「作戦あれこれ」第23回 徹底したフォームづくり

 私は数々の思い出深い試合があるが、中でも高校3年の新潟国体で愛知県が2連勝した試合は、生涯にわたって思い出に残る大会の1つである。またこの大会前の私の練習は、これからがんばろうという人の練習、コンディション作りに役立つのではないかと思う。
 私は、この大会の優勝を目指して頑張ったがそれには次の訳があった。私がいた名電工(名古屋電気工業高校―現在は名古屋電気高校)は、毎日5時間前後の猛練習で昭和29年以来10年間全国大会で毎年1種目以上のタイトルを取り続けて、私が中学3年のときは久保田選手がインターハイのシングルス優勝。高1のときは馬場園選手が1年の最後の試合の全日本ジュニアで優勝。高2のときは名電工単独チームで国体で優勝、というようにインターハイ、国体、全日本ジュニアの内何か1つのタイトルを取るという輝かしい伝統校であった。
 高3のときは11年目の年で主将だった私は「一種目でいいからタイトルを取って何とかして伝統を守りたい。絶対に取って守るんだ」と、高2の国体優勝後から思い続けていた気持ちがさらに強くなった。また神経質であったせいか「もし一種目も取れなかったら合宿所の荷物をまとめて帰ろう」とか「二度と学校に来られないだろう...」と、余計なことまで心配し非常に緊張した毎日が続いた。
 それだけにトレーニングにおいても練習においても生活面においても必死だった。たとえば、5キロの早朝トレーニングをするとき走るのは遅かったが自分の限界に挑戦して走り、少しでも足、腰を鍛えようと思ったし、サーキット・トレーニングをするとき1秒でも正確に早くやるように心がけた。
 この年(昭和39年度)の最初の全国大会は、日本でオリンピックが10月に開催された関係でいつもより4カ月早い6月の新潟で行なわれる国体であった。私は当然この国体に全精力をかけた。というよりも、余裕がなかったために最初の試合から全精力をかけていくしかなかったからである。つまり最初の全国大会から背水の陣の戦いであった。
 しかし、全国制覇をするということは、誰もが知っているように口では簡単にいえても実際には並大抵の心、技、体の努力で出来るものではない。運もいるが優勝するには優勝できるだけの技術、緊張の連続の中で自分の力を出せる精神力、体力、決断力が備わっていなければ優勝できるものではない。私は2年のインターハイ、国体に出場して、自分の肌で全国レベルをどれくらいの力があれば全国制覇できるか大体わかっていたのは幸運であった。この年はレベルの高い選手が多くいた年で、東北地方には青森県の河野(現日本チャンピオン)宮城県に2年のインターハイのダブルスで2位になった山内(現全日本ランク8位)、村上。京都府には馬渕、岡田('64年インターハイ2位)、田阪('65年インターハイ1位)、熊本には中井。岡山には笠井('69年世界3位)などの強豪が揃っていた。
 このとき、他チームの状況、自分の力の状況から考えたことは、私はレシーブが比較的得意であったことから次の3つを強化目標にした。
 1.攻めを早くして、受身を少なくする
 2.凡ミスを少なくする
 3.どのコースにも打ちわけられるようにする
 つまり自分の主戦武器であるフォアハンドのフォーム作りと、フットワークの基礎作りでフットワークにスピードがつけばそれだけ攻めの早いプレイができる。それに、コントロールに自信がつけば思い切った攻撃ができることから、自然に威力のあるボールが打てる。また、パワーは攻めの早さにもつながる。しかもコートいっぱいに攻撃できやすい、と考えたからである。そして勝つには、1日2時間の基礎練習だけではたりないと思い、高3になってからは夜9時30分に規定練習が終わったあと、さらに12時頃までフォア強打対フォア強打。対ショートのフォア強打。ショートでオールサイドに、自分が取れるか取れないかというボールをまわしてもらいそれをフォアハンド強打で動く大きな動きのフットワーク。連続スマッシュの基礎練習を増やし、大会4日前ぐらいまで一球一球下半身と上体の全身を使う基本を忠実に守り、また試合と同じような気持ちで打ち続けた。おそらく基礎練習だけで1日に一万発以上打ったのではないかと思う。このころから右腕が太くなりだした。試合は夕方の6時30分から9時30分の間にゲーム主体でやった。

