「作戦あれこれ」第38回 まずバックを攻めてからフォアを攻めて勝った大屋戦

 大屋正彦選手(日本楽器・'71年、'73年世界選手権出場)とは数々の試合の思い出があるが、中でも最後の対戦となった全日本ベスト8をかけての試合(昭和49年度)が特に印象深い。
 大屋選手は、社会人になってから徐々に力をつけてきた選手で、そのせいか大変勝負強い。特に終盤戦に強くすこしぐらいリードを奪っていても全く気の抜けない相手であった。当時は"ドライブの引き合いでは日本一"と言われる強さを持ち、全日本の2ヵ月前にあった社会人選手権では準々決勝で対戦して、ドライブの引き合いで押されゲームオールの9本で完敗してしまった。以前でも、ちょっと私に体力や集中力がないと、彼の得意のドライブからのスマッシュを浴び、社会人までに2敗を喫しており日本選手の中で最も勝率が悪かった。
 そのため、社会人が終わってから全日本になるまでの期間、私は対大屋を想定してドライブの引き合いの強化やサービス、バックハンドレシーブなどの練習に重点を置き、また走り込んで体力・気力・集中力の強化に努めた。
 全日本にむかっての私の調子は、運の良いことに'72年の夏から悩み続けていたグリップの問題が古いラケットに変えたところ解消したので登り坂であった。

 彼が小川選手に2ゲーム落としたのを見て自信を持つ

 この年の全日本は11月13日から駒沢屋内球技場で開催された。私と大屋選手は同時刻の試合が多くてなかなか彼の試合を見て研究できず、やっとできたのは彼がランキング入りをかけてカットの小川選手(川鉄千葉)と対戦した3日目の最終戦になってからだった。
 私は、二人のうちの勝者と翌日の初戦で顔を合わせるせいもあり、観覧席からじっと試合のなりゆきを見守った。
 試合は、好調の小川選手が変化カットで大屋選手の強弱のドライブを拾いまくり先に2ゲーム先取した。
 私は「小川選手に勝ってもらいたい」と心の中でつぶやいた。が、ここから大屋選手の後半の強さが出て小川選手もよく戦って好試合を演じたものの逆転されてしまった。
 大屋選手の勝利が決まった時、私は不安と同時に明日の試合に対する自信をもった。なぜならこう考えたからだ。「今日の私の調子なら、小川選手と対戦しておそらく1ゲームも落とさず勝っただろう。なのに今、大屋選手はやっとの思いで勝った。しかも、小川選手の重い変化カットを5ゲームも続けて打てば誰でも体も肩も疲れる。おそらく明日の9時からの対戦までには十分に疲れはとれないだろう。そのうえ、勝負感もにぶっているように思える。絶対にチャンスだ」と。
 私は強敵と思われる相手と対戦する前には、その時の自分の長所と相手とを比較して、少しでも自信をつけてから試合に臨むようにしたが、この時も大屋選手が小川選手に2ゲーム落としたのを見て、技術・精神・体力面に大いに自信をもつことができた。

 レシーブから積極的に攻める作戦を立てる

 私は家に帰り食事をしたあと、いつもの全日本と同じように決勝までぶつかりそうな相手1人1人に対して作戦を立てた。そのほうが、優勝することの厳しさがはっきりとわかり、1本1本気を引き締めてがんばれるし試合と試合の間が短い時間しかないときに助かる。また、全員の作戦を立てたほうが安心して眠れるなどコンディション作りにも役立つからであった。
 私は大屋選手との対戦を想定して社会人選手権を反省しながら、次のような作戦をたてた。

