 は 大 量 の 輸 血 を 必 要 と す る 。 あ ら ゆ る 知 人 に 事 情 を 訴 え る と 、 別 所 に 血 液 を 提供するために60人が駆けつけた。腫瘍の摘出と骨の移植を行う26悶頭 の中 には も の 大 手 術 は 無 事に終了した。「 リ ハ ビ リ を し な が ら 、 早 く 8 常 生 活 に 戻 る こ と だ け を 考 え て い ました。痛みは少し残っていましたが 、 歩 く こ と も で き ま し た し 、 喜びでいつばいでした」だ が 、 そ の 1 年 後 、 さ ら な る 悪夢が襲った。巨細胞腫の再発。しかも、腫瘍の大きさは赤ん坊の頭ほ ど に な っ て い た 。「そのころには痛み止めの注射も効 果 が な く な り ま し た 。 体 の 置 き場所がないくらい苦しくて。気持ち も 不 安 定 で 、 周 り の 方 に ご 迷 惑をおかけしていたと思います」1 9 9 1 年 ( 平 成 3 年 ) 3 月 、 車 い す で の 第 1 歩2度目の手術が行われた。1度目の手術よりも大がかりで、輸血のた め に 集 ま っ た の は 80 人 。 手 術 は 困 難 な も の で 、 長 時 間 に お よ ぶ こ と が 予 想 さ れ 、 院 内 で は 輸 血 者 の た め の 炊 き 出 し が 行 わ れ た 。 手 術 に あ た っ た 医 師 は 20 人 。 様 々 な 科の専門医に加え、同じ症例に詳しい 医 師 が 海 外 か ら 来 H し 、 万 全 の体勢がとられた。手 術 の 内 容 は 、 足 の 骨 を 腰 に 移植し、プレートで固定するというも の 。 途 中 、 別 所 の 心 臓 は 2 度 も停止したという。憔悴し切った医師 団 が 手 術 室 か ら 現 れ た の は 、 何と34時間後のことだった。手 術 は 無 事 に 成 功 。 別 所 は 一 命 を と り と め た 。 し か し 、 命 と 引 き か え に 、 別 所 は 両 足 の 神 経 を 失 った。43歳だった。手 術 後 6 カ 月 間 は 病 院 で 寝 た き り の 状 態 と な っ た 。 激 痛 は 治 ま ら ず 、 来 る 日 も 来 る 日 も 痛 み 止 め の 注 射 を 打 た ね ば な ら な い 。 苦 し い 、その一語に尽きる状態だったが、別所は少しずついろいろなことをやり始めた。「 将 来 の こ と を 考 え て 、 い ろ い ろ 工 夫 し ま し た よ 。 寝 た き り の ま まで編み物や刺しゅうもしましたし、手の力をつけるため、ベッドに タ イ ヤ の チ ュ ー ブ を 結 び つ け て引っ張るトレーニングもしました 。 婦 長 さ ん か ら は 「 よ く ア イ デ ア が 浮 か び ま す ね え 』 と 言 わ れ ました」や が て 、 別 所 は 晴 れ て 退 院 。 懐かしいわが家に帰った。とはいっても、現実は簡単ではなかった。何 も か も が 元 通 り の わ が 家 な の に 、 自 分 だ け が 元 通 り で は な い 。 車 い す の 自 分 を 受 け 入 れ る こ と ができず、別所の気持ちは沈んだ。近 所 の 人 た ち に 車 い す の 姿 を 見 ら れ た く な い と 思 う と 、 外 出 す る 気分にはなれない。おまけに、痛みが激しく、車いす「 死 」 が 渦 巻 い て い た 閾 っ て い る こ とさえ苦痛というほどの状態だった。そのため、どうしても常に寝ていることになってし ま う 。 頭 の 中 に は 「 死 」 が 渦 巻いていた。だが、自宅を見舞って励ましてくれる人たちに勇気づけられ、別所の気持ちは変わっていった。「 車 い す に 座 っ て い る た め の ト レーニングとして、手芸品をつくるよ う に な り ま し た 。 車 い す に 座 る の も 痛 い 状 態 で し た が 、 手 芸 に 熱中していると痛みを忘れられます。そうやって座っていられる時間 を 少 し ず つ 長 く し て い き ま し た 。 そ の う ち 、 友 人 の 紹 介 で 作 品をお店に置いていただけることになったんです。こうなると、つくる の が 楽 し く な っ て 、 外 出 も 以 前 ほ ど 苦 に な ら な く な っ て い っ た から不思議ですね」そんな折り、別所は偶然、新聞記事で障害者のスポーツが存在することを知った。