「作戦あれこれ」第61回 相手の見方

 先月号では、相手の目を見ることの大切さを述べたので、今月号はサービス、レシーブのときの相手の見方、ラリーが終わってから次のラリーの構えに入るまでのことについて述べることにする。さてこのときであるが、はたして「喜怒哀楽を強く態度に出してよいものか。自分の好き勝手な姿勢をとってもよいものか」
 この答えはノーである。なぜならば、卓球はあらゆる球技スポーツの中でもっともリズムを必要とする競技であるからである。リズムを失ったら試合に勝つことはむずかしい。
 たとえば、テニスのような競技であれば、相手が打ってから自分のところに飛んでくるまでに時間がある。自分の打球直後、少々悪い姿勢をとってもそのあとすばやく姿勢を正せば間に合うので、それほどリズムもくずれない。バレーボールでも、相手が攻撃してくるとき以外のトスなどにはスピードがなくテニスと同じことがいえる。
 しかし、卓球の場合はそうはいかない。相手はどこにどのようなサービスを出してくるかまったくわからない。相手のレシーブにしてもそうである。その後も速いスピードのあるラリーが続くのでまったく息つく暇がない。ラリーが終わってから次のラリーを開始する時間も短い。また、コートが狭いのでちょっとした力加減の狂いでミスが出る。このためからだ全体の感じとリズムが非常に大切になってくる。ラリーが終わってから次のラリーがはじまるまでの姿勢やレシーブの構え、サービスの構えに十分注意しなければならない。

 脇をしめながら気合いを入れた伊藤選手('69年世界No.1)

 リズムをすごく大切にしたのは、ドライブからのスマッシュが世界一うまいといわれている伊藤繁雄選手。'69年のミュンヘン世界大会で劇的な逆転優勝をとげた。
 その伊藤選手は「ラリーが決まったあともすばやく次の攻撃態勢に備えてからボールを拾いにいった。そして、そのときの感じを大切にしながら次の作戦を考え、サービス、レシーブの構えに入った」と各地の中、高校生によく話をする。
 確かにそうであった。私が彼の試合の中でもっとも印象に残っているのは、'69年世界大会シングルス準々決勝のソ連のエース・ゴモスコフ戦と、決勝で地元のエース・"ミスターポーカーフェイス"といわれたカットのシェラー('65年、'67年世界第3位)戦である。私はこの2つの試合を今でも鮮明に記憶している。
 このときの伊藤選手は、まだ速攻にモロいところがあって、シェークの前陣攻撃の中では世界一バックハンド攻撃がうまいといわれていた長身のゴモスコフには2度完敗していた。そして、この時のミュンヘンでもおそらく勝てないだろうと見られていた。
 ところが彼は、ものすごい闘志を燃やし集中していた。バッククロスに会心のフォアのスマッシュをノータッチで決めたときでも自分のプレイに酔うことなく、すばやく左足をもどして次の攻撃に備えた。相手の打球がコートからオーバーしたときでさえもしっかり動き次の攻撃に備えた。そして、このあと心もち前傾姿勢を保ち左こぶしに力を入れながら脇をしめるようにして何度も「ヨーッシ!ヨーッシ!」と気合いを入れていた。このとき最後にとったいい姿勢の感じを忘れないようにしてリズムをすごく大切にしていたのが心に残る。手を"ダメだ!"とばかり大きく上に伸ばしたり、天をあおいだりするようなことは一度たりともなかった。喜怒哀楽を態度に出さなかった。このあとゴモスコフの目を鋭くにらんで次の構えに入った。
 このようにいい感じとリズムをものすごく大切にしたことから、レシーブの構えもサービスの構えもサービスから3球目の構えも、それまでの現役生活の中で最高。見事なフットワークからのドライブ攻撃と会心のスマッシュで次々に得点を重ね、18、16、15本でゴモスコフに圧勝した。
 シェラーとの決勝戦も、3ゲーム目の20-19の大ピンチを切り抜けてからは、ゴモスコフ戦で見せた戦いぶりにもどり、4、5ゲームはシェラーの粘っこいカットを15、9本で完全に打ちくだいた。このとき満員の体育館には約5千人の観衆が見守っていたが、試合が終わったあと伊藤選手の猛反撃に心から拍手を送っていた。
 私は、この大会のシングルスはユーゴの若手ホープNo.1の左腕ステパンチチに8決定で敗れたが、この2年前のストックホルム大会で優勝したときはちょうど伊藤選手のようであった。

