「作戦あれこれ」第15回 絶対に勝つ信念を持って戦え

絶対に勝つ信念を持って戦え

 1ゲーム負けて、2ゲーム目も、12対18、14対19、15対20などで土壇場に追い込まれる。またはゲームオールの最終ゲームにそのように追い込まれることが試合でよくある。
 私も何度も経験したが、とくに大事なチーム戦とか国体や全日本選手権などの代表がかかっている試合で追い込まれたときは、勝ちたい一心から実に苦しく、焦ってますます調子を乱して負けた、ということが何度もあった。
 とくに技術面も精神面も未熟だった中、高校時代は非常に多かった。全日本チャンピオンをとった大学時代、社会人になってからも大会がある度にといってよいくらい何度も追い込まれた。
 そして大きく離されたとき、よく逆転勝ちもしたが反対に一生懸命やろうとしているが心の中にもうダメだろうとか、勝てないだろうとか、ばんかいできそうもないだろうとかのあきらめの心が少しでもあったために、簡単に負けたりまたはその気持ちが逆転できそうな大事な場面で現われて弱気になって負けたことがよくあった。
 また高校生のときだったが、自分の心に負けもうあきらめて無理なボールをめちゃくちゃ打ったり、取れるボールも取らなかったり、気の抜けた打ち方をして凡ミスしたりして非常に悪い負け方をしたことがあった。このような試合はたとえ練習であっても相手に不愉快な気持ちを与え絶対によくない。そればかりかスポーツマンといえない試合態度であって、今思うと自分の精神面の未熟さをさらけ出して非常に恥かしいかぎりである。心、技、体、智の総合したものが本当の実力で、どんなに離されても下手なりに最後まで粘り強くベストを尽くさなければいけなかった。
 そのような態度のときは出ては負けで少しも進歩がなかった。

 できるだけ早く危機感を感じることが大切

 そのような土壇場に追い込まれたとき、負けることは簡単だが逆転することはなかなか容易でない。
 だが同じ人間で逆転できることはあってもできないということは絶対にない。しかしそれにはまず"絶対に勝つ"という信念がなければ逆転は不可能に近い。またそれでなければ本当の負けはあっても本当の勝ちはあり得ないことだと思う。
 そして1つの打法のミスの中にもいろいろ原因があるように、大きくリードを許したときもいろいろ原因がある。
 たとえば先に攻められているとか、レシーブが消極的だとか、バックにボールが集まりすぎているとか、ドライブにこだわりすぎてるとか、ショートにこだわりすぎているとか。カットマンでは反撃が多すぎるとか、1ヶ所のコースに集まりすぎているとか、あるいは勝敗にこだわりすぎているとか、固くなっているときとかいろいろある。
 このときに、それまでと同じ作戦や粘りだけではよほど運がよいか相手が急にくずれないかぎり逆転できない。思い切った作戦の転換と、思い切った精神面の転換が必要である。
 しかしそれには普通の気持ちの持ち方では、思い切った転換はなかなかできない。このままでは本当に危ない、勝てないという危機感を、しかも冷静に感じなければなかなか思い切った転換ができない。
 その危機感も20本のマッチポイントを取られてからやっと感じるとか、また5対18とか10対19などになってから危ないと感じる人がいるが、それでは手遅れの場合が多い。中には負けてからああすれば良かった、こうすれば良かったと気がつく人もいるが、もう試合は戻らず話にならない。できるだけ早く感じることだ。
 危機感を早く感じるようになるには勝ったときはなぜ勝ったか、負けたときはなぜ負けたのか、今のミスはなぜしたのか、という常に"なぜ?"を考えながらするのが良い。
 たとえばバック側から打つのがうまい選手に対して、つなぎのボールをバック側にばかり返して相手にスマッシュをされることがよくある。そのようなときは相手はバックから打つのは得意だし、これからはフォアにも多くつなごう。またはクロスに打つと待たれているからチャンスボールは思い切ってストレートに攻めよう。レシーブから払って積極的に攻めて勝ったときは、ヨシ、今の攻め方はいいからこれからも忘れずにやっていこう、というように1本1本"なぜ?"をつきとめていけば早い機会で相手に対して正確な作戦の転換ができる。普段の練習でも非常に大切なことでもある。

