「作戦あれこれ」第34回 レシーブから積極的に攻めろ

 「レシーブのうまい選手は、高校、大学、あるいは日本、世界をも制することができる。だが、レシーブの下手(へた)な選手は、小さな大会をも制することができない」というのが、常々の私の持論である。また「レシーブには、大胆さと緻密(ちみつ)さがなければならない」とも思っている。
 私は最近、中・高校生からママさん選手まで幅広い範囲に渡って試合を見る機会が多い。が、最近の試合を見るたびに、レシーブの悪さを強く感じる。その中でも特に練習が十分にできる環境にあるはずの高校生、大学生にレシーブ力不足が目立ち、このチームは一体真剣に練習をやっているのだろうか、と疑問をもつことさえある。また、レシーブの悪さから自然とその人の卓球スケールが小さくなり、卓球というスポーツを自分自身にも、見る人にもつまらなくしているように思えてならない。
 たとえば最近、特に多いのはロングマンがバック側のショートサービスに対してバックのツッツキでしか返せない。ロングサービスに対してもショートかバックのツッツキでやっと返すことしかできない。また、フォア側のショートサービスに対しても払えずにツッツキか短いストップでしかレシーブできない。カットマンも同じで、フォア側のショートサービスに対してツッツキでしか返せない。また、相手のドライブ性ロングサービスや、カット性ロングサービスのくるコースがわかっている時でも、カットでしか返せないなどの欠点がある。
 このように、レシーブの番にまわると相手に打ってください、といわんばかりの返球をするためにせっかくいい技術を持っていても、何もできないまま終わる選手がたくさんいる。そのような試合を見るたびに、もっとレシーブ練習を真剣にやればかなりのところまで勝ち進める選手になれるのになぁ、と思うことがよくある。
 とはいうものの、私にもレシーブが大変下手な時代があった。またこれは、どんなに強くなった人でも必ず一度は通る道である。が、このことを早く気づくかどうかによって、その人の卓球人生が随分と違ってくると思う。
 私の例をとりあげると、特に高校1年生のはじめの頃のことが強く印象に残っている。このころの私は自分の実力を、卓球を本格的にやり始めて2年7ヵ月ぐらいではあったが、フォアロングはまあまあ打てるしツッツキをドライブで攻められるし、スマッシュもまあまあできるので自分はそんなに下手ではないと思っていた。だが、レシーブの時、バック側のショートサービスに対して、フォアハンド系の技術で返そうと思っても回り込むとフォア側が大きくあいて次をフォア側へ返されたら打ち返せないのではないかと思い、バック側のショートサービスに対してほとんどバックのツッツキでの消極的なレシーブでしか返せなかった。それでもときどき勇気を持ってフォアハンドで払ったが、やっと払うだけの威力のない消極的なレシーブでしかなかった。
 そのために、レシーブに回ると先手、先手と攻められ、4本平均取られ、夜6時30分から9時まで毎日のように行なわれたリーグ戦では、恥かしい話だがいつも一番下手な集まりである2部リーグの最下位あたりを低迷していた。またもう1ついえることは、レシーブのときの攻め方をよく知らなかったことと、レシーブそのものの目的をよく知らなかったのも勝てなかった大きな原因であった。
 この私の例からわかるように、消極的なレシーブをいつまでも続けたり、レシーブのときの攻め方を知らないと相手の思う壺にはまり、いつまでも勝てない。

 有利なラリー展開へ持ち込めるように返す

 では、レシーブというのはどのような目的を持って行なわれるのだろうか。
 卓球競技は、1ゲーム21本3ゲームズマッチまたは5ゲームズマッチで、2ゲーム先取、3ゲーム先取によって勝ち負けを争うスポーツであるから、やはり少しでも有利なラリー展開へ数多く持ち込めるように、レシーブは行なわなければならない。
 その目的のため、たとえばショートサービスを出した相手が①ツッツキレシーブやストップレシーブにヤマを張っているときは鋭く払って返す②払ってくるレシーブにヤマを張っているようであれば、ストップレシーブで返す。③3球目をバック側に回り込もうとしているときは、フォア側へ返す。その逆に④フォア側を警戒しているときは、バック側へ返す...のがよい。また⑤サーバーがロングサービスを出して、ドライブでのレシーブを待っているときは強打かスマッシュで打ち返す。⑥強打かスマッシュでのレシーブを待っているときは、ドライブに変化をつけてレシーブするというように、常に相手の逆をついて有利なラリー展開へ持ち込めるようにレシーブすることである。
 カット型であっても、ときにはフォア側のショートサービスに対して、フォア側へ鋭く払ったり、来るコースがわかっているロングサービスであればフォアハンドスマッシュやドライブで攻め、相手に落ち着いてカットを打たせないなどのレシーブの幅を身につけたいものである。最近のカットマンは、男女問わずレシーブの種類がカットのみで相手の意表をつくレシーブがなく、実に単調な選手が多いように思える。そのために、カットマンが相手に3球目から十分な態勢でカットを攻められていることが多い。つまり、攻撃型もカット型も、レシーブからできる限り相手の意表をつき先手を取る。もしくは互角のラリーに持ち込みその後のラリーの主導権を握れるように、よく考えてレシーブすることが大切である。そういったレシーブをするためには、レシーブの時に大胆さと緻密さが必要である。

