「作戦あれこれ」第28回 できるだけコートから離れるな

 最近のロングマンの試合の傾向として、前陣攻撃型、ショート主戦型、ドライブ型のすべてのロングの攻撃型に共通していえることは、少し不利な態勢になると相手の動きも見ずにすぐにコートから離れてしまうプレイを多く見受けるが、これはよくないプレイである。たとえば1歩2歩後退して高いロングで返したり、ドライブで返したり、またはロビングで返したりする。
 しかし、次のような場合は仕方がない。
 ①相手が強打してきたとき
 ②自分の態勢が崩れて、態勢を立て直すのに時間を要するとき
 ③相手の打球に対して、これはコートから少し離れて待ち構えた方が良策だと思ったとき
 このようなはっきりとした判断を下したときは、少しの間も入れず相手の打球に応じて1歩、2歩後退した方がいい。だが相手の動きも何も考えずに後退するのはよくない。ロビングを1つの主戦武器とした私がこのようなことをいうとびっくりする人がいると思うが、私にも相手の動きを見ないでコートから離れて負けた苦い試合経験がたくさんあるからである。とくに印象に残っている試合は次の2つである。
 高校3年のとき、高校生活最後の大会であった全日本ジュニアに出場した時だった(このころは高校3年生も出場できた)。私は、その秋高校代表で中国で行なわれた北京国際招待大会に出場した年で、高校日本代表だった名にかけても優勝争いに加わりたいと思っていた。しかし結果は、4回戦でショートのうまい柏選手(高輪高―青学大)に負けられないと思った余り、相手が強打に転じてきたときにコートからすぐ離れてロビングで返したために、ますます悪いラリー展開となり思いがけぬ相手に負けてしまった。そのとき観覧席から見ていた中国遠征にも一緒にいった当時日本チャンピオンだった小中選手から、あまりにコートから離れて拾ってばかりの試合に「長谷川の卓球は"クズ屋"だな」と忠告を受けたほどだった。
 もう1つは、全日本3連勝がかかっていた、大学3年生の'67年度全日本選手権の準決勝で、木村興治選手('61年、'64年全日本No.1)と対戦したときだった。木村選手も私もドライブで長いラリーの攻防戦を展開した。そして、試合はフルゲームにもつれ込んだ5ゲーム目、木村選手は全身の力を振り絞って積極的なドライブ攻撃をしかけてきた。このとき、私も負けずに力対力のラリーの勝負に出れば良かったが、5~6本ドライブで打ち合った後、粘り負けして一歩後退してやってはいけない守りの態勢に入ってしまった。そのためにますます悪いラリー展開となり、12-18と大きく離され、結局ロビングによる守りには限界があり16本止まりで敗れ3連勝の夢は消えた。
 今春行なわれたバーミンガム世界大会のシングルス5回戦で世界チャンピオン・ヨニエル(ハンガリー)が負けた試合もそうであった。
 ヨニエルの技術をもってすれば、伏兵・ビロチュウ(フランス)のドライブ攻撃は中陣で打ち返せたはずなのに、中陣から後陣にさがりビロチュウにいいように攻撃され1対3で敗れた。また、女子の試合にもあった。女子シングルスの5回戦で、ナイト(イングランド)が中陣から積極的なドライブ攻撃で、世界チャンピオン朴英順(朝鮮)を押し気味に試合を進めたが、大事な中盤から朴英順に1発ドライブをかけられると、コートからズルズル離れ自滅した。この試合、ナイトが積極的に攻めていれば朴英順はドライブが返せなかっただけに、勝つチャンスが十分にあり惜しい試合であった。
 おそらく、このような試合をほとんどの人は数回経験していると思うが、コートからすぐ離れることはよくなく、何の根拠もなく後退するのは敗北への道である。また、そのような試合を見て次の5つのことも強く感じられた。
 ①台から遠く離れた位置から打つときは、大きなスイングで打つために簡単にコースを読まれてしまう
 ②打つときに相手の動きが視界に入りにくいために相手の意表をつくコースがつきにくくなる
 ③コートから大きく離れると、前にも攻められるし両サイドの横の動きも大きくなり、前後と両サイドに攻められやすく相手の攻撃が読みづらくなって損
 ④とくにピッチの速さで勝負する表ソフトの選手がコートからさがると極端に威力が落ち不利なラリー展開となる
 ⑤コートから離れた位置から相手の強打を強打で返すことはなかなかむずかしくミスが出やすい
 これら5つのことは、どれも「私の負けです。攻めてください」と言わんばかりの悪い戦術で、やはり確率の高い中陣から前陣でプレイをすることである。

 カットマンも離れすぎはよくない!