 思い切った作戦の転換が必要

 9対11とか、8対12という早いうちに危機感を持つことが大切だが、1本1本考えながらやっていても相手にうまく攻められたり作戦ミスで12対18とか14対20とかよくある。
 そうなったらそれまでの試合経過から冷静になっていいと思った作戦を決めることだ。このときに3つも4つもやろうとするとかえってダメになる。1つか2つの作戦が望ましい。
 それと、おそらくこのときにもうダメだろうとか、とても勝てないだろうとか、追いつめられた苦しい気持ちから、自分に負けそうな心。と、気力だ、強気でやるんだ、あきらめるんじゃないという、最後まで頑張ろうとする心と、必ずといってよいほど激しい戦いがあると思うが、まず自分との戦いに勝たなければいけない。
 そして大切なことは勝敗のことはできるかぎり考えない。逆に試合(戦い方)をあきらめる。それから一番いいと考えた作戦を思い切ってやる。または、もうこの作戦で負けたら仕方がないと無欲で思い切ってやるのがいい。このようにあきらめ(転換)の良さが逆転勝ちにつながることが多い。
 しかし相手が強い場合、どの作戦がいいかわからないときがあるが、そのようなときは迷わずもっとも得意のエースボールで攻め、チャンスボールは思い切って打つという作戦をとることである。
 その他に大切な精神面や考え方が3つほどあるが、それは私の逆転勝ちで一番思い出のある、初出場の世界選手権大会でゴモスコフと対戦したときの試合から参考にしてほしい。

 思い切った作戦の転換と、不動の信念で大逆転する

 その思い出の一戦は'67年にストックホルムで行なわれた世界選手権の団体戦で、日本の一番の強敵、ソ連チームと世界1を目指して対戦したときだった。
 日本は1対3の苦戦から3対3に持ち込み、次にどちらが負けても4対3の王手をかけられるチームの勝敗の鍵を握る大きなヤマ場で、全勝同士でぶつかった試合であった。また決勝進出を決める大事なチーム戦だった。
 試合前、いつものように「思い切ってやるんだ。足をしっかり動かすんだ。1本1本全力を尽してやるんだ。死に物狂いでやるんだ。私が負けたら日本は危ない、絶対に勝ってベンチに戻ってくるんだ。」と強い決意を持って臨んだ。
 試合は、1ゲーム目を取られ、2ゲーム目を取り、ゲームオールとなった。3ゲーム目に入る前「世界一のバックハンドを持つバック側に集めるのは危ない。フォアサイドとミドルを攻めるんだ」という作戦を立てて臨んだ。だが試合はサービス、レシーブを読まれ、ドライブを封じられ、左右に激しく振りまわされてしまった。中陣、後陣から両ハンドで守る一番悪いプレイになってしまった。また180センチ以上ある彼にはロビングも効かず、ついに13対19の土壇場に追い込まれてしまった。彼との対戦成績が1勝2敗で、ドライブ処理がうまく、絶体絶命といった言葉の方があっているかもしれない。先手、先手と攻められてもうどうしようもない感じであった。
 私はこのときいろんなことが浮かんだ。「実力の差で勝てないだろうか、もうダメだろうか、とても勝ち目はないだろうか」と思い、試合を投げ出したくなった。その弱い心と、「いや、あきらめてはいけない。最後の最後まで頑張るんだ、絶対に勝ってベンチに帰るんだ。死に物狂いでやるんだ。気力だ。」という最後まで頑張ろうとする闘志との激しい戦いが始まった。その戦いで絶対に勝ってベンチに帰るんだ、死に物狂いでやるんだという闘志が勝ち、またその闘志を信念として持った。ズルズルいきそうであったところを必死にこらえた。
 眉間(みけん)にシワを寄せ、集中して考え、少しでも考える時間を長くとるためにボールを拾ったあと少し曲がりながら戻ったり、なりふりかまっていられないほどもっとも苦しいときだった。

