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指導者インタビュー 三田村宗明
「今、すごく燃えているんです」

 偶然の出会いがきっかけで世界が広がる時があるなら、三田村宗明(みたむら むねあき)にとっては今がその時なのかもしれない。指導者として決意を新たにしたという三田村は、こう言い切った。

「今、すごく燃えているんです」

 現在、三田村は龍門卓球場を拠点に主として子どもたち(リトルキングス)の指導を行っている。その三田村の来歴を振り返ると、2000年、青森山田高校3年生で世界卓球選手権アイントホーフェン大会(個人戦)に出場し、プロ選手に。2001年、青森大学1年生で世界卓球選手権大阪大会の個人種目に出場。その後、ベルギーに渡り、シャルロワというチームで腕を磨いた。当時、シャルロワにはサムソノフ(ベラルーシ)、プリモラッツ(クロアチア)、J.セイブ(ベルギー)らがおり、世界クラブ選手権大会では中国チームをも倒して世界一に輝いていた。大学卒業後は日産自動車で活躍。全日本卓球選手権大会では6年連続でベスト8入りという成績を収めていたが、たび重なるけがに苦しみ、2009年に選手として第一線から退いた。

「実業団選手をやめて、リトルキングスで蛭田正文監督(故人)の下でコーチとして指導に関わらせてもらうことになったんですけど、正直、この時はめっちゃ燃えていました。時間に関しても、完璧とはいかなくてもそれに近い形で自由に時間を使って、朝練をやったり、合宿をやったり、とにかく燃えていました。子どもたちの頑張りを後押しすることが面白かったし、才能ある選手もいて、とてもやりがいを感じていました」

経営という現実

 だが、三田村は、情熱だけでは片付けられない現実に直面することになった。

「2015年、龍門卓球場を開いたタイミングで監督になったんですけど、ここから、やりがいだけでは済ませられない現実にぶつかりました。蛭田監督の下でコーチをしていた時は、経営に関する気苦労はありませんでしたが、自前の卓球場を経営するようになって、自分の経営力のなさから、限界を感じるようになりました。
 例えば、強化のための遠征など、やりたいことがあっても、それをやると経営が立ち行かない。だからといって、子どもたちの親御さんに負担してもらう(月謝を上げる)ことは、絶対にしたくないんです。では、どうすればいいのか。それで、自分ができる限りのところは負担すればいいと思った。自分の時間を差し出せばいいと思った。でも、それにも限界がありますよね」

 インタビュー中、三田村はシャツの袖をまくって右肘を見せてくれた。10月に手術した右肘は、まだ可動域が十分に回復しておらず、痛みも続いているという。自分が負担すればいい......そんな思考がオーバーワークを招いたのではないかと、心配になった。だが、そんな心配をよそに、三田村の表情はとても明るかった。

「新たにスポンサーになってくださる企業が現れたんです。だから、今まであきらめかけていた活動をやっていこうと思います」

「日本代表選手を育てたい」

 2019年の夏、大会会場の観覧席に座っていた三田村の背後で、ささやく声が聞こえた。「......ミタプロじゃね?」「うわ、YouTube の人だ」。三田村が振り返ると、声の主は中学生だった。「中学生?」「はい!」「卓球が好きなの?」「大好きです!」「どこかで習っていないなら、よかったら龍門卓球場へおいで」。そんな会話をした。
 人の縁とは不思議なもの。たまたま言葉を交わした中学生を起点にした縁は、スポーツを応援している企業の経営者へとつながっていた。

株式会社TRAILという企業が、2020年4月からスポンサーになってくださいました。用具や大会のための費用など、親御さんに負担させるのが心苦しかった部分を、株式会社TRAILさんがサポートしてくださることになったんです」

 三田村は声を弾ませて、こう続けた。

「僕は、日本代表選手を育てたいという夢があります。日本代表、それも、僕が出られなかったオリンピックの日本代表になるような選手を育てたい。
 けれども、今までは、そのための環境を用意してあげることができなくて、あきらめかけていた部分がありました。でも、スポンサーさんにバックアップしていただいて、あらためて、日本代表選手を育てたいと強く思いました。今の状況(新型コロナウイルス感染症の状況)が落ち着いたら、練習時間をたくさん確保したいし、強化のための合宿や遠征もやりたい。競技人口を増やすための普及活動もやっていきたい。やりたいプランがたくさんあります。
 今のリトルキングスは、"三田村が指導しているチーム"という感じで、子どもたちよりも僕が前面に出てしまっている気がします。でも、主役は子どもたちですから、僕は指導者として、子どもたちが輝けるようにしたい。自分が幸せになるためには、人を幸せにすることが必要だと思うんです。そうじゃなきゃ、幸せは返ってこない。子どもが輝けるようにすることが、僕が幸せになるために必要なことだと思っています」

「僕は壁であり続けたい」

 三田村は2021年1月の全日本卓球選手権大会に出場する。10月に手術した右肘はまだ癒えていないが、三田村は明るく言う。

「主治医によると、12月中にはトレーニングを始められるということなので、全日本までに何とか調子を整えます」

 思い起こせば、三田村は現役時代から何度もけがに苦しんでいた。手首、肘、膝。いずれもオーバーワークが原因だったという。「練習をやっていないと不安だった」という三田村は、打球練習をしていない時は、90分のランニングをやったり、ベンチプレスで100キロを持ち上げたりと、トレーニングに熱中したという。

「自分自身が何度もけがをしているから、子どもたちのけがには気を付けています。けがに限らず、体調がよくない時には必ず伝えるようにさせています。僕は練習場では厳しい指導者であり、同時に、子どもたちが甘えられるような、本音を話せるような指導者という、ストイックさと柔軟さ、二面を持つ監督でありたいと思っています。
 それに、僕は現役の時に比べて、がむしゃらなプレーでなく、論理的なプレーをしますよ。子どもたちにも、理論に基づいて、なおかつ、理論だけにとらわれず現実的なプレーをするよう教えています。例えば、理想的なプレーはこうでも、判断が後れたときは、それにこだわらずにこうする、というような」

 三田村本人のけがについて記者が尋ねても、いつしか指導者としての視点に切り替わる。指導者でありながら、自らの選手活動を続けるのは、なぜなのだろうか。

「自分の実力は、できる限り落としたくないんです。僕は、子どもたちにとって監督ですが、同時に目標であってほしいと思っています。子どもたちの壁になりたいんです」

 子どもたちが三田村という壁を超え、いつしか、三田村も成し得なかったオリンピック日本代表となる。冒頭の三田村の言葉は、これから始まる物語の号砲となるか。

「今、すごく燃えているんです」

写真=佐藤孝弘 文=川合綾子
文中敬称略
※プレー写真は2020年全日本卓球選手権大会

三田村宗明の強くなる10のレッスン

①用具の選び方 ②シェークハンドのグリップ ③ボールコントロール ④基本姿勢を身に付ける ⑤ドライブの感覚を養う ⑥ドライブの角度を覚える ⑦フォアハンドドライブの多球練習 ⑧バックハンドドライブの多球練習 ⑨ループドライブ ⑩スピードドライブ
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