「作戦あれこれ」第115回 表ソフト速攻型攻略法⑧ どんなボールでも飛びつけ

 ドライブマンが表ソフト速攻型に勝つためには、フットワークがよくなければならない。それで前回、フットワーク練習をより効果的にするためのコツとして、精神面では「ノルマを果たすような気持ちでなく、自分から進んでフットワーク練習をする」ということと、技術的な面では「体の軸を崩すな!」という2点を述べた。表ソフト速攻型に勝つためには、できるだけムダな動きを少なくすることが大切。特に、フットワーク練習の時などは「ムダな動きをしない」よういつも注意してほしい。
 さて、フットワーク練習の時にもう一つ大変に大事なことがある。今回は、それを紹介しよう。

 どんなボールでも最後まで絶対にあきらめるな!

 それは「どんなボールでも最後まであきらめないで飛びつく」という猛烈なファイト、執念だ。
 このことは、フットワークをよくするためには、絶対に欠かせない心構えだ。なぜなら、そのような心構えがないと、「ムリだなと思うと途中であきらめてしまうので、とれるボールがとれなくなる」「そのため、思いきって飛びこめず、スタートする時のキック力が弱くなる」「大きく動くときに軸足が高く上がらなくなる」「もどりが遅くなる」など、いくら練習しても限界が高まらない。これはすべて「どうせとれないから」と勝手に自分で考えてしまうことに原因がある。「ムリだ」と思っても、そこをムリして飛びつくからこそ、少しずつ限界が伸びるのである。
 やはり、同じやるなら「一生懸命に動いて、キック力やスピードをつけ、1センチでも2センチでも大きく動けるようにしよう!」「1本でも多く粘って、早くフットワークのいい選手になろう!」「今までとれなかったボールをとれるようにしよう!」「表ソフト速攻に負けない選手になろう!」...と、目標をもち、どんなボールでも最後まであきらめずに飛びつくように取り組むべきだ。そうして、本当に一心不乱にボールを追いかければ練習量に比例してフットワークがグングンよくなり、表ソフト速攻型に強い選手になれる。そうしてがんばっていると、自分が強くなるのが分かり、卓球が楽しくなる。

 世界一はフットワークの猛練習のおかげ

 私の経験を少し話そう。以前にも少し触れたことがあるが、実は高校1年までは私はフットワークがものすごく遅かった。恥かしい話だが、中学時代の百メートルの最高タイムが18秒2という超鈍足。走り高跳びや走り幅跳びがクラスで一番ビリ、という低い運動能力のせいもあり、私が左右動の規則的なフットワークがやっとできるようになったのは、高校1年の8月の半ば、ランダムのフットワークができるようになったのはさらにその後だった。
 小学時代から卓球をしていたが、その時期まではどちらも3本続けるのがやっとだった。そのため、試合では速攻型には滅法弱く、大会ではほとんど速攻型に敗れ、高1の9月までは一度も上位に勝ち進むことができなかった。
 こんな私を強くさせてくれたのが、前回述べたフットワークの猛練習だ。そして、そのキッカケとなったのが、前回でも述べた高1の12月の全日本のジュニア1回戦で無惨な負け方をしたことだった。もう少し詳しくこの時のことを思い出すと、相手はショートのうまい青森県代表の村上選手だった。村上選手はボールをしっかり引きつけてうまい打ち方をするため打つコースが全然読めないせいもあったが、本当の敗因は私のフットワークが悪く、コースが読めてもラケットに当てるのがやっとの感じで、まったく歯がたたなかった。
 自分としては左右動のフットワークができるようになってから3ヶ月半がたち、フットワーク練習ではかなり動けるようになっていたつもりだったが、村上選手との試合で、スタートもスタートしてからの足の動きも"遅い"ということがはっきりわかった。"井の中の蛙大海を知らず"という有名なことわざがあるが、この時の私はまさにその通りだった。そして「フットワークがよくなければ絶対に全国大会で勝てない」とはっきりわかった。それまでは「フットワーク練習が大切だ」を先生や先輩からイヤというほど聞いていたが、自分としては半信半疑だった。が、この時初めて「ああ、その通りだった」とわかった。私は初の全国大会で一回戦も勝ち抜けなかったが、この時にフットワークの大切さを早く知ることができ大変幸運だった。もし、このことに気づくのが遅かったら、強くなるのが1年は間違いなく遅くなっただろう。