 積極的に攻めて初めて勝つ

 私には、このような積極的なレシーブでのなかでも払うレシーブについて強烈な印象が残っている試合が2つほどある。
 1つは、私が高1のとき、バック側のショートサービスに対してレシーブから攻められるようになったときのことである。9月頃だったと思う。やっと規則的なフットワークが正確に動けるようになったころだった。ある日の部内リーグ戦で荻野先輩と試合をするとき、いつも同じ負け方ではいけないと思い、今日は負けてもともとだからバック前のショートサービスを思い切り動いてフォアハンドでクロスに打とうと、試合前に決心した。荻野先輩とは、2年生の中で一番強かった選手でいつも13~15本ぐらいしか取れなかった。
 荻野先輩は、いつものように私の弱点であるバック側のショートサービスを主体に出してきた。それに対して私はこのサービスを初めから狙っていて最初の5本のレシーブのときこそミスが出たが、2回目のレシーブがまわってきたときもこのサービスを思い切り動いてミスを恐れずバック側に鋭く払った。このときレシーブは、バウンドの頂点を小さいフォームでうまく打てたことからボールにスピードがあった。荻野先輩はびっくりしてからだをのけぞるようにしてショートで返球。このために、ショートが甘いコースに返ってきた。私はチャンスだと思い、思い切り攻撃して得点した。しかし、こうして得点はしたもののまだ偶然に得点できたぐらいにしか思わなかった。だが、このあと考え方がガラリと変わっていった。
 勝ち気な荻野先輩は、何くそと思って次もその次も同じコースに出してきた。それに対してまたも思い切り動いてフォアで払い3球目攻撃を封じ、次に返って来たのも前と同じように得意のフォア攻撃に結びつけて得点できたからである。このとき私は、初めて「バック側のショートサービスに対してフォアで回り込んで攻めた方が、4球目攻撃も自分の最も得意なフォアハンド攻撃に結びつけやすい」ということに気がつき学んだ。またこのとき「おそらく他のレシーブのときもそうであろう」とも考えた。そして「今までバック側のショートサービスをフォアハンドで回り込むと、フォア側が大きくあいて次のボールを攻めることができない、という考え方は間違っていた」ということをも学んだ。
 強烈に思っただけに、その後もレシーブをフォアハンドで積極的に攻めた。もちろんツッツキで返したときもあったが、ツッツいたときも荻野先輩は払われるかもしれないという先入観があったのだろう。いつものような歯切れのいい動きがなく、3球目をツッツキで返したりつまりながらドライブで返したりすることが多く、反対に私は4球目を得意のフォアハンド攻撃に結びつけることができ、試合をやりながら「レシーブから積極的に攻めると、相手の足の動きが止まり、ツッツキや軽く払って返すレシーブまで3球目を攻められずにすむ。レシーブは積極的に払って攻めることが絶対に大事だ」ということも同時に学んだことは実に大きかった。
 そして試合は、レシーブのときにいつもの試合より数倍も得意のドライブ攻撃に結びつけることができ、入部以来はじめて荻野先輩を破った。そのような好結果を収めることができたし、強い相手に対してはじめて試合らしい試合ができただけに、そのときのプレイやコート荻野先輩の表情など、すべてが今なお脳裡に焼きついている。

 ダブルスに強い選手になれる

 また、ショートサービスを強く払えるようになるとダブルスにも強い選手になれる。
 ダブルスに強かったのは、何といっても昭和42年、43年度の全日本選手権で2連勝を飾った、伊藤・河野組であった。
 その強さの秘密は、両選手ともレシーブが実にうまかったからである。2人のレシーブは、スピードがあるだけでなく、左肩をグッと大きく入れてバック側にも打てる態勢からフォア側へ鋭く打つので、どこへ来るかなかなか見分けにくい。私は彼らとの試合中、3球目をバック側に構えて待っているのでちょっとスタートが遅れれば一発でフォア側へ打ち抜かれてしまうのである。また、その先入観から普通の選手であれば攻められるバック側への短いストップやバック側に少し強く払われたボール、またはフォア側に短く止められたレシーブに対して思い切った動きができずつないで返したのを常に先手、先手と攻められた。私は、伊藤・河野の両選手が組んだペアには3度対戦したが、ついに一度も勝つことができなかった。
 このように、相手のレシーブを自由な位置で待ち構えられるダブルスでも、相手がクロスに強く払うレシーブ技術を持っていると、思い切り動けないものである。また、バックハンド攻撃やプッシュ性ショートの攻撃をも封じやすいものである。
 私が、大学1年のときに木村選手を破って、18才の史上最年少の全日本チャンピオンになることができたのも、ドライブだけでなく鋭く払う大胆かつ積極的なレシーブに加え、回り込んで両サイドに短くストップを入れるなどの緻密なレシーブをしたのが、大きな原動力となっていたと思う。

 今回は、積極的なレシーブの持つ意味の概略しか述べられなかったが、この続きは6月号で述べることにしよう。



筆者紹介 長谷川信彦
1947年3月5日-2005年11月7日
1965年に史上最年少の18歳9カ月で全日本選手権大会男子シングルス優勝。1967年世界選手権ストックホルム大会では初出場で3冠(男子団体・男子 シングルス・混合ダブルス)に輝いた。男子団体に3回連続優勝。伊藤繁雄、河野満とともに1960〜70年代の日本の黄金時代を支えた。
運動能力が決して優れていたわけではなかった長谷川は、そのコンプレックスをバネに想像を絶する猛練習を行って世界一になった「努力の天才」である。
人差し指がバック面の中央付近にくる「1本差し」と呼ばれる独特のグリップから放つ"ジェットドライブ"や、ロビングからのカウンターバックハンドスマッシュなど、絵に描いたようなスーパープレーで観衆を魅了した。
本稿は卓球レポート1978年4月号に掲載されたものです。
B!