三十六計と卓球 〜第二十一計 金蝉脱殻〜

「日本の友人と世界の卓球界に『三十六計と卓球』を捧げる」 荘則棟

第二十一計 金蝉脱殻 蝉が脱皮する

強大な気勢を作り、陣営の原形を保ち、友軍には疑いを持たせず、
敵軍には安易に攻めて来ないようにし、自軍はその隙(すき)に主力を移動する、
あるいは別の方向から奇兵を出す。

 古代戦術の例

 宋朝(紀元1115~1279年)の頃、宋の将軍・畢再遇(ひつさいぐう)は、軍隊を率いて金軍と戦っていた。
 しかし力が相対峙(あいたいじ)し、なかなか勝利を得ることができない。そこで将軍・畢再遇は陣地をひきはらうことにした。
 撤退前に陣地に軍旗を残し、軍旗の下に羊を逆さに吊(つる)し、羊の前足を太鼓の上に置いた。羊は逆さ吊りされているため、苦しくなると"もがきだし"前足で太鼓を叩いた。金軍は日夜太鼓の音が響きわたるので、固く防備されていると思い込み攻めてこなかった。
 数日後騙(だま)されたことに気付いたが、将軍・畢再遇はすでに軍隊を安全な場所へ移動していた。
 将軍・畢再遇の懸羊撃鼓(羊を吊して太鼓を叩く)という計略は、陣地の原形と気勢を保ち、自軍は損失を受けずに巧妙に移動したのである。



卓球における応用例

 1963年、第27回世界選手権大会において、中国男子チームは再び世界団体チャンピオンおよびシングルスチャンピオンの栄冠に輝き、また初の男子ダブルスチャンピオンを手中にした。
 しかし、中国女子チームの成績はあまり思わしくなかった。
 すると、中国婦人連合会、中国共産主義青年団中央、教育省などの部門が、国家体育委員会に"王手"をかけ、「女性の地位向上」を求め、中国女子チームが世界チャンピオンを勝ち取るよう求めた。
 当時中国女子チームの技術と実力は成長段階にあった。世界の卓球界での評価は、シェーク打法はヨーロッパが元祖、ペン打法は日本が長年にわたって覇を成し世界の王者であるとのことであった。
 中国女子チームの居場所はないのか?この時、容国団(ロンクォトウアン)選手が中国女子チームのコーチを引き受けた。
 彼は全選手の英知を集中し、ヨーロッパ選手と日本選手の攻略法を研究し、積極的に準備を行ない、時が来るのを待った。
 第28回世界選手権大会が始まった。容国団コーチは先(ま)ずペンタイプ速攻の李赫男(リーフウナン)選手と梁麗珍(リャンリーツェン)選手を起用し、破竹の勢いでヨーロッパ各国の名選手を倒して決勝に進出し、日本女子チームと優勝を争うことになった。
 世界卓球界は彗星の如(ごと)く現われたペンタイプ速攻の二人をたたえ、この勢いでいかに日本女子チームと戦うかを楽しみにし、決勝戦を待っていた。
 中・日女子団体決勝戦が始まった。
 中国女子チームは破竹の勢いで勝ち進んで来た二人を外し、中国式のシェークカットの林慧卿(リンフェイチン)選手と鄭敏之(ツェンミンツー)選手を起用した。
 これには日本女子チームも世界卓球界も唖然(あぜん)とした。日本女子チームが李赫男選手と梁麗珍選手対策のため、検討してきた一連の布局と戦術はすべて空を切り、代りに馴染(なじみ)の少ない中国風シェークカットの両選手と対戦することになり、事前準備がまったくできておらず、日本女子チームは0-3で敗北し、中国女子チームは初の団体世界チャンピオンの栄冠に輝いた。
 このように威力を露出せず、奇抜をもって勝利を制する大胆な計略は、世界卓球界で絶大なる賞賛を浴びた。


感想

1.この計略を運用するにあたり、くもの糸、馬の足跡など小さい物でも相手に悟られてはいけない。
 原形を残し、威勢を保ち、秘密保持と偽装に注意する。
2.金蝉脱殻は慌てふためき、策を失うことではない。また消極的に逃げることでもない。すなわち、すでにその場には居ないが、居るように見せかけ、敵軍をそこの釘付けし、自軍は不利な状況から抜け出し、危険を脱し、主力を移動し、迂回して精鋭を養い、再度の戦いに挑む。
3.平素の訓練において、戦略的な布局を行ない、各種戦術に対し訓練を行なうことにより、いざという時に攻撃、防御、撤退、戦い、偽装、巧妙迂回などを臨機応変に運用することができるのである。
(翻訳=佐々木紘)
筆者紹介 荘則棟
1940年8月25日生まれ。
1961-65年世界選手権男子シングルス、男子団体に3回連続優勝。65年は男子ダブルスも制し三冠王。1964-66年3年連続中国チャンピオン。
「右ペン表ソフトラバー攻撃型。前陣で機関銃のような両ハンドスマッシュを連発するプレーは、世界卓球史上これまで類をみない。
1961年の世界選手権北京大会で初めて荘則棟氏を見た。そのすさまじいまでの両ハンドの前陣速攻もさることながら、世界選手権初出場らしからぬ堂々とした王者の風格は立派であり、思わず敵ながら畏敬の念をおぼえたものだ。
1987年に日本人の敦子夫人と結婚。現在卓球を通じての日中友好と、『闖と創』などの著書を通じて、卓球理論の確立に力を注いでいる」(渋谷五郎)
本稿は卓球レポート1994年5月号に掲載されたものです。
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