 バレー選手のように回転レシーブ

大会後、私は生まれ変わったようにフットワーク練習に没頭した。その内容は、相手にバックショートで大きくランダムに回してもらい、オールフォアで動くフットワーク練習が主だった。これはフォアへの動きとバックへの回り込み、そして前後のスムーズな動きを強化するためのものだった。この時、一生懸命動いたのは当然だが、届かないボールは倒れながらでも打とうと決心して練習した。フォアへきた絶対にとれないというボールであっても、足を思い切り動かし、腕をいっぱいに伸ばして追いかけた。たとえ抜かれた時でも、バレーボールの選手のように飛びついた。倒れながら打ったボールがやっと入り、立ち上がる時間のない時は、はってでもボールを追いかけた。絶対に回り込めない無理なボールにたいしても動けるだけ動いた後、上体を弓なりにそらしすぎ背中からズドンと床に倒れた。初めはうまく倒れられず、何度も頭も強く打った。このため、手や肘や膝に生傷がためなかった。とても激しく体力を使う、苦しい練習だった。
 しかし、「どんなボールでもあきらめないで飛びつかなければ動きがよくならない」「自分の限界に挑戦しなければ全国大会で勝てる選手になれない」「このやり方でがんばれば人より絶対にフットワークがよくなる」と考えて、さらに激しく動くようにした。1日、少ない時で30分、多い時で60分以上やった。
 とれないボール、抜かれた時でも飛びつくこのフットワーク練習をしたおかげで、運動能力の低かった高校時代の私もスムーズな動きができるようになり、いつしか膝のバネ、筋力も身につき、フットワークはもちろん、レシーブや3球目等のすべての動きがよくなった。そうして、ラリー中の凡ミスが本当に少なくなり、表ソフト速攻型が一番いやがる粘り強い選手になった。これがその後のインターハイ3位入賞や、さらに後の全日本、世界での優勝につながる土台になったと感じている。
 このフットワーク練習はその後も続き、北京で行なわれた'71年の第1回アジア・アフリカ友好大会、'72年の第1回アジア選手権大会のときも、中国の練習場でこの倒れるほど激しく動くフットワーク練習にとりくみ、大会前の不調を克服してライバル中国を倒し、シングルス2連勝した思い出がある。
 この、どんなボールでもあきらめずに飛びつくフットワーク練習をすると必ず強くなる。また、今まで述べた効果以外にも精神力、闘争心、反射神経が向上する。最近、トップクラスの選手でもフットワークの悪い選手が多いのは、このような練習が足りないのではないか?



筆者紹介 長谷川信彦
1947年3月5日-2005年11月7日
1965年に史上最年少の18歳9カ月で全日本選手権大会男子シングルス優勝。1967年世界選手権ストックホルム大会では初出場で3冠(男子団体・男子 シングルス・混合ダブルス)に輝いた。男子団体に3回連続優勝。伊藤繁雄、河野満とともに1960〜70年代の日本の黄金時代を支えた。
運動能力が決して優れていたわけではなかった長谷川は、そのコンプレックスをバネに想像を絶する猛練習を行って世界一になった「努力の天才」である。
人差し指がバック面の中央付近にくる「1本差し」と呼ばれる独特のグリップから放つ"ジェットドライブ"や、ロビングからのカウンターバックハンドスマッシュなど、絵に描いたようなスーパープレーで観衆を魅了した。
本稿は卓球レポート1986年1月号に掲載されたものです。
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