三十六計と卓球 〜第十四計 借屍還魂〜

「日本の友人と世界の卓球界に『三十六計と卓球』を捧げる」 荘則棟

第十四計 借屍還魂 (屍体を借りて魂を戻す)

才能のある者はコントロールしにくく、それを利用することはさらに難しい。
能のない者は常に誰かに頼らないと、独り立ちできない。
したがって彼らが 自分を頼ってくる時もある。このような場合はコントロールしやすい。
能のない者を利用し、人に自分が支配されるのではなく、自分が人を支配するのである。

 古代戦術の例

 李淵(りえん)は隋王朝の貴族で、先祖の七光により唐国公(とうこくこう)となった。
 紀元617年、隋煬帝(ずいようてい)は李淵に、太原の留守(りゅうしゅ...官名)を命じ、農民の蜂起(ほうき...旗揚げ)の鎮圧に当たらせた。
 最初は数回勝ちを収めたが、しばらくすると農民蜂起軍はどんどん強くなり、その数は増えるばかりで、李淵は恐ろしくなった。
 李淵の次男の李世明(りせいめい)は当時の社会状況から見て、隋王朝の天下は長くないと分析した。
 彼の親友で晋陽城(しんようじょう・現山西省太原市南)で官員をしている劉文静(りゅうぶんせい)は、李世明に「今の皇帝は腐敗しており、しかも遠く離れた江都(こうと・現江蘇省揚州市)へ行っており、私の親戚の李密(りみつ)は蜂起軍に参加して東都(とうと・現河南省洛陽市)に迫り、各地で人々は決起している。
 今こそが天下を取る最良の時期だ。私は10万の人馬を集める、君の父にも数万の兵士がいる。これをもって蜂起すれば、半年内で天下を取ることができる」と語った。
 これを聞いた李世明は大変喜んだが、父親の説得に頭を悩ませていた。
 ちょうどその頃、太原北側の突厥(とけつ・中国古代北方民族のひとつ)、可汗(かかん)が馬邑(ばゆう)を攻めていた。
 李淵は兵を出し立ち向かったが、立て続けに負けた。このことが隋煬帝の耳に入ると責任を追及されることになる。李世明はこの時とばかりに一緒に隋王朝を倒すよう父の説得に当たった。
 李淵は最初大変驚いたが、次男の言うことにも一理あると思うようになった。しかし、なかなか決心ができないでいた。
 そんな時、二人の太原副留守が李淵親子の挙動に疑問を抱き始めた。李淵は突厥と結託したとして二人を断頭刑にしてしまった。この事件以来、李淵は決心がつき、部下に命じてたくさんの品々を突厥可汗に送り、彼と講和を結び、一緒に隋王朝を打破することになった。
 李淵は20数万の兵を率いて長安(ちょうあん)を攻め落とし、隋煬帝の孫である楊侑(ようゆう)を傀儡(かいらい)皇帝にすえた。
 翌年(紀元618年)の夏、隋煬帝が江都で殺害されると、李淵は楊侑をおろし、自分が即位し国名を唐王朝と改名した。


卓球における応用例

 1960年代、私が国家卓球チームの選手だった頃、毎日午前と午後の緊張したトレーニングが続き、夜になると体は疲れ気味であった。
 しかしスポーツマンの責任感や一生涯の中で占める選手生命はせいぜい10数年にすぎず、人生の道程に比べれば短い年月である。
 優秀な成績を残すためには、今以上に練習に打ち込まなければならないと考え、私は夜の時間帯を利用し、難度の高い技に挑戦した。
 しかし強い選手達は昼間の訓練でくたくたに疲れ、これ以上練習すると身がもたないとのことで、私の毎晩の練習にはなかなかお付き合いをしてくれない。そこで私は自分よりも技術レベルの低い選手、時には女子選手を相手に練習を重ねた。
 最初の頃は、私が相手選手のために半分の時間をさき、相手選手も私に半分の時間をさく方法を用いたが、訓練の効率と質を高めるため、相手が練習したい技と私が練習したい内容を組み合わせ、一つの技に対する練習時間を長くした。
 相手選手は私と組むことにより技術のレベルアップが図れるため、訓練の効果はおうおうにして100パーセントに達し、練習に没頭することにより、技術の不足面を大きく補うことができた。
 練習の回を重ねるごとに技術は向上し、互いの心も相通じるものとなり、別の訓練内容を望んだ場合でも、できる限りのことをしてくれるようになった。
 このような訓練は、時には午前・午後の正規の練習より質が高かった。

感想

1.『借屍還魂』の本意は、兵を出して相手を援助する際、そのチャンスを利用して相手をコントロールする、あるいは相手の地盤を占領することである。
2.不利な立場または敗勢に追い込まれた時は、有利な条件を全て利用し、局面打開に全力を投じ、主導権を握り、自分の計画を実現することである。
 その方法は"屍体を借り"、その目的は"魂を戻すこと"である。しかし貸してくれる"屍体"があるのか、またそれに対し、"魂を戻すこと"ができるのかは、監督が不利な状況下において、冷静に成り行きを分析し決断できるかにかかっている。
3.試合中に頭を使うことは大変重要なことである。戦略戦術というものは監督と選手の思考が咲かせた一輪の花である。もっとも困ることは「考え付かなかった」ことであり、もっとも貴いのは自分の習慣的な打法を捨て、勝利を勝ち取り、奇跡を作ることである。
4.世の中において、もっとも貴いのは人である。奇跡は人が作るものであり、輝かしい業績も人が作るのである。国家民族が発展するか否かの基準は、優秀な人材に対する吸引力と人材の密集程度である。
 したがって人材を得るものは発展し、人材が逃げ出すような国は滅びる。
5.前に向って突き進む気力のないものは、自分を守ることすらできない。
(翻訳=佐々木紘)
筆者紹介 荘則棟
1940年8月25日生まれ。
1961-65年世界選手権男子シングルス、男子団体に3回連続優勝。65年は男子ダブルスも制し三冠王。1964-66年3年連続中国チャンピオン。
「右ペン表ソフトラバー攻撃型。前陣で機関銃のような両ハンドスマッシュを連発するプレーは、世界卓球史上これまで類をみない。
1961年の世界選手権北京大会で初めて荘則棟氏を見た。そのすさまじいまでの両ハンドの前陣速攻もさることながら、世界選手権初出場らしからぬ堂々とした王者の風格は立派であり、思わず敵ながら畏敬の念をおぼえたものだ。
1987年に日本人の敦子夫人と結婚。現在卓球を通じての日中友好と、『闖と創』などの著書を通じて、卓球理論の確立に力を注いでいる」(渋谷五郎)
本稿は卓球レポート1993年6月号に掲載されたものです。
B!