三十六計と卓球 〜第二十二計 関門促賊〜

「日本の友人と世界の卓球界に『三十六計と卓球』を捧げる」 荘則棟

第二十二計 関門促賊 門を締めて盗賊を捉(とら)える

先ず敵を孤立させて包囲し、四方八方からの援軍を絶ち、その後徹底的にやっつける

 古代戦術の例

 紀元前260年の戦国時代、秦国(しんのくに)と趙国(ちょうのくに)の長平之戦において、秦国の将軍白起(はくき)は、趙国の将軍趙括(ちょうかつ)には実戦的経験が無い弱点を利用し、秦長壁に袋型の陣地を作り、趙軍の出撃部隊を敵陣から誘い出し、更に秦長壁の袋型陣地の奥深くへ誘い込んだ。
 秦軍は、25,000名の騎兵隊を出動させ趙軍出撃部隊の後方を塞ぎ、出撃部隊と敵陣との連絡を絶った。  更に5,000名の騎兵隊を出動させ、趙軍の陣地間に割り込み、趙軍出撃部隊と敵陣守衛部隊との連絡を絶ち包囲した。
 将軍白起は軽装部隊に命じ連続して趙軍に攻撃を掛け、包囲網を圧縮した。趙軍は何回応戦しても不利なため、攻めから守りへ転じた。
 この時、秦軍は包囲するのみで攻めない戦術を用いた。
 その結果、趙軍は食料が底をつき、外部からの援軍もなく、一口の食糧のために喧嘩となり殺しあいを始め、困難極まる形成の中で、秦軍に投降し、40万の趙軍兵士は秦国将軍白起の捕虜となり殺された。



卓球における応用例

 1965年、第28回世界選手権大会男子シングルスで、世界にその名を響きわたらせた中国の"重砲手"周蘭蓀(チョウランスン)選手は、日本の虎将木村興治選手と戦っていた。周蘭蓀選手は猛攻をかけ2-0でリードしていた、しかし彼は勝利を目の前にし、勝ったときの光景などを脳裏に浮かべ、ゆっくり勝とうと考えた。
 その結果、2ゲームを連続して落とし2-2となった。形成が逆転した時、彼は率直に傅其芳(フーチーファン)コーチに「普段のような思いきった猛攻ができません」と言った。
 傅其芳コーチは冷静且つ厳粛に「今は互いに退路はなく、"門"は閉じている。木村選手は更に闘志を燃やしてくる、したがって彼の勢いを先(ま)ず止めろ。次には相手を"捉(つかま)える"ことだ。君の火力を集中して木村選手のバックハンドを抑えろ。この戦術で行けば必ず成功する。逆に精神統一ができず思いきり打てないと相手に捕まり敗戦者となる」と言った。
 周蘭蓀選手はコーチを信頼し、正確に問題点を悟り、大事な時にコーチの的確なアドバイスを受けた為、彼は"門"を閉じて木村選手を"捉える"ことに専念し、最終的には3-2で勝ちを手中にした。


感想

1.分析と判断に基づき、実力と計略により敵を包囲した状態に置く。
2.門を閉じ包囲することは、手順と手段である。最終目的は敵を殲滅(せんめつ)する事であり、中途半端で虎を山に帰すようなやり方は禁物である。
3.包囲された敵は、取り囲まれた野獣の如く闘争心が強く、最後の力を振り絞って暴れ、包囲網を突破しようとする、従って防備を固め、臨機応変に対応することが重要である。また、相手が最後に"もがき"暴れ狂うのは一時的であり、最終的には捕らわれるのである。
(翻訳=佐々木紘)
筆者紹介 荘則棟
1940年8月25日生まれ。
1961-65年世界選手権男子シングルス、男子団体に3回連続優勝。65年は男子ダブルスも制し三冠王。1964-66年3年連続中国チャンピオン。
「右ペン表ソフトラバー攻撃型。前陣で機関銃のような両ハンドスマッシュを連発するプレーは、世界卓球史上これまで類をみない。
1961年の世界選手権北京大会で初めて荘則棟氏を見た。そのすさまじいまでの両ハンドの前陣速攻もさることながら、世界選手権初出場らしからぬ堂々とした王者の風格は立派であり、思わず敵ながら畏敬の念をおぼえたものだ。
1987年に日本人の敦子夫人と結婚。現在卓球を通じての日中友好と、『闖と創』などの著書を通じて、卓球理論の確立に力を注いでいる」(渋谷五郎)
本稿は卓球レポート1994年7月号に掲載されたものです。
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