そこで、早速障害 者 の 支 援 施 設 を 訪 れ た 。「もっと外に出て交流しなくてはと考えるようになり、そのためのきっかけ と し て ス ポーツに取り組c J んでみようと思いました。、初めに目にし]i『r]1j[対1す。ただ、私一の場合は腰にプレートが入っ て い る た め 、 あ ま り 激 し い 衝 撃 を 受 け る と 危 険 で す 。 い ろ い ろ なスポーツを検討し、自分の体の状態に1番合っている卓球を選ぶことにしました。週1回の練習が本当に楽しかった」このころから、別所は人生に対して積極性を取り戻していく。卓球を始めて1年ほど経過したころ、別所はチームを結成した。夢を 持 ち た い と 願 い 、 チ ー ム 名 は 変化

ス ポ ー ツ そ れ 自 体 へ の 関 心 よ り も、外出することを目的として始 夢のために めた卓球だったが、別所の中でそ の位置づけは次第に変化していっ た。 レク リエ ーシ ョン とし ての 卓 球 か ら 、 勝 っ め の 卓 球 な っ て いっ たの だ。 「 上 達 す る の が 楽 し く て 、 い ろ い ろ工 夫し まし た。 自宅 の鴨 居か ら 糸でピン球をつり下げて回転をか ける 練習 をし まし たね それ から 、 そ の ピ ン 球 に 数 字 を 書 い て く る < る回し、数字を読み取ることもし ました。これは、動体視力を鍛え る訓練です。工夫するのが大好き な ん で す よ 。 就 職 す る と き は 、 『絶 対に 卓球 をし たい から 、火 耀 日は必ず休ませてください』とい 「ド リー ム」 。 そし て、 大 会に 参加 し たり 、自 分 lぃ ぃ 汀 刀:[ ん で い っ た 。 ま た 、 練 習 場 へ 通 う のに人の手を借りてばかりはいら れないと考え、自動車学校へ。典 型的なペーパードライバーだった 別所は上手に運転をこなすように なり、車を購入した。車を運転し ていると、別世界いるよう幸 福感とわくわくする気持ちが高ま る。 する と、 今度 は社 会 出て 働い てみ よう とい う意 {H - っA、 i芦 わ心 ug叫 なり 。 欲が 出て きた 。そ こで 兵 庫県立障害者高等技術専門学院を 受験し、見事合格。1年かけて専 門 的 な 技 術 を 身 に つ け た 。 そして、1995年 (平成7年)、 別所はu c c 上島珈琲株式会社の グ ル ー プ 企 業 で あ る ユ ー シ ー シ ー フードサビスシステムズ株式会 社に入 社。現在も神戸市役所24階 にあるカフェに勤務している。車 いすに座ることさえできなかった と こ ろ か ら 、 職 に 就 い て 自 立 す る に 至 っ た の で 。 う条 件で 入社 させ てい ただ きま た。そうすると正社員としての雇 用で はな くな りま すが 、私 にと っ ては収入よりも卓球の方が大事な ん で す 」 その情熱は、全国大会に出場す る こ と で 一 層 燃 え 盛 っ て い く 。 「施 設の 方に 勧め られ 、全 国大 会 に出 場し てみ ま した 。今 思え ば、 このころに意識が大きく変わった のか もし れま せん 。地 域だ けで は 競技レベルでプレーしている選手 はそ う多 くあ りま せん が、 全国 大 会に出たことで刺激を受け、H標 ができました。勝てないのは基本 が駄目なのかなあ思い、基本を とことんやり直しました。 そして、 今 ま で と 違 っ た 練 習 場 も 探 す よ う になりました。生活の比重がどん どん卓球に移っていったんです」 こう した H々 を何 年も 続け 、別 所は 全国 大会 で成 績を 挙げ るほ ど の腕前になっていった。200ー 年(平成13年) に日本障害者選手 権 大 会 で 初 優 勝 す る と 、 そ の ま ま 4 連 覇 。 国 際 大 会 も 出 場 す る よ う に な っ た 。 こ こ で 、 別 所 は 大 き な決意をするパラリンピックを 目指すことに決めたのだ。 「アテネパ ラリンピックを 目指そ うと 決意 しま した 。 パラ リン ピッ クが私の夢になったんです」 に何百万円ものお金が必要になり ますから、それであきらめざるを 得ない選手もたくさんいます。で すが、私がパラリンピックを目指 していることを知ると、知人が 『返すのはいつでもいい 』と多額 のお 金を 貸し てく れま した 。 