 天をあおいだり、コートをけるのが一番悪い

 ところが絶好のチャンスボールをスマッシュミスしたり、ドライブミスしたり、カットマンがカットの凡ミスしたとき「しまった」と思い天をあおぐ。または「カーッ」となってコートを蹴飛ばしたり、ボールを強く床に打ちつけて悔しさを紛らわそうとする選手がいる。これは冷静さを失うばかりでなく基本姿勢が崩れたり、リズムが完全に崩れ絶対によくないことである。一度こんなことを行なうと元にもどす(正しいフォームにもどる)まで2~3本はかかる。また、このようなことを行なう選手は忍耐心がない証拠。そういう選手は大事な場面で冷静さを失い、大事な試合になればなるほど弱い。
 このことはふだんの練習でも同じことである。上達が遅くなる。練習場であってもけっして天をあおいだりボールを床に強く打ちつけたりコートを蹴飛ばしたり大声を出したりしないように十分に気をつけよう。

 自然体が好打のもと

 次にレシーブの構え、サービスの構えについて述べよう。まずはじめに良い構えこそナイスレシーブ、ナイスサービスを生む原動力になることを知ってほしい。
 たとえば、私のレシーブの例をあげると「スタンス(歩幅)は、肩幅よりも広くとる。ついでひざを軽く曲げていつでも動き出せるようにする。腰はよくまわるようにしておきたいので、尻の先を少し上に上げる感じにする。ひざを軽く曲げ、尻を持ち上げるように構えたらこんどは上半身を約40度前へ傾ける。
 顔はまずアゴをひいて、やや上目づかいにして相手を見るようにする。アゴが上がったままだとボールは身体の前で打つことができなくなってしまうからである。そしてこのとき、膝、肩の力を抜いた自然体で構える」。
膝や肩に力が入るとスムーズに動けないし、打つ前に身体に力が入っていいボールを返すことができないからである。サービスを出すときもよく似ている。

 すばらしかった河野満選手の構え('77年世界No.1)

 私は、世界選手権大会を数多く見ているが、最近ではバーミンガム世界大会で優勝を成し遂げた河野満選手(青森商教諭)の構えが一番印象に残っている。
 彼は、準々決勝で'71年世界大会のときに弱冠18歳で優勝した左腕ドライブのベンクソン(スウェーデン)を、準決勝で団体決勝のときに負けたシェークのオールラウンドプレイヤーの梁戈亮(中国)を、決勝では過去3度とも負けている優勝候補の最右翼といわれた投げ上げサービスからのドライブ攻撃のうまい郭躍華(中国)を破った。
 私はこのとき試合のすべてを見ていたが、レシーブがすばらしかった。それはアゴを引き、しっかりとした前傾姿勢をとった構えからきていた。それに強く印象に残っているのは、大試合になると固くなることの多かった河野選手にしては珍しく、膝、肩に一つも無駄な力が入らなかった点。私がそれまで見た中で最高のレシーブの構えであった。このためか、動いている最中も打つときも姿勢がまったく崩れず左腕のベンクソンの威力のあるサービス、郭躍華の強烈な投げ上げサービスをものともせずいいコースに返し、自分の得意のパターンに持ち込んで勝った。
 その他では、サラエボ世界大会('73年)のとき、レシーブからすばらしい攻撃をして中国から2点奪った田阪選手(東山高職)のレシーブの構え、平壌世界大会で日本の選手が高性能ラバーを使って初の世界チャンピオンになった小野選手(日本楽器)の構え、往年の選手では超人的なフットワークで世界複、世界混合複を制した木村選手(ゼネラル石油)のレシーブの構えは、河野選手と優るとも劣らないすばらしい構えであった。