 すべてチャンスボールに見える絶好調
 
 大会は6月7日、8日の2日間、直江津市の中学校の体育館で行なわれた。このときの優勝の本命は確か東山高単独チームの京都府か、河野のいる青森県で名電工の単独チーム・愛知県はダークホース的存在だった。
 しかし、高校生の試合は分らないもので、京都府が1回戦で神奈川県に、青森県は大阪府に敗れる中で、愛知県は全員好調で1回戦で1点落としただけであとはストレート勝ちで決勝に進出した。私の調子はレシーブから3球目からすべてチャンスボールに見える好調さで、単複とも全勝だった。反対のブロックからは地元の期待に答えた大柄の強打・中山、左腕ドライブ・山川のいる新潟県が上ってきた。当然のように決勝前夜は大きなチャンスを迎えあれやこれや考えてなかなか眠れなかった。
 しかし試合は、不安とは反対に前日と同じようにレシーブも3球目もすべてチャンスボールに見えた。どんなに激しい動きをしてもからだを大きく使ってもバランスが崩れずピシッとフォームが決まっていることを意識できた。相手の動きがよく見え、動きやすい。その自信からサービスから3球目、レシーブから4球目を積極的に攻め得意のフォアハンドを十分に使うことができて単複に全勝し、左腕ドライブの近藤の活躍もあってストレート勝ちして2連勝を飾った。同時に全国大会10年連続優勝の念願の伝統を守り、思い出深い優勝を味わうことができた。

 徹底したフォーム作りとフットワーク

 私はこの大会前の練習から、コンディション作りでとくに3つの大切なことが含まれていると思う。1つは、自分の主戦武器であるフォアハンド・ドライブ、フォアハンド・スマッシュ、フォアハンドのつなぎなどの基礎となるフォア強打を徹底して打ち込み、フォーム作りをやったこと。と、フットワークをやったこと。それが激しい動きやからだを強く使っても安定したフォーム、相手の動きがよく見え凡ミスの少ないプレイができたのだと思う。主戦武器を完璧なフォームに近づける努力をすればするほど、私のドライブやスマッシュやつなぎボールなどの応用がよくなったように、カットマンであれば切れたカット切れないカットつなぎのカットなどの応用がよくなる。ショートをやり込めば、プッシュ性ショートやストップ性ショートなどの応用がよくなる。つまり主戦武器の強化は、総合強化で試合直前まで欠かせない練習といえるのではないか。私は大学1年で全日本初優勝したときもそうだった。1週間前から練習量を3時間ぐらいに減らしたが、練習の半分近くは必ずフォアハンドのフォーム作りと、ショートでオールサイドに回してもらいそれをフォアハンドで動きまくるフットワーク練習をやった。大学3年で世界選手権シングルス初優勝したときもそうであった。ベストコンディションで戦えたことが多かった。
 反面、高3のインターハイや、大学2年のアジア大会のシングルスの決勝で負けたときやその他の大会で不成績に終わったときは、ゲーム練習や応用練習がほとんどでフォーム作りの基礎練習をやっていなかったときが多かった。このようなことからも、フォーム作りとフットワークは中学生、高校生だけでなく、大学生、社会人になってからもいかに大切かといえると思う。だが、インターハイや全日本を見ると、最近凡ミスの多い試合が多い。その1つの大きな原因は試合前もふだんも自分の主戦武器の打ち込み、フットワークの基礎練習が足りずフォームがしっかりできていないからではないだろうか。全体的にもう1度、基礎練習の効果をじっくり考える時期に来ているように思えてならない。また、いくら作戦といってもその前で凡ミスが出るのでは作戦を立ててもできないし、戦う前にすでに負けている人であるともいえる。
 試合前も、ふだんの日も、もっと主戦武器の基礎練習をやる必要があるのではないかと私は思う。