今、 少し ずつ して いる とこ ろで す」 国際大会のために必要なものは お金だけではない。年間に8度の 海外遠征となると、仕事との両立 は不 可能 に近 い。 仕事 と収 入を 取 るの か、 夢を 取る のか 。意 を決 し た別 所 、辞 職を 申し 出た 。 「パ ラリ ンピ ック を目 指し たい か ら、 仕事 を辞 めさ せて くだ さい と き い 。 人 の 温 か み も 、 挑 戦 す る 気 持ち も、 足の 自由 を失 って から わ か り ま し た 」 8度の 国際大会 の半数におい て、 別所 はあ るチ ャレ ンジ を試 み た。それは、自分に最適な用具探 し。8度の大会、別所は8度とも 違う ラバ ーで 挑ん だの だっ 「 用 具 の 微 妙 な 違 い が わ か る よ う になってきたので、自分に1番合 うラ バー を探 そう と思 った んで す。 試さずにあれこれ悩むよりも、 試 し て 駄 目 だ っ た ら ま た 違 う 手 を 考 え れ ば い い 。 私 は 常 に そ う 思 っ てい るん です 。チ ャレ ンジ 精神 は 旺盛な方かもしれませんね。職場 でも 『別 所さ んの まね はで 卓球のためなら ど、こへだって行きたい きへんわ』と、よく 言われ ます (笑 )」 とてつもない勇気である。しか も、 別所 はこ のチ ャレ ンジ を み な が ら 、 コ ン ス タ ン ト に 成 績 を 挙 げた。 8度の大会の半数において、 別所 はク ラス 別個 人戦 で3 位以 内 パラ リン ピッ ク出 場権 の大 部分 は 、 世 界 ラ ン キ ン グ 上 位 者 に 与 え られる。日本国内でどれだけよい 成績 を挙 げて も、 他界 ラン キン グ の 上 位 に 入 ら な い 限 り 、 パ ラ リ ン ピ ッ ク ヘ の 道 は な い 。 世 界 ラ ン キ ン グ を 上 げ る た め に は 、 国 際 大 会 に 何 度 も 出 場 し て 好 成 績 を 収 め る こと が必 要だ 。 2003年(平 成15年)、別所 は 8 度 の 国 際 大 会 に 出 場 し 。 「H本の障害者 の場合、国際大会 への出場は、一部の大会を除いて すべて資金を自己負担し なくては なり ませ ん。 渡航 費や 滞在 費だ け でなく、参加費も自己負担。年間 言ったんです。国際大会に出たか らといって、パラリンピックに出 ら れ る 保 証 は あ り ま せ ん 。 で も 、 夢は 絶対 にあ きら めた くな かっ た ん で す 。 す る と 、 会 社 の 方 々 は 『夢 をあ き め こと はな い。 会 社に 残っ たま ま、 夢を かな えれ ば いい。勤務するのはーカ月に1\ 2回 でも 構わ ない 』と 言っ てく だ さっ たん です 。職 場の みな さん に も迷惑をかけましたが、理解して いただき、本当にありがたいこと です。私は足の自由を失いました が 、 そ れ 以 上 に 得 た も の の 方 が 多 いと 思っ て ます 。失 った 悲し み より も、 得た 財産 の方 がず っと 大 � � ,f r , 1 , January 094

olor fnierview カラーインタビュー 別所キミヱ ♦別所キミヱ●ぺっしょきみゑ 1947年12月8日生まれ。広島県出身。 現在、 兵庫牒在住。卓球の登録は香 川惧。パタフライ・アドバイザリースタッ フ。日本障害者選手権大会5回優勝。 障害者ジャバンカップ2回優勝。 2004 年アテネパラリンピック出場。 現在、 世 界ランキング13位。2008年北京パラリ ンピック出場のため、 世界ランキング10 位以内を目指す。 卓球に注ぐ情熱と、 快活で面倒見のいい‘‘ 関西のお母さ ん”といった人柄で慕われている 095 」anuary パラ リン ピッ ク出 場と いう 夢を かな えた 別所 。 だが 、大 会を 終え ると 、「 もう 1度 パラ リン ピッ ク で戦 いた い。 そし て、 メダ ルを 取 りた い」 いう 気持 ちが 膨ら んで いっ た。 別所 の夢 は第 2ス テー ジ へと突入した。 「 皆 見 信 博 さ ん (バ タフ ライ ・ア 卓球 を中 心に 生活 に入 賞し た (優 勝1 回、 2位 1回 、 3位 2回 )。 そし て、 世界 ラン キ ング8位を獲得し、アテネヘの切 符を つか んだ ので ある 。 20 04 年( 平成 16年 )9 月、 別所 は夢 のパ ラリ ンピ ック の舞 台 に立 った 。