 コートから離れてプレイをするカットマンはどうか。やはり、ロングマンと同じように余りコートから離れすぎてカットすると球威が落ちるし、引きつけられないためにカットが浅く入ったり、高く浮いたりしてコントロールが落ちる場合が多い。
 たとえば、バーミンガム世界大会の団体戦で、高島対シュルベク(ユーゴ)の試合がそうであった。高島は1ゲーム先取された2ゲーム目、シュルベクのパワードライブを何とか守ろうとしてレシーブしたあとコートから遠く離れて構えた。それを見たシュルベクは、チャンスボール以外は少しゆるいドライブで粘った。そのシュルベクのつなぎボールに対しても離れて取った高島は、ボールを十分に引きつけられずにカットが浅くなり、結局浅いカットを両サイドに強烈なドライブで打ち込まれて、10本で敗れるという実力以上の差がついてしまった。高島選手のように守備範囲の広いカットマン、正確なコントロールを持つカットマンでもコートから離れすぎると浅く入ったり、高く浮いたりする。ふつうのカットマンであればなおさらのこと。
 では、ふつうのドライブマンやバックハンド攻撃を得意とする前陣攻撃型がプレイする理想の位置は、バックハンド攻撃ができる位置から前。前陣攻守型であればショートができる位置から前が望ましい。カットマンであれば両ハンドの変化カットがつけやすい位置から前が望ましいが、その攻撃しやすい位置でプレイするにはどうしたらよいか考えてみよう。

 強い意志と自信、スキのない姿勢、相手の動き、相手のクセ、球質を知り位置を取る

 自分の攻撃しやすい位置でプレイするには、いろいろあると思うが主に次の4つのことが必要だと思う。
 ①まず一番には、強い勇気と自信を持ってプレイすること
 ②無防御、無攻勢の姿勢でなく、ツボに来たときは攻撃ができる。打ち返せないときは守りもできるスキのない正しい基本姿勢で構える
 ③相手の動きをよく見て返しやすい位置をとる。たとえば、相手の態勢がやや不十分なときはそのままの位置で構える。反対に十分な態勢のときはいつもの位置より1歩さがって待つ
 ④相手の性格やクセを考えて待つ。たとえばチャンスボールは流し気味のボールでコースをついてくる相手にはいつもの位置、もしくは心持ちさがって待つ。反対に、チャンスボールは必ずスマッシュを打つ相手には、前陣攻守であれば1歩さがって待つ。ドライブやカットマンであれば2歩から3歩さがって待つ
 というように、勇気、自信、相手の動きや性格からくるクセなどから位置をとることである。

 トレーニングと守りの練習によって強い意志と自信をつけよ

 しかし、相手の動きやクセなどが分かっていながら強く打たれると何でもすぐコートから離れる人がいる。また、コートから離れてはいけないと思いながら自分の意志が弱くてさがる人がいる。このような人は、まだプレイに自信のない人や、意志の弱い人、勇気のない人に多く見かける。
 たとえば、私が全日本ジュニアで柏選手、大学3年の全日本の準決勝で木村選手(早大―ゼネラル石油)に互角以上に戦える戦力を持っていながら負けたのも、中陣からの打ち合いに自信がなかったことと、意志が弱かったこと、勇気がなかったからだった。2つの試合の中でもとくに木村選手に負けた年は、世界チャンピオンになった年でしかも油が乗り切っていた20才。対する木村選手は25才ですでにパワーが衰えはじめてすんなり勝つ絶好のチャンスだった。しかし木村選手は'61年、'64年の全日本No.1や社会人の意地、またこれから活躍してもらう若手にやすやす勝たせてはいけない、という気持ちがあったのだろう。すごい気迫と弱点をつくうまいプレイに、私はズルズル後退して敗れた。
 中には「自分はすぐにさがってしまうからいつまでたっても強くなれないのではないか」と思っている人もいるだろう。しかしそんなことは絶対にない。
 そのようなことを鍛える練習をしていないから、である。では、高校時代から社会人までの私の練習、また全日本合宿の時の伊藤、河野、田阪、井上等の一流選手の練習方法を紹介しよう。