 基礎練習、トレーニングも試合と同じ気持ちで

 2つ目は、基礎練習、トレーニングをやる時から試合と同じ気持ちでやったことも絶好調になった大きな原因だと思う。このとき「国体で勝たなければもう勝てないかもしれない」と思いながら、一球一球試合と同じ気持ちで打った。今の打ち方ではダメだ、もっとボールを引きつけて打たないといけないとか、動いて足腰を入れて打たないといけないとか強打するときは踏み込んで打たないといけいとか...、というように少しでもフォームが安定するように工夫しながらやった。また、優勝を目指した練習は集中力、気力が高まってすごかったように思う。
 トレーニングにおいてもサーキット・トレーニングをするときは、1秒でも正確に早くやり、敏しょう性とスピードを養う。5キロのランニングにおいては、実力では5、6位だが自分の限界に挑戦して1位を目指した。苦しいときは、今19オールだ、ジュースだと考えて走った。そうして体力、気力、精神力、決断力を養うようにした。このように1日2~3時間のゲーム練習はもちろんのことだが、基礎練習、体力トレーニングにおいても試合の気持ちになってやったからこそ、優勝できたと思う。練習のときより緊張したが、ちょうど良い緊張具合で身が引きしまり、猛烈な気力で勢いに乗り練習以上の力が出たのが絶好調となったのだろう。
 もう1つは、コーラやジュースを飲まず、水分を取るときは栄養のある牛乳とかトマトジュースとか野菜ジュース、あるいは果物を食べることを守り通したことも大きい。
 だが、わたしには飲み物の失敗も多い。とくに印象に残っている試合は、'66年の夏にあった北京国際招待大会のジュースの件である。朝鮮との準決勝の試合が終わった直後、猛烈に疲れていた私は飲み過ぎてはダメだと思いながら、からだが暑くてジュースを4本ガブ飲みした。そのために全然食欲がなく、からだ全体がダルくて翌夕の中国との決勝は全く不本意な試合をして2戦2敗。その内容も散々たるものであった。
 しかし、もし世界選手権のときのように"絶対に勝つ、アジア選手権に絶対に勝つ"という信念があったら、己に負けずジュースをガブ飲みせずふつうの状態でできたように思うが、何が何でもという信念が薄かった時は悪かった。
 このように、大会の目標に絶対に勝つという信念を持てば、相手の状況と自分の状況から練習内容がわかるだけでなく、強い意志が生まれ、心、技、体の心構えがちがってくる。それがまた、執念や己に勝つ気力や油断のない精神面など心、技、体すべてのエネルギーとなり、コンディション作りには欠かせない。だからといって、力のない人までがあまりにも高い目標をかかげるのは急にできるものではなく、からだをこわしてしまうし、もし時間内でやろうとしたら中身の薄いものになってよくない。それよりも自分の力より少し上の目標を持って、自分の主戦武器を十分鍛えるようにした方がいいだろう。

 心・技・体のどれが欠けても勝てない

 私は、高3のインターハイのときは基礎練習が少なすぎたために5回戦で敗退。大学3年の全日本のときは、トレーニング不足で準決勝で敗退。大学2年の北京国際招待大会はジュースの飲み過ぎで団体戦で完敗というように、心、技、体の中で何か1つかけていた場合は一度も勝ったことがない。裏を返せば勝負の世界はそれほど厳しいもので、心、技、体の全般にわたって努力しない人は必ず伸び悩み落伍していく者が多い。だが反対に、はじめは弱くても、また素質がないといわれても、心、技、体にわたって基本を守り、人の3~4倍がんばれる人、そして個性のあるプレイをする人が大きく伸びる。
 コンディション作りもそれと同じである。走ったり、サーキット・トレーニングによる基礎体力作りからスピード、体力、持久力、気力を養う。自分の主戦武器のフォーム作りとフットワーク。規律正しい生活、正しい食生活、飲み物などは絶対に欠かせないことである。



筆者紹介 長谷川信彦
1947年3月5日-2005年11月7日
1965年に史上最年少の18歳9カ月で全日本選手権大会男子シングルス優勝。1967年世界選手権ストックホルム大会では初出場で3冠(男子団体・男子 シングルス・混合ダブルス)に輝いた。男子団体に3回連続優勝。伊藤繁雄、河野満とともに1960〜70年代の日本の黄金時代を支えた。
運動能力が決して優れていたわけではなかった長谷川は、そのコンプレックスをバネに想像を絶する猛練習を行って世界一になった「努力の天才」である。
人差し指がバック面の中央付近にくる「1本差し」と呼ばれる独特のグリップから放つ"ジェットドライブ"や、ロビングからのカウンターバックハンドスマッシュなど、絵に描いたようなスーパープレーで観衆を魅了した。
本稿は卓球レポート1977年2月号に掲載されたものです。
B!

Recommend

おすすめ記事

■その他の新着記事

■その他のカテゴリ一覧