予 選は 4名 ずつ のリ ー グ戦 で争 われ る。 別 所は 、難 敵の 中国 選手 を斜 した 。し かし 、メ キ シコ 選手 、チ ェコ 選手 に敗 れ、 1 勝2 敗。 同じ く1 勝2 敗の メキ シ コ選手と並んだが、ゲームカウン トの 差で 別所 が 予選 敗 退と なっ た。 少し の差 の重 みを 痛感 させ ら れる 、悔 しい 敗北 だっ た。 ドバ イザ リー スタ ッフ ) には 『も っと 頭を 使え 』と 言わ れる んで す。 『自分で考えなければ 駄目だ』っ て。 それ で、 自分 の卓 球を 振り 返 り、 スタ イル を少 しず つ変 えて い ます。以前は、とにかく打ちまく るよ うな 卓球 でし た。 けれ ど、 む きになって打たなく ても、軽く払 うだ けで もポ イン トに なる こと に 気づ いた んで す。 昔の 私を 知っ て いる 人に は『 うま くな っ たね 』と 言わ れま すが 、や っば りま だま だ ですね。課題が次々に見つかって、 卓球は本当に難しいですね。でも、 だからこそおもしろい」 そう 語る 別所 は現 在、 まさ に卓 球を中 心に据 えた生活をしてい る。 むし ろ 、生 活の 中で 、卓 球か ら完全に離れている時間は存在し ないといってもよいだろう。仕事 と両立しながら行う練習は週に6 日。 1日 に2 カ所 の練 習場 をは し ごす るこ とも ある 。練 習の 拠点 は、 自 宅 の あ る 明 石 市 を は じ め 、 神 戸 市、三木市、加西市、姫路市にま でお よぶ 。姫 路市 なる と、 仕事 を終えてから車 で2時間近くかけ て練習に向かうの だ。時には香川 県まで足を伸ばすこともある。 「み んな 驚き ます が、 私に とっ て は全然苦ではありません。練習さ せてもらえた り、アドバイスをも らえ たり する のな ら、 どこ へだ っ て行 きた いと 思っ てい ます 。そ れ ぞれの練習場によって、得られる もの が違 うん です 。 国際 大会 で最 も多 いツ ブ高 ラバ ーで 相手 をし て くだ さる コー チも いれ ば、 姫路 の TT Sタ カハ シさ ん のよ うに 健常 の方が車いすに乗って相手をして くだ さる とこ ろも あり ます 。立 っ てい る選 手と すの 選手 で は球 筋が全然違いますから、とてもあ りがたいです ね。「会う人、皆 わ が 師 な り 』 で す 」 障害者ジャパンカ 1旦`§泣W, 王 ニッ プで 19 連 覇 中 の 岡 三紀彦 (バ タフ ライ ・ 戸一ヽ {詈 .ア ド バ イ ザ リ ー ス タ ぷ茎A ツ フ ) は 、 別 所 を ユ 〖『f`[lモ ア 交じ りに こ う 竺 r 置評す 。「 別所 さん は本 {ご 』: 警A 当に 人間 が でき てい 言 :`贔雪ま す 。 で も 、 別 所 さ i r: ^ふク んとの長時間の練習 は'絶対にお断り(笑) 。 .門 \ーー な ぜ なら 、 こ ち ら の □ 皇体 がも た いか ら。 ょ怠 畜、あ の人 は 本 当 に よ く " i雫そ -ミ ] 練 習 し ま す 。 合 宿 な 叫叫 閾t ]] い 卓球への取り組みは、練習時間 だ け に と ど ま ら な い 。 仕 事 中 も 、 少 し で も 手 が あ け ば 腕 力 や 握 力 の ト レ ー ニ ン グ を 行 っ て い る と い う。 反射 能力 や判 断力 を高 める た めに 、脳 の トレ ーニ ング も工 夫し 別所の好きな言葉は 「慌てず、 焦らず、あきらめず 」だ という。 強い意志によってその言 葉を実行 しているのかるいは、マグマ が 吹 き 出 さ ん ば か り の 活 火 山 の よ うに 、積 極的 な気 持ち が内 面か ら わき 上が って いる のか 、い ずれ に せよ 、別 所は 「あ きら め」 とい う 言葉から驚くほ どかけ離れてい る。 卓球 の こと しか 考え られ ない 。 こと もなげにそ う断言する別所 は、神々しいまでのエネルギーを 辺り一面に発しているかのようだ った。* て い る 。 「私 は、 1つ のこ とを 思い 込ん だ ら 、 そ の こ と し か 見 え な く な っ て しまう性格なんですよ。今は、卓 球のことしか考えられない」

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