「作戦あれこれ」第8回 フォアを攻めた対李振恃作戦

フォアを攻めた対李振恃作戦

 横浜で第2回アジア選手権大会の最終日が行なわれたのは'74年4月の初旬でまだ肌寒いときだった。男子の準決勝は長谷川対李振恃、河野対郗恩庭の日中の対決となった。
 私は準々決勝で刁文元を3-2でくだし李と準決勝が決まった夜、団体戦で李に負けていただけに、ベストを尽くしてなにがなんでも団体戦の雪辱を果たしたいと闘志が激しく燃えていた。そしてその夜、明日の試合に備えて団体戦で負けたときの試合をもう一度よく振り返って、負けた原因をノートに書いてみた。その2、3を紹介すると、、、


 勝敗にこだわりすぎていた団体戦

 精神面
 ・日本でやるために勝ちたい気持ちがあまりにも強く勝敗にこだわりすぎて固くなっていた
 ・粘り強く戦う心の準備ができていなかった
 ・受け身の気持ちがあった
 作戦面
 ・一番の敗因はレシーブ。バック側からフォアハンドサービスでバックに出されたのを攻めなかったために、バックをうまく攻められてしまった。
 ・サービスを小さくストップされて完全にドライブを封じられてしまった
 ・前後の動きが非常に悪く、前に寄せられたところをうまくたたかれた
 ・ドライブの回転に変化をつけることを忘れていた
 ・李はストップレシーブがうまいのにもかかわらず小さいサービスが多すぎた
 しかし2ゲーム目を奪ったときは、ストレートコースへ思い切ってドライブをかけたときに得点ができた。少し苦しくても李がバック側に出すサービスをまわり込んでいたときがよかった、などの得点をしたときのことも書いた。
 そして大学1、2年のころにジェットドライブといわれるほどドライブにスピードがあったころは大胆な作戦しか立てなかったが、パワーがおとろえた現在は綿密な作戦を立てないと勝てない。対李振恃戦にはすべてをかけるつもりで、時間をかけてまず李の卓球の特徴を研究した。

 ロング戦に持ち込んで弱点のフォアを攻める

 李の特徴はバックはプッシュ、フォアは打球点の高いトップ打ちの伝統的な中国速攻の卓球を受け継いだ選手である。バック側への回り込みが速く、バッククロスのスマッシュは流れるようにとんでくる。ショートの守りがかたくバック側が強い選手だ。しかしフォア側はときどきハッとするボールを打つがミスが多い。
 コースの特徴は、バック側からの攻撃はほとんどがクロスかミドル、フォア側からも同じである。こちらがドライブで攻めたときはほとんどショートで止め前後にゆさぶってくる。
 サービスはバック側から横回転と下に切れたサービスが主体で、ときどき同じモーションからフォアにロングサービスを出してくる。
 レシーブは小さく出すと小さく返す。大きく出すと頂点打のドライブまたはプッシュがほとんど。など団体戦を振り返って特徴などを書いてみた。そして中国選手が私に対するいつもの攻め方と変りないことに気がついたのは大きな収穫だった。そして15分ぐらい一休みしてから次のような作戦を立てた
 ①李は、まず私の一番の弱点であるバック側に小さいサービスを出して先手をとり、バックを攻めてくるだろう。それに対してできるだけフォアで動いて相手の逆をつき、得意のロング戦に持ち込む。コートから1バウンドで出るサービスはドライブをかけて攻める。
 ②李は必ず前後にゆさぶってくる。それに対してコートから離れていては損、できるだけコートから離れないように中陣から前陣でよく動いて積極的に攻める
 ③前後にしっかり動く
 ④短いサービスを出した場合、李は小さく止めてからの4球目攻撃がうまい。サービスに長短をつけてゆさぶり、できるだけ3球目を攻める
 ⑤表ソフトの選手は縦の変化が弱い。大事なところでは下に強く切れたサービスと切れないサービス、ロングサービスとナックルサービスを出して縦の変化をつけてドライブで3球目をねらう
 ⑥ショートやロングでゆさぶられたときに少しでも余裕があるときはストレートコースへ思い切って攻める
 ⑦表ソフトの共通の弱点はフォアからつないできたボールをねらわれたときに弱い。勝負どころではフォアへうまくゆさぶって次をフォアドライブでまわりこんで自分のペースにもっていく
 ⑧バックハンドを多用すると不利なラリー展開になりやすい。しっかり動いてできるだけ得意のドライブで攻める。ドライブに変化をつけることも忘れない
 ⑨フォア、バックともチャンスボールはミスを恐れず自信を持って打つ
 ⑩ロング戦に持ち込んで李の弱点のフォアをせめる
 足の動きが勝負だ。もどりを早くしてしっかり動いて一球一球コースを考えて攻める。粘り強いプレーをする。などの作戦を立てた。

