三十六計と卓球 〜第二十四計 假途伐虢〜

「日本の友人と世界の卓球界に『三十六計と卓球』を捧げる」 荘則棟

第二十四計 假途伐虢
隣接している国の国土を通り、第三国に行くように見せかけて隣接の国を滅ぼす

名義上は「第三国に行きたいので、是非帰国の国土を通らせてください」であるが、
本音は兵力を隣接国に送り込み、相手を偵察し、中枢を握り、奇襲をかけ、
最後には隣接国を統合する魂胆である。

 古代戦術の例

 春秋時代(紀元前770~476年)、各諸侯国間の併合戦争は延々と続いていた。
 晋国(しんのくに)は近隣の小国を併吞し、晋献公(しんけんこう)王の時代になると、諸侯の中では大国となっていた。
 晋国の南には虞国(ぐのくに・現在の山西省平陸県北東)と虢国(かくのくに・現在の河南省陝県南東)の二つの小さな国があった。以前このニ国は仲が良く、互いに助け合っていた。
 一方、晋献公はこのニ国を併吞する野心を早くから抱いていた。紀元前658年、晋献公は筍息(しゅんそく)が献上した策を取り入れた。
 まず名馬や宝石を大量に虞国王に贈り彼を買収した。気を良くした虞国王は晋軍が自国を通ることに同意するのみならず、兵を出して先頭部隊を成し道案内をした。
 この年の夏、晋軍は虢国の下陽(古名は邑、現在の山西省平陸県北)を占領した。
 三年後(紀元前655年)晋献公は再度虞国を通り虢国を攻めたいと言ってきた。
 虞国の大夫(官名)宮之奇(ぐうしき)は、虞王に「虞国と虢国は兄弟のような仲であり、虞虢のニ国は連合して晋国と戦うべきです。晋軍が我が国を通ることには反対です」と進言したが、虞王は聞き入れなかった。
 宮之奇は「虞国と虢国は同じ運命をたどり、正月を迎える前に滅亡するでしょう」と予言し、家族を連れて国外へ移住した。
 この予言は見事に的中し、厳冬の11月上旬、晋軍は虢国の全領土を制覇し、虢国王(かくこくおう)は洛陽へ逃げた。
 晋軍は凱旋の帰途、虞国に駐屯し、虞国王が挨拶に来たとき、突然奇襲をかけ、その場で虞国王を捕虜にし、虞国をも簡単に滅ぼしたのである。
 晋国大夫筍息の計略は「一石二鳥」の結果を得たのである。



卓球における応用例

 1959年春、第25回世界選手権大会において、中国男子チームは団体戦でハンガリーチームに3-5で敗れた。これは私達の技術がヨーロッパのレベルに達していないことを意味している。
 これ以前に、中国卓球協会は既にヨーロッパ式打法の選手を養成しており、若い選手らと一緒に訓練していた。
 1959年10月、中国は卓球Bチームをヨーロッパ訪問試合に派遣した。
 私や李富栄(リフーロン)など若い選手で構成したBチームは元気はつらつとし、試合を通じて適応・体験・記録・総括し、レベルアップし、着実に実力をつけ経験を積んだ。
 訪欧の後半、中国Bチームはスカンジナビアで開かれた有名な国際試合に参加した。
 Bチームは男子団体、男子シングルス、男子ダブルスのチャンピオンに輝き、団体戦と個人戦では、欧州の主将ベルチック選手を打ち破ったのである。
 この頃から、中国の若い選手達は欧州難関の門をこじ開け、1961年4月の第26回世界選手権大会において、ヨーロッパの名選手達を一掃したのである。
 当時の事を振り返って見ると、国内での周密な準備により、欧州難関突破の条件を作り出した。「虞国への途が無ければ、虢国を撃破する事はできなかったであろう」。また欧州遠征が無ければ、中国Bチームは欧州難関を突破できなかったと思う。


感想

1.軍事家やコーチの最も重要な責務は、攻める相手を確定することである。

2.攻める相手が確定したら、その相手を分析・研究・理解・接触し、これに適応し、相手の癖を知りつくすことにより、相手を打ち破る正しい経路と方法を編み出す。

3.相手に接触するチャンスが無く、相手を知り尽くすことができない場合には、模擬や仮設の方法により間接的に相手に接触し、敵の得意技を熟知する。

 この様な経過を辿(たど)ると、相手の全貌が判らない段階から判るようになり、相手に適応できない状態から適応できるようになり、最終的には相手を倒すことができる。

4.虢国と虞国は唇歯相依(互いに依りそい助け合う)関係にあり、防備するには連合が必要である。「仲の良い間柄を裂かれない様に」気を付けないと、敵の一つずつ撃破する計略にはまってしまう。
(翻訳=佐々木紘)
筆者紹介 荘則棟
1940年8月25日生まれ。
1961-65年世界選手権男子シングルス、男子団体に3回連続優勝。65年は男子ダブルスも制し三冠王。1964-66年3年連続中国チャンピオン。
「右ペン表ソフトラバー攻撃型。前陣で機関銃のような両ハンドスマッシュを連発するプレーは、世界卓球史上これまで類をみない。
1961年の世界選手権北京大会で初めて荘則棟氏を見た。そのすさまじいまでの両ハンドの前陣速攻もさることながら、世界選手権初出場らしからぬ堂々とした王者の風格は立派であり、思わず敵ながら畏敬の念をおぼえたものだ。
1987年に日本人の敦子夫人と結婚。現在卓球を通じての日中友好と、『闖と創』などの著書を通じて、卓球理論の確立に力を注いでいる」(渋谷五郎)
本稿は卓球レポート1994年9月号に掲載されたものです。
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