 ラケットは軽く握る

 これらの一流選手は、ラケットを持つときの握り方もよく考えている。「真の剣道の達人は刀をきつく握りしめることはしない」と剣の達人、宮本武蔵が言っている。卓球の一流選手も同じように、ペンもシェーク選手も絶対にラケットをきつくにぎりしめてはいない。実に軽く握って打球するときにグッと力を入れている。レシーブの構えのときは、ラケットを支えているだけでそのためにラケットを左手(左利きは右手)の手のひらの上に置いている者が多い。打球の前から力が入っていると柔軟なプレイができない。またスピードや正確さが出にくい。とくに台上のボールの処理がむずかしくなる。
 ラケットを軽く握ると、良い角度が出ない、ラケットがフラフラして不安定になるという選手はラケットの削り方が悪いことが多い。シェークのラケットはそのまますぐに使えるラケットが多いが、ペンのラケットは大き目につくってあるのでそれぞれの手にあうように削らなければならない。グリップが自分の将来のすべてを決めるので真剣に考えて削ろう。
 参考までに。'69年世界No.1の伊藤、'79年世界No.1の小野、全日本ランク3位の阿部(協和醗酵)の各選手の削り方は、フォアハンドが打ちやすいように人指し指が当たる部分を相当深く削っている。グリップの柄の裏側はほとんどない。親指が当たる部分はほんのわずかだけ削っている。柄の先端は長すぎず短すぎず。河野選手は、彼らより人指し指のところを極端に削らないが相当深い。その他の部分はだいたい同じである。

 かかとを上げて構えよ

 少しかかとを上げて構えることも大切なことである。かかとをつけていると、一瞬スタートが遅れて大きく動かされたときや逆をつかれたときにむずかしい。そのため、一流選手はいつサービスを出されてもいいようにこきざみに足を動かしていることが多い。
 しかし、このとき注意しなければならないことは、上体が大きくゆれないようにすること。ゆらしすぎるとスタートが遅れたり姿勢が悪くなって思った攻撃ができない。十分に気をつけよう。
 3球目攻撃のときも同じことがいえる。かかとが床にべったりついていたのではすばやい身のこなしができず鋭い3球目攻撃ができない。3球目攻撃のうまい伊藤選手や河野選手の足を見ていると、サービスを出した後に、数回こきざみにすばやく動かしていた。非常に大切なことであると思う。

 相手の見方に比例して成果がある

 私は数多くの大試合を経験したが、相手の見方に比例して成果があったように思う。レシーブの構えのとき、アゴが少しでも上がっていたときや腰が低すぎたり高すぎたときは、レシーブが思うようにできず勝てなかった。伊藤選手や河野選手が世界大会で優勝したときのようにピシッと決まっていたときは、柔軟なプレイができて成績もよかった。とくにランニングやウエイト・トレーニング等を猛烈にやったときはよかった。
 筋力トレーニングと相手を見るときの構え方は、相関関係があるようである。その意味でも、レシーブの構えを研究すると同時にしっかりと筋力トレーニングをやろう。



筆者紹介 長谷川信彦
1947年3月5日-2005年11月7日
1965年に史上最年少の18歳9カ月で全日本選手権大会男子シングルス優勝。1967年世界選手権ストックホルム大会では初出場で3冠(男子団体・男子 シングルス・混合ダブルス)に輝いた。男子団体に3回連続優勝。伊藤繁雄、河野満とともに1960〜70年代の日本の黄金時代を支えた。
運動能力が決して優れていたわけではなかった長谷川は、そのコンプレックスをバネに想像を絶する猛練習を行って世界一になった「努力の天才」である。
人差し指がバック面の中央付近にくる「1本差し」と呼ばれる独特のグリップから放つ"ジェットドライブ"や、ロビングからのカウンターバックハンドスマッシュなど、絵に描いたようなスーパープレーで観衆を魅了した。
本稿は卓球レポート1980年12月号に掲載されたものです。
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