 ベストを尽す

 そして次にその作戦を実行させる勇気、集中力をつけるために今まで数多くの困難にあった試合を思い出しながら、試合の心構えを次のように立てた。
 ・試合で一番大切なことは、相手に勝つことではない。ベストを尽くしたかどうかである。勝敗にこだわらず今まで積み重ねてきた心、技、体すべて出して戦おう
 ・相手に教えてもらう気持ちで思い切ってやろう
 ・絶対に油断をしない
 ・集中力が低くなると連続ポイントされやすい、常に気合いを入れ集中してやる
 ・試合は気力、気迫が大切だ。気力、気迫だけは相手に絶対に負けない
 その他、常に冷静に粘り強くやるとか、ラクな気持ちでやるとか、相手をのんでやるとか、といういつもの試合の心構えを書いた。また心構えを立てているうちに、このような気持ちでやれば勝てる自信がついてきた。

 朝食前にトレーニングをして万全な態勢

 いよいよ最終日を迎えた。試合開始は1時からであった。
 試合に備えて朝食前にダッシュと軽いランニングを繰り返すインターバル・トレーニングをしたあと、全力で振る素振り、李を仮想してシャドウプレーを合わせて30分ぐらいやった。私は試合の朝、20分から30分のトレーニングをして汗を流すと体の調子が非常に良く、試合の朝の日課としている。そして朝食後1時間半ぐらいゴロリと休んでから、出発前にもう1度ノートを見て試合の予習をし、部屋の整理整頓をして会場に向かった。会場にはいってすぐにいつものように会場の雰囲気、コートの位置、証明の具合、観覧席の作り方を調べてから、練習場でフットワーク、レシーブ、3球目、バックハンド、15オールからのゲーム練習などひととおりの練習をやった。そして一休みしたあと試合前にもう一度、モモ上げ、ダッシュ、シャドウプレーをして作戦、心構えに目を通して選手控室に向かった。少しして李振恃が来た。私はそのとき李を見て勝ったと思った。その理由は2つあった。1つは汗をかいていない顔を見て調子が出るのがおそいし集中力に欠けるとみたからだ。もう1つはラケットをベンチに置いて手ぶらできたからだ。ラケットは武士でいえば刀だ、その刀を持ってこないようではもうすでに負けたと同然とみたからである。

 バックハンド対プッシュに打ち勝ち3-0で勝つ

 試合は李のサービスから始まった。
 やはり李は団体戦のときに効いたフォアハンドサービスをバック側からバックに長短をつけて攻めてきた。そして3球目をフォアでバック、ミドルに攻めてショートしたのをさらにバック、ミドルに攻めて私の弱点であるバックハンドを攻めるラリー展開。こちらがドライブでレシーブしたときは、ショートでフォアへゆさぶってドライブで返球したのをバックに止めるというラリー展開できた。3球目をやすやす打たせまいと力んでツッツいたために逆に浮いてスマッシュで得点されたこともあったが、前後左右のゆさぶりに対して良く動けてロング戦に持ち込んだ。
 そして私と李のいきつくところのラリー展開は必ず李のショート対私のバックハンドの応酬になる。サービスのときもほとんどそうである。ここからが勝負である。団体戦のときはプッシュにおされてフォア側に威力のないバックハンドを振ったのを攻めこまれてしまった。またクロスに打つボールでも、スピードのないバックハンドはまわりこんで打たれてしまった苦い経験がある。
 私は李のプッシュショートをよく動いて常にひきつけて威力のあるバックハンドを打ち、李の足を釘づけにした。私にはバックハンドスマッシュの決定打があるが李にはスマッシュがない。李は押され気味になるとプッシュをストレートに送って相手の態勢を崩してからバックをつぶそうとする。私はそれを逆にねらってフォアにドライブをかけてたたみかけるように攻撃して得点を積み重ねた。それとバックへ打つぞ、打つぞとみせかけてバックハンドでストレートに攻めつないできたのを左右にドライブをかけてポイントを積み重ねた。そして勝負どころではバック側に1バウンドで出てきたサービスをドライブでストレートに一発で打ち抜いたり、ショートでフォアにゆさぶられたのを思い切ってストレートに速いドライブで得点した。
 また試合前の①②④⑤⑦の作戦とどんなに大きくゆさぶられたボールに対しても絶対にあきらめない粘り強いプレーをしたこと。また勝敗にこだわらずにラクな気持ちでやったこと。気力、集中力が相手を大きく上回っていたし常に冷静にやったことなど、心、技、体が充実していたことが大きな勝因だった。
 反対に李は一球一球大事にしすぎて大胆さがなかったこと、決定打がミドルとバックがほとんどでコースがやや単調であったこと、団体戦のときと同じ作戦で新手がなかったことが敗因だったと思う。


筆者紹介 長谷川信彦
1947年3月5日-2005年11月7日
1965年に史上最年少の18歳9カ月で全日本選手権大会男子シングルス優勝。1967年世界選手権ストックホルム大会では初出場で3冠(男子団体・男子 シングルス・混合ダブルス)に輝いた。男子団体に3回連続優勝。伊藤繁雄、河野満とともに1960〜70年代の日本の黄金時代を支えた。
運動能力が決して優れていたわけではなかった長谷川は、そのコンプレックスをバネに想像を絶する猛練習を行って世界一になった「努力の天才」である。
人差し指がバック面の中央付近にくる「1本差し」と呼ばれる独特のグリップから放つ"ジェットドライブ"や、ロビングからのカウンターバックハンドスマッシュなど、絵に描いたようなスーパープレーで観衆を魅了した。
本稿は卓球レポート1975年9月号に掲載されたものです。
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