「作戦あれこれ」第118回 表ソフト速攻型攻略法⑪ 李振恃に雪辱

 今回も前回に続き「対表ソフト速攻選手」の実戦例として、1974年第2回アジア選手権での私の体験を話そう。

 雪辱をかけての個人戦

 団体決勝で、日本が中国に3-5で敗れた翌日、翌々日は、アジア選手権には珍しい2日間の休養日だった。
 李振恃、許紹発に敗れた私のショックは大きく、この1日長い休養日はありがたかった。
 私は1日目は気分転換をはかるための完全休養日とし、体を休めながら「敗戦は悔やまず、しかし冷静に分析する」よう努めた。
 そして、翌日から「新たなスタートだ」と心を入れ替え、朝のランニング、トレーニングからさらに熱を入れて打ち込み「打倒、中国式表ソフト速攻型」に全てをかける決心をした。
 4月10日。個人戦が始まった。トレーニング、練習、試合に全身全霊を打ち込んだ私の調子は、時の流れと共に徐々に上がってきた。
 4月14日のダブルス決勝日までの私の成績は、絶好調河野満選手と組んだ男子ダブルスで優勝(決勝、3-2李振恃・刁文元)。レシーブのうまい阿部多津子選手と組んだ混合ダブルスが3位。そしてシングルスも、表ソフト速攻の若手No.1王家麟をベスト8決定で、「魔のバックハンドサービスの名手」と恐れられた中国チャンピオンのペンドライブマン刁文元を準々決勝で破り、準決勝進出を決めていた。
 そして、個人戦に雪辱をかける私の準決勝の相手はあの李振恃。もう一方のブロックは世界チャンピオン郗恩庭と、許紹発の投げ上げサービスをすばらしい速攻で打ち破った河野選手の対戦。共に日中の争いとなった。

 再び李振恃と対決

 4月15日午後2時。李振恃との、宿命ともいえる対決の時がやってきた。
 徐々に調子が上がってきたとはいうものの、私の調子は絶好調にはほど遠い。ダブルスはパートナーに助けられた感が強いし、シングルスも苦戦の連続。対する李は3Aチャンピオンの今野裕二郎選手に準々決勝で快勝するなど絶好調。団体戦での試合内容を考えると、私の心は重かった。
 「やるだけやろう。作戦どおり、全精力を傾けてがんばろう!」。それが私のだした結論だった。
 そして、団体戦を反省し、私が立てた作戦とは
①バックにヤマをはり、レシーブから強気で攻める
 団体戦での1番の敗因は「フォアへくるロングサービスを恐れて、レシーブが弱気になった」ことだ。回り込めずに相手の予想どおりのツッツキレシーブになったり、回り込んでも中途半端で、戦う前に立てた「しっかり動いて、思い切りドライブレシーブ攻撃」することができなかった。このままでは、また同じ結果になってしまう。そこで、よく考えてみると練習試合、団体戦を通じ、李のサービスの7~8割はバックにくるのだから、2~3割のフォアへのサービスは拾えればもうけものぐらいに考え、バックにくるサービスに思い切ってヤマをはってバックに回り込み、ドライブで攻める。どちらにくるかわからないからといって、5分5分にヤマをはったのでは絶対に損だ!
②ラリー展開に間違いはない。フォア攻めはきく
 (前号で述べた)ラリー展開自体は良い。問題は、そのラリー展開に持ち込めなかったことだ。フォア攻めも効く。チャンスボールは思い切った強ドライブでフォアへ攻めていこう!
③「相手打球はすべて入ってくる」と思って戦う
 ラリー展開は悪くないのに団体戦で敗れたのは、レシーブが悪くそのラリーに持ち込めなかったことのほかに、戻り、次球への準備が悪く、ナックル性ショートに対する凡ミスや、相手強打に対する備え、粘り強さがなかったためだ。プレーの基本である「打球後すぐニュートラルに戻る」ことを間違いなく実行するため、こちらがどんなによいボールを打った時でも、相手がどんな攻撃をした時でも「相手打球は必ず入ってくる」と思ってプレーしよう。
④粘り強く戦え。3~4センチ内側に確実に入れろ!
 表ソフト速攻型にドライブマンが勝つためには、いっしょになって速攻ばかりするのは損。粘り強く変化をつけて戦い、機をみて速攻をかけることが大切。李の攻撃は鋭いが、絶対しのげる。ショート、ドライブ、ロビングのラリーで4本、5本...と返せば、無理なスマッシュミスがでる。そこを速攻する。そのためには、李の鋭い強打、ナックル性プッシュ...等に対しては、サイドぎりぎりを狙ってミスすることは損。とにかく、凡ミスを少なくして、李に数多くプレーさせ、李にミスが出てつないでくるチャンスボールを今度はサイドぎりぎりに狙って得点しよう。ただし、コースを甘くする分、できるかぎり球威のあるボールで返球しよう。
⑤ナックル性ロングサービスを活用する
 今までの試合をみると、李には私の得意な下回転サービスやドライブ性ロングサービスは効果が低い。むしろ、回転を殺したナックル性のロングサービスに対しては、軽く合わせてくることが多い上、李をサービスからゆさぶれる。表ソフト速攻に対しては、大きなサービスを活用し、相手を動かすようにすることだ、
―とういうものであった。

 李を