三十六計と卓球 〜第三十六計 走為上計〜

「日本の友人と世界の卓球界に『三十六計と卓球』を捧げる」 荘則棟

第三十六計(最終回) 走為上計  三十六計逃げるに如かず

強敵の前で、ただ待っていては敵に食われてしまう。
また強引に戦っても玉砕するだけである。
この場合は自分の力を温存するために逃げることが上策となる。

 古代戦術の例

 紀元前一世紀の70年代、古代ローマのスパルタクスは奴隷剣闘士の身となってしまった。
 ある日の団体戦で、仲間が次々に倒れ、彼一人となった。敵はまだ三人残っている。個人技ではスパルタクスの方が三人より遥(はる)かに上だが、三人が束になってかかってくればスパルタクスにも勝ち目はない。
 この切羽(せっぱ)詰まったとき、スパルタクスはすばらしい計を思いつき、敵を振り切って逃げ出した。
 敵の三人は逃がすものかと後ろから追ってきた。しかし、走るスピ-ドが異なるため、三人の間には徐々に間隔ができていた。このときスパルタクスは突然振り返ると一番先の追っ手を一振りで倒し、続いて二番目、三番目の敵も倒した。
 スパルタクスが敗勢の中で勝てたのは、1対3の不利な形勢を、頭脳的作戦によって1対1の優勢な三番勝負に変えたからである。
 弱が強を制し、敗勢を勝ちに導いたきっかけは"逃げる"ことにあった。


卓球における応用例

 '57年、北京市で選抜大会が開催された。男子上位5名と女子上位4名はその年の全国選手権大会への参加資格が得られる。そのため熾烈(しれつ)な試合が展開された。
 私のコーチである靳声華(シンスンホア)も選抜大会に参加した。彼は卓球界の名将で、全国鉄道業界のチャンピオンに輝いたこともある。私を手塩にかけて丹精こめて育ててくれた師匠で、私から学費を取らずに食事まで与えてくれ、私財をつぎ込んで仕事の合間をみて指導をしてくれた恩師である。
 私は少年ながらその選抜大会に参加し、幸運にもベスト8に入った。しかし、最も嫌な場面が目の前に現われた。
 次の試合はベスト4争奪戦の大事な試合であったが、よりによって対戦相手は恩師靳声華コーチだったのである。他の選手との試合であれば思い切り戦えるのだが、自分の恩師と戦うのでは良心が問われ、まして勝ち目もない。たとえ他の選手に負けたとしても、恩師と戦うよりはましであった。
 靳声華コーチは私の心を見抜き、「荘君、次は二人の戦いだ」と話しかけてきた。私は「僕、こんな試合いやです」と答えながら上を向き、コーチの顔を見つめていた。
 日頃から靳声華コーチは、私を含めて子供達を可愛がってくれた。ちょっと怖いが、心から尊敬していた。「荘君、試合は厳粛なものだ。試合に師匠と弟子の区別はない。勝敗に関係なく日頃の技を発揮し、一球ごとに争い、最後まで真面目(まじめ)に試合をすること」。靳声華コーチの言葉に私は従順に頭を縦に振った。
 試合の結果、予想外にも私が3-0で勝った。会場はざわめいたが、靳声華コーチは優しく微笑(ほほえ)んでいた。
 当時、私にはその意味がまだよくわからなかったが、私に師匠を倒す技術力があったのかというと、必ずしもそうではなかったと思う。やはりこれには師匠の思惑があったようだ。
 彼は年齢を考え、長年蓄積した経験を次の世代に伝え、希望を若者に託したのであろう。仮に小さな栄誉や全国大会に参加するチャンスを失っても惜しまず、自分が試合の隊列から離れることによって若者に道を譲ることが、祖国スポーツ事業の更なる希望と栄誉のためになると考えていたのではないだろうか。
 これは実に素晴らしい高尚な情操と胸襟である。


感想

1.劣勢なときに投降するのは徹底的な失敗である。講和を結ぶことは半分の失敗である。
 単に勇敢の二文字に踊らされ、正面から強敵にぶつかるのは卵をもって石を打つのと同じで、智者の行うべきことではない。
 安全に退却し、勢力を温存することは今後の勝利の種を保存することであり、上策である。
2.「逃げる」ことの裏には目的と計画がある。そこには主導的に退却するという積極的な意味が含まれており、単なる消極的な「ずらかる」ではない。「逃げる」ことにより敵を分散、前進させ、戦機を作るのである。
 従って「逃げる」のは一種の計と手段であり、最終目的ではない。
3.力が均衡している局面において、全ての面で全体的優勢に立つことは事実上不可能である。
 従って、攻め、守り、退却を上手に運用することが善戦者の備えるべき素養である。しかし退却の方法には正確さや臨機応変さなど多くの学問が含まれている。
4.力の程も知らず、単に無鉄砲に戦う者は張り子の虎である。実力があっても相手と戦う度胸がなく、チャンスを失う者は腐師鼠将(腐った師、鼠のような将―つまらないリーダー)である。
5.スポーツ選手として子供の頃から有名になることは大変重要なことである。有名になればこそ社会に認められ、更に大きな大会に参加することができ、更に優秀な成績を勝ち取る可能性が生れるのである。
6.早起きして旅路についてこそ、遠くまで歩けるのである。
(翻訳=佐々木紘)
筆者紹介 荘則棟
1940年8月25日生まれ。
1961-65年世界選手権男子シングルス、男子団体に3回連続優勝。65年は男子ダブルスも制し三冠王。1964-66年3年連続中国チャンピオン。
「右ペン表ソフトラバー攻撃型。前陣で機関銃のような両ハンドスマッシュを連発するプレーは、世界卓球史上これまで類をみない。
1961年の世界選手権北京大会で初めて荘則棟氏を見た。そのすさまじいまでの両ハンドの前陣速攻もさることながら、世界選手権初出場らしからぬ堂々とした王者の風格は立派であり、思わず敵ながら畏敬の念をおぼえたものだ。
1987年に日本人の敦子夫人と結婚。現在卓球を通じての日中友好と、『闖と創』などの著書を通じて、卓球理論の確立に力を注いでいる」(渋谷五郎)
本稿は卓球レポート1995年12月号に掲載されたものです。
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