 強打対強打の練習、止めの練習で強化

 ①河野、田阪、井上選手は前陣で、伊藤選手や私が中陣から前陣で一番良いプレイをしていたときは、やはり前陣から中陣でスマッシュ対スマッシュ。伊藤選手と私は、それと強ドライブ対強ドライブの引き合いの練習が多かった
 ②河野、田阪、井上選手は、ショートを相手に連続スマッシュしてもらい、ショートで止める練習。田阪選手は社会人1年目と2年目のときに①と②の練習をたくさんやってグーンと伸び、第3回全日本選抜大会とその年の第6回全日本社会人選手権で前陣に徹し初優勝を飾った
 ③全日本の合宿で全員の選手が良くやっていたのは、フォアハンド強打で両サイド1本交替に打ってもらったのをフォアハンドで動いて強打で返す
 ④それと、フォアハンド強打で全面に打ってもらい、フォアハンドで動いて強打で打ち返す。伊藤選手は'69年ミュンヘン世界大会で、③と④の猛練習からほとんどフォアハンドで動き優勝を飾った。'67年のストックホルム世界大会のときの合宿でも男女ともこの練習を多く取り入れ、7種目中6種目に優勝した
 ⑤私の母校の名電高では、①から④の練習と、両クロスから中陣で全面に打ち合い、フォアハンドで動く練習
 ⑥コートから1mのところに白いテープを張り、ショートやフォアハンドで動かしてもらったのを、1m以内のところでフォアハンドで動いて返す練習などもやった
 ⑦みんながあまりやらない私独特な練習は、相手にドライブ性ロングサービスを出してもらったのを、少し高めのショートで上げる。そして3球目をスマッシュしてもらいそれを中陣や前陣で打ち返す。この練習は、動きの速さやもどりの速さだけでなく、勇猛心をつけるのに非常に役立った。
 ⑧また、バッククロス、バックストレートのコースで相手のフォアハンド強打に対してバックハンド強打で打ち返す。この練習は、バック側を厳しく攻めてくる対中国のときの李振恃(リシンジ)、許紹発(キョショウハツ)、郗恩庭(キオンテイ)戦で大変に役立った。
 このように、私に限らず、河野、伊藤、田阪、井上の各選手が好調な試合をしたときは、このような強打に対して強打で返す練習が非常に多かった。中国の攻撃選手も同じような練習を多く取り入れていた。
 つまり、強打を強打で返す。強打をショートで止める練習から勇猛心、自信をつけるだけでなく、速い動き、速い戻り、正確なボールの引きつけ、正しい攻守の姿勢(基本姿勢)が強化されることから、中陣からの攻撃に威力がつく。また、多少態勢が崩れた場合でも速く立ち直れることから、有利な位置で試合を進めやすい。すると得点力がグーンとちがってくる。このようなことから、コートからすぐ離れる消極的なプレイをする人は、強打対強打、強打対ショートの練習をやり、できるだけ両ハンドで攻撃できる位置で戦えるようにすることは大変に重要なことである。
 私は大会があるごとに、試合の心構えを立てたが「コートから簡単にさがるな。できるかぎり中陣から前陣で戦え」と常に書いていたし、自分の心に常に言い聞かせてプレイした。



筆者紹介 長谷川信彦
1947年3月5日-2005年11月7日
1965年に史上最年少の18歳9カ月で全日本選手権大会男子シングルス優勝。1967年世界選手権ストックホルム大会では初出場で3冠(男子団体・男子 シングルス・混合ダブルス)に輝いた。男子団体に3回連続優勝。伊藤繁雄、河野満とともに1960〜70年代の日本の黄金時代を支えた。
運動能力が決して優れていたわけではなかった長谷川は、そのコンプレックスをバネに想像を絶する猛練習を行って世界一になった「努力の天才」である。
人差し指がバック面の中央付近にくる「1本差し」と呼ばれる独特のグリップから放つ"ジェットドライブ"や、ロビングからのカウンターバックハンドスマッシュなど、絵に描いたようなスーパープレーで観衆を魅了した。
本稿は卓球レポート1977年4月号に掲載されたものです。
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