三十六計と卓球 〜第三計 借刀殺人〜

「日本の友人と世界の卓球界に『三十六計と卓球』を捧げる」 荘則棟

第三計 借刀殺人 (他人の力を利用して強敵を倒す)

敵の威勢は明白であり、自分一人ではとうてい太万打ちできない強敵に対し、他人の力を借りて強敵を倒し、自分の力を温存する。すなわち他人の手を使って、他人の力を消耗し、自分の目的を達成する。

古代戦術の例

 三国時代(紀元220-265年)、曹操は下邳(かひ・現在の江蘇省唯寧の北西)の一戦で、呂布の率いる軍を打ち破った。
 下邳の南側に建てられている白門楼の階上大広間のまん中の椅子に、曹操と劉玄徳(すなわち劉備)が座り、関羽と張飛がその両側に立ち、捕虜となった陳宮と呂布が楼上に縛り上げられて来た。
 尋問を終えた陳宮は兵士により連れ出されて行った。
 そして曹操も用があり階段を降りて行った。
 この時、呂布は劉玄徳に向かって「私は過去貴殿の命を助けたことがあります。本日、貴殿は座上の客(曹操に信頼されている人)で私は囚人です。どうか一命を助けて頂けるよう助言をお願いします」と頼んだ。
 劉玄徳は軽く会釈した。しかし内心では呂布が曹操の部下になると、今後自分の強敵となり、天下を取るにあたって大変不利になる。よって曹操の子を借りて呂布を抹殺しようと考えていた。
 曹操が戻り席についた時、呂布は大声で「明公様が災いとしているのは、この呂布です。本日、私は貴殿に敬服いたしました。貴殿は大将です。私がそれを補佐すれば天下は安泰します」と言った。
 これを聞いた曹操は心が揺れ、劉玄徳に向かって「どうしますか?」ときいた。
 劉玄徳は即座に「呂布は利権を見ると、義理人情も忘れる小人です。丁建陽は彼の恩師、董卓は彼の義父ですが、ふたりとも彼が殺したのです。彼を生かしておくと結果は明白です」と答えた。
 曹操は部下に命じて呂布を絞首刑にした。
 劉玄徳は曹操の力を借りて、呂布を切ったのである。


卓球における応用例

 1966年4月、全中国卓球選手権大会が上海で開催された時のことである。
 私の調子は上々であったが、団体戦で私は後輩のホープ李景光選手に0-2で敗れた。李景光選手の勢いは猛虎が山を下りるが知く、上海チームを一掃し、李富栄、張燮林および于貽沢の3 選手を連破し、ひとりで3得点を上げた。
 シングルスに入っても、彼の勢いは衰えず難関を次々と突破し、一路順風に飛ばし、彼への全国新チャンピオン誕生を期待する声援は、凄まじいものであった。
 私は暗に心の緊張を感じた。また友人達も私のことを心配し、「一旦李景光選手が上がってくると、荘さんの全国3連覇もぐらつくのではないか」と 話していた。
 しかしベスト16争奪戦で、李景光選手は再度上海チームの于貽沢選手と対戦することになった。
 試合前、于選手とコーチ陣は十分な作戦を練り、ついに3-2で李景光選手を倒したのである。
 私は内心大喜びした。于選手は私に代って危険な相手を淘汰したのである。
 彼は天の如く大きな仕事をしてくれた。
 最後は于選手と私の対戦になった。
 私は頭の中で于選手を李選手にイメージし、左右から猛攻を続け3-0で快勝し、3年連続男子シングルス全国チャンピオンを手中にしたのである(新中国誕生以来今日まで、この成績を越えた選手はいない)。
 このことは于選手という刀を借りて、強敵李景光選手を切り、私が実利を得たからこそチャンピオンの座に登れたのである。

感想

1.矛盾を見極め、矛盾を利用し、矛盾を激化させ、最終的に自分が利を得る。
2.この計画のポイントは、刀を借りることができるか? またその刀で敵を倒すことができるかである。
 ここでは刀を借りるわけだから、自分が主人公として舞台で活躍するのではなく、往々にして万を貸してくれる相手を誘導し、励ます必要がある。
 さらに借りる刀は鋭利なものでなければならない。さもないと刀は借りたが敵を倒せず、無意味なものとなる。
3.借刀殺人の主旨は、自分の力を温存し、敵の力を減弱させることである。したがって一つの敵は消滅したが、もう一方の敵はその一戦、でさらに巨大化したのでは困る。
 対戦した両者が共にずたずたに傷つき、敗者は滅亡し、勝者も重傷を負ってこそ、利が自分に回ってくるのである。
(翻訳=佐々木紘)
筆者紹介 荘則棟
1940年8月25日生まれ。
1961-65年世界選手権男子シングルス、男子団体に3回連続優勝。65年は男子ダブルスも制し三冠王。1964-66年3年連続中国チャンピオン。
「右ペン表ソフトラバー攻撃型。前陣で機関銃のような両ハンドスマッシュを連発するプレーは、世界卓球史上これまで類をみない。
1961年の世界選手権北京大会で初めて荘則棟氏を見た。そのすさまじいまでの両ハンドの前陣速攻もさることながら、世界選手権初出場らしからぬ堂々とした王者の風格は立派であり、思わず的ながら畏敬の念をおぼえたものだ。
1987年に日本人の敦子夫人と結婚。現在卓球を通じての日中友好と、『闖と創』などの著書を通じて、卓球理論の確立に力を注いでいる」(渋谷五郎)
本稿は卓球レポート1992年5月号に掲載されたものです。
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