 レシーブでの作戦

・大屋選手はサービスのときには、全日本社会人で効いたときと同じように、バック側の短い変化サービス主体に出し、ときどきフォア側に短い変化サービスとドライブロングサービスを出してくるだろう。社会人のときはうまくレシーブできなかったので3球目攻撃を浴びそのあと威力あるドライブでバックを攻め込まれてしまった。しかし、私がたまにうまくレシーブで攻めたときはドライブ攻撃に結びつき押していた。彼のサービスは回転自体はそれほど変化がない。
・バック側に短くきた変化サービスは、思い切り動いてフォアハンド強打とバックハンド強打でバックサイドの白線めがけて攻めるプレイを主体にする。そうして、彼がゆるいドライブやショートでつないできたら、私が十分な態勢のときは思い切り両ストレートへ攻撃する。不十分な態勢のときはもう1本バックサイドの白線をめがけてドライブ。もしくはタイミングの早いショートで返し次を思い切りストレートにドライブ攻撃をする。また、不十分な態勢でもなるべくストレートにもっていって逆をつくようにする。そして、ときどきフォアへ思いきって払ったりツッツキに変化をつけてレシーブし、レシーブのコースを読ませないようにする。
・フォア側にショートサービスがきたときは、フォアへ鋭く払うレシーブを主体にする。そしてときどきストレートへ払ったり回転に変化をつけたレシーブで返し、その後思い切り動いてドライブで積極的に攻める。
・ロングサービスやコートから1バウンドで出てくるショートサービスがきたら、余裕があるときはストレートへ、ないときは強く回転をかけたドライブで攻める。

 サービスのときの作戦

・彼は、切れていないショートサービスやコートから1バウンドで出るサービスのレシーブは非常にうまい。だからフォア前にショートサービスを出すときは、同じモーションから下と斜め下と横に思いきり切って出す。そしてすばやく戻り両サイドにくるレシーブをフォアで回り込んでドライブで攻める。このとき、余裕があるときは威力のあるドライブでストレートのコーナーやクロスのサイドを狙って攻める。
・ときどきはミドルやバック側にもショートサービスを出したり、ドライブロングサービスを両サイドへ出し、サービスのコースを読ませないようにする。常に、フォアハンドドライブに結びつけることを考えて出す。

 ラリーになったときの戦法

・フォアクロスでのドライブの引き合いになったら、逃げずにドライブを引き合う。そのためには、相手と同じ位置かそれより前でかけあう。また、相手以上の回転でしかもサイドを切って打ち返すようにする。
・彼のドライブ対私のバックハンドのラリーになったときでも、コートからすぐに離れず中陣からのクロス強打でねばる。この時、絶対にストレートへゆるいボールで逃げたりしない。そして相手が打ちあぐんだチャンスボールはフォアで回り込んで反撃する。
・先に無理な攻撃―たとえば追い込まれたとき、苦しまぎれのカウンタースマッシュや無理なコースへ1発ドライブをかけるとか―は絶対にしない。むしろ先に相手に無理な攻撃をさせるようにする。
・できるだけ威力のあるボールで、彼の態勢をみながらその時にあったコースを考えて攻める。常に積極的なプレイをする。
・フォアハンド、バックハンドともミートを鋭くし振り切る...。
 その他にもいろいろ考えた。ドライブも、バックハンドもまあまあの調子だったので結局は思い切り動いてドライブ攻撃で挑戦する作戦をとることにした。この間対大屋戦だけで1時間近くかかった。
 翌朝起床するとすぐ9時から始まる対大屋戦にベストコンディションで臨めるよう、バーベルを含めたトレーニングをした。そして会場で練習した後も対大屋作戦の復習をし、シャドウプレイ、ダッシュ等のウォーミングアップをやり、からだを十分に温めてからコートに向かった。このときの私の心境は自信はあったものの「勝てるかもしれないが、負けるかもしれない」とやや不安だった。