 決断

 そして、このとき試合経過からレシーブの構えに入るまでに次の2つの作戦しかないということを決断した。
 「台からさがったら勝ち目はない。中陣、前陣でがむしゃらに動いて、もっと得意のドライブで思い切ってフォアサイドを攻める作戦でいくんだ。バックハンドもフォアに打ち返すんだ。もう1つは、もう1本でも取られたら終わりだ。もし台から離されたら、守りはロビングではなく手首を強く使って回転をかけて伸ばし、少しでも威力のあるドライブボールにしてチャンスがくるまで粘るんだ。どんなボールでも絶対にあきらめてはいけない。」という思い切った作戦に切りかえた。もちろん積極的攻撃にすべてをかける気持ちでいた。
 また、あとのことを考えず1本ずつを全力投球するんだとも思った。はるか遠くに感じる勝利の道のりを、1本ずつの近くに見る勝利の道にかえた。
 やはりかなり勝敗にこだわって固くなっていたのだろう。ずいぶん気がラクになり動作も落ちついた。作戦の迷いも心の迷いも取れ、試合ひとすじに集中できた。
 私はいつもより少し多く間を取って、相手のフォアサイドをめがけて足を猛烈に動かし、ドライブで猛然と攻めた。一球一球に魂を入れて積極的に攻めた。彼も逆転されまいと攻め返してきた。だが7発、8発と攻め返すと粘り負けして彼の固い守備にミスが出はじめた。台から離されたとき、手首を強く使った伸びるドライブにつまってスマッシュミスが出だした。
 その度に私のからだからヨシ、ヨシと気力のこもった低い声と、1本だ、1本だとあとのことは考えないようにもした。
 16対19と追い上げたとき、彼の顔にやや焦りの色が見えはじめた。しかし自分の方がもっともっと苦しんだと苦しさを逆にエネルギーにかえて、信念をさらに強く固持し、1本1本に全力投球して戦った。そしてついに思い切った作戦の転換、不動の信念と勇気が大きな底力となって、8本連取という自分でも信じられない逆転勝ちに成功した。ベンチに戻ってチームメートから良かった、よくやったぞといわれても顔がこわばってうなずくだけであったが、勝ってベンチに帰れて良かったとつくづく思った。そしてチームも決勝進出を決め、その翌日鍵本選手や河野選手のすばらしい活躍があって朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)を破って念願の団体優勝を飾った。
 大会に入ってからチーム戦のことが心配で眠れない日が続いた。精神的にも肉体的にも苦しい試合の連続であっただけに、優勝が決まった瞬間、感激のあまりチーム戦で勝って初めて泣いてしまった。

 負けたら日本に帰らない執念と、練習量が逆転勝ち

 しかし、もし13対19のときに自分との戦いに負けていたら大逆転はあり得なかったと思う。
 みんなが寝ているときに走ったり、夜中の4時、5時ごろの明け方まで練習したり、毎日のようにバーベルやサーキット・トレーニングや400メートルのグランドを1人で30周から40周走ったりして鍛えた、体力と精神力。など一流選手の2倍以上やった練習量。
 日本を出発するときに、今は亡き母に「団体戦で負けたら日本に帰らないからね」と決意を持って出た。「絶対に勝つんだ」という、はっきりとした目標があったからこそ自分との戦いに勝ち、不動の信念と勇気が生まれ、逆転勝ちができたのだと思う。そして試合はやはり努力をしたものでなければ勝てないものだと私は思う。



筆者紹介 長谷川信彦
1947年3月5日-2005年11月7日
1965年に史上最年少の18歳9カ月で全日本選手権大会男子シングルス優勝。1967年世界選手権ストックホルム大会では初出場で3冠(男子団体・男子 シングルス・混合ダブルス)に輝いた。男子団体に3回連続優勝。伊藤繁雄、河野満とともに1960〜70年代の日本の黄金時代を支えた。
運動能力が決して優れていたわけではなかった長谷川は、そのコンプレックスをバネに想像を絶する猛練習を行って世界一になった「努力の天才」である。
人差し指がバック面の中央付近にくる「1本差し」と呼ばれる独特のグリップから放つ"ジェットドライブ"や、ロビングからのカウンターバックハンドスマッシュなど、絵に描いたようなスーパープレーで観衆を魅了した。
本稿は卓球レポート1976年5月号に掲載されたものです。
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