三十六計と卓球 〜第二計 囲魏救趙〜

「日本の友人と世界の卓球界に『三十六計と卓球』を捧げる」 荘則棟

第二計 囲魏救趙 (魏国を包囲し趙国を救う)

敵軍と正面向かって戦う準備をしておくと同時に、敵軍の背後に回り込み、後方から攪乱し、敵軍を前と後ろから挟撃することにより、敵軍の兵力を分散させ、頭隠せば尻叩き、尻隠せば頭叩く戦術で、敵軍を前と後に駆けずり回らせ、疲れ切った時を見計らって、敵軍へ総攻撃をかけ、側面から、包囲されていた国(趙国)を救ったのである。

 古代戦術の例

 紀元前354年、魏国の大将龐涓(ほうけん)は10万の大軍を率いて、趙国の首都邯鄲を攻略しようとしていた。趙国は斉国に救援を求めた。
 これを聞いた斉国の国王は、田忌(でんき)と孫臏(そんひん)に、兵を率いて越国を救援するよう命じた。
 二人は作戦会議を聞き、種々検討した結果、斉国を包囲している魏国の大軍を直接迎え撃つのではなく、兵を率いて魏国の首都大梁を攻めることにした。
 これを聞いた魏国の大将龐涓は大変驚き、急きょ大軍を引き返し、自国の救援に当たった。
 しかし、魏国は往復の長旅のため、軍馬兵士共に疲れ果てていた。
 一方、斉軍はあらかじめ有利な地形...桂陵(現山東省荷沢県北東部)を選び、待ち伏せし、大勝したのである。
 よって趙国は魏国の大軍の包囲網から救われたのである。

卓球における応用例

 1961年、第26回世界卓球選手権北京大会男子団体戦、中国対日本との決勝戦で、私は日本のループドライブを積極的に避け、すきを見て急襲する打法を用いた。
 当時日本男子は5回連続団体優勝をしており、秘密兵器であるループドライブを開発し、虎が翼を着けた如く、向かうところ敵無しであった。
 ヨーロッパの主力であるハンガリーとユーゴスラビアの連合チームが日本を訪れた際、日本選手のループドライブには散々たる目に会い、「まったく勝てない」と呟いていた。一方日本チームも「無敵」を自負していた。
 当時、私は初めて日本の選手と会い、初めて自分の目、て日本のループドライブを見たのである。
 私は予備知識としてループドライブの恐ろしさを知っていた。
 しかし、物事には全て二面性がある。
 日本のループドライブ選手の動作は大きく、台の外で(ロング)打てても、台の中(ショート)では打てない。また彼等のパックハンドは弱く、力強くプッシュしでなく(力を加えて押してない)パックからの攻撃がない。したがってこの2点が彼らの弱占ベである。
 よって、私は台の中にショートサービスを出し、日本選手の得意なループドライブを使えないようにし、右(フォア側)と左(パック側)から相手のパックハンドをめがけて猛攻し、日本選手のループドライブを側面から封じたのである。
 この作戦は大いに当たり、団体戦のみならず個人戦にいたるまで、私は日本選手に対して全勝したのである。

感想

1.ぐしゃぐしゃに絡みついた紐を解く時、強引かつ盲目的に引っ張ることは禁物である。
 同じく、喧嘩している両者の聞に割って入り、自分が手足を出すことは禁物である。
 救援を送り敵軍の包囲網を解くのもこれと同じ理屈であり、敵軍の優勢なところを避け、敵の最も弱い部分を打てば、相手は形勢不利になり、動作が鈍くなると共に思考が狂い、撤退せざるを得なくなり、自然と包囲網を解くのである。
2.敵を誘い込む、あるいは強硬手段を用いて、集中している敵の精鋭部隊を引き離す、あるいは分散させることにより、敵の力を弱め、疲れ果てたところを一気にやっつける。
3.強大な敵の前で、敵の精鋭と主力が一番集中している部分を、無理やり攻撃することは、自分にとって被害多く利が少ないばかりか、失敗する可能性が大きい。
 しかし、敵軍を分断することができれば、自軍の方が数の上で敵軍をまさり、利多く害少なく、戦勝の可能性は大きい。
 これは、まさしく一対の箸は折りやすいが、束になっている箸は折りにくいのと同
じである。
4.敵軍との攻め合いにおいて、まず敵軍が救援を送らざるを得ない箇所すなわち弱い部分を攻める。
 そして当然敵は兵力を移動して来る、であろう、その時期を見計らって救援に来た敵軍を叩く。
 また、敵軍の退路を予測し、そこを攻めることにより、自軍の利を広げ害を最小限にとどめ、敵軍をせん滅する。
5.自分に有利な戦機(チャンス)を逃がすな。チャンスとは白馬が隙聞を通り抜けるが如く(大きいものが、狭いところを通り抜けるように)、々現われるものではなく、躊躇していると一瞬にして消え去る。
 したがって、事前に綿密な作戦を立て、チャンス到来と見るや、一気呵成で打ち込む。
6.この計略は、心理的な面では「先に相手を制し」、行動面では「後に相手を制す」である。
 したがって、この計略を応用するに当たっては、心を平静に保ち、身軽で猛攻ができることである。
(翻訳=佐々木紘)
筆者紹介 荘則棟
1940年8月25日生まれ。
1961-65年世界選手権男子シングルス、男子団体に3回連続優勝。65年は男子ダブルスも制し三冠王。1964-66年3年連続中国チャンピオン。
「右ペン表ソフトラバー攻撃型。前陣で機関銃のような両ハンドスマッシュを連発するプレーは、世界卓球史上これまで類をみない。
1961年の世界選手権北京大会で初めて荘則棟氏を見た。そのすさまじいまでの両ハンドの前陣速攻もさることながら、世界選手権初出場らしからぬ堂々とした王者の風格は立派であり、思わず的ながら畏敬の念をおぼえたものだ。
1987年に日本人の敦子夫人と結婚。現在卓球を通じての日中友好と、『蘭と創』などの著書を通じて、卓球理論の確立に力を注いでいる」(渋谷五郎)
本稿は卓球レポート1992年4月号に掲載されたものです。
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