 大屋選手は前と同じ作戦、私のペースで進む

 試合が始まった。
 彼は、いきなりバック側へショートサービスを出してきた。私はあらかじめ予定していたとおり、フォアで動いてバックサイドの白線を狙って強く払ってレシーブした。うまくサイドを切って入った。このとき彼は「長谷川はバック前のレシーブがうまく払えない。軽くつないでくるだろう」と読んでいたのだろう。予想を裏切られた彼は、つまりながらドライブで返してきた。次も同じコースに変化サービス、その次はフォア前に変化サービス。私はそれらの変化サービスを積極的に鋭く払って攻め、彼がドライブやショートでつないでくるのを作戦どおり十分な態勢のときはストレートへ思い切りドライブ攻撃した。不十分な態勢のときはもう1本バックのサイドラインの白線をめがけてドライブ、またはタイミングの早いショートで返してドライブを封じつないでくるドライブを十分な態勢で打てるボールだけをフォア側のサイドライン付近を狙って思い切りドライブ攻撃をかけた。
 この戦法がよく、大屋選手得意のフォアクロスでのドライブの打ち合いになっても勝ったり、焦った彼が無理な攻撃をしたりで、出足4-1の好スタートを切った。作戦にのったおかげでドライブの打ち合いで打ち勝て、私は次のサービスを持ったときも前夜の作戦どおりにやる決心をした。
 インパクト直前まで同じモーション同じスイングになるよう気を使いながら、フォア側へ鋭い下切れ、切らない下切れ、斜め下切れのショートサービスを出した。それに対して彼はできるだけ先手をとろうと両サイドへ鋭く払うレシーブとストップレシーブを試みたが、低くて変化があったためにやむなくバック側にツッツキと軽く払うレシーブに変更してきた。このレシーブだったらフォアで動ける。絶好の3球目攻撃チャンスだと思った私は、思いきってドライブで攻めた。そしてラリーになればバックにまず先手をとって攻め、大屋選手に十分な態勢でドライブをかけさせずにこちらが十分な態勢になったときだけフォアサイドへ強ドライブで攻めて抜いたり、先手をとってフォアクロスのかけ合いにもっていった。不十分な態勢から大屋選手のフォアへドライブをもっていくと、逆にクロスのパワードライブで抜かれることをそれまでの対戦から知っていたからだ。そしてバックハンドを強振する作戦も成功し7-3とリードをひろげた。
 このとき私は、彼との対戦でもっとも警戒していたフォアクロスのドライブの引き合いで勝ったことと、私がいつも勝つときのパターンである両ハンドでのしのぎでリードしたことから「昨夜の作戦に徹すればいける」という確信を持った。さらに自信を深めたのは、彼がやはり前日の対小川戦でカットを打ち過ぎ疲れたせいか動きにいつもの精彩がなかったからである。そして、この後も自信をもって作戦どおりの試合を展開した。攻められて、どうしてもバックへさがらなければならないときもロビングに逃げず両ハンドでがっちりしのいだ。この戦法に彼は最後まで調子が出ず、7本で先行。2ゲーム目は、大屋選手がフォアストレートに攻めてきたがミスが多く17本でとった。

 第3ゲーム目やっと逃げ切る

 そして第3ゲーム。私はコートに入る前に次のように思った。「0対2とリードされた大屋選手は開き直って思い切り動いてドライブ攻撃してくるだろう。それに対して受け身になったら勝てない。やはりサービスとサービスからの3球目、5球目、レシーブとレシーブから4球目攻撃、6球目攻撃のとき、スピードのある先手攻撃をして、相手をショートやバックハンドやロビングに追い込むことだ。それと、もしドライブ対ドライブの引き合いになったときに気持ちの上で負けないことだ。うまく攻められたときは、粘りに粘ってスキを与えまい。それと気力、集中力で絶対に負けないぞ」と思った。私が改めてこう考えた理由は、この時の大屋選手のように先手、先手と攻めようとしたとき、逆に先に攻められると誰でも非常に得点されやすいからだ。また攻撃を相手にがっちり守られ、攻撃ミスをしたときは非常にガックリくるからである。
 私は1、2ゲームより気を引き締めてコートに向かった。そして試合はときどき鋭いドライブやスマッシュで両サイドにゆさぶられて得点されたものの、大胆に動いて積極的に攻めたのが成功して18対12と大きくリードを奪った。
 結局、この後大きくリードしたための油断から足の動きが悪くなり、彼本来の強烈なドライブでバックを攻められて19対18と1本差まで追い上げられたが、フォアストレートに3球目ドライブを決めて突き離し、3対0で破って全日本社会人の雪辱を果たした。
 この年の第1目標だった全日本10年連続ベスト4を達成するための大きな関門であった試合でもあり、今でも深く印象に残っている試合の1つである。



筆者紹介 長谷川信彦
1947年3月5日-2005年11月7日
1965年に史上最年少の18歳9カ月で全日本選手権大会男子シングルス優勝。1967年世界選手権ストックホルム大会では初出場で3冠(男子団体・男子 シングルス・混合ダブルス)に輝いた。男子団体に3回連続優勝。伊藤繁雄、河野満とともに1960〜70年代の日本の黄金時代を支えた。
運動能力が決して優れていたわけではなかった長谷川は、そのコンプレックスをバネに想像を絶する猛練習を行って世界一になった「努力の天才」である。
人差し指がバック面の中央付近にくる「1本差し」と呼ばれる独特のグリップから放つ"ジェットドライブ"や、ロビングからのカウンターバックハンドスマッシュなど、絵に描いたようなスーパープレーで観衆を魅了した。
本稿は卓球レポート1978年9月号に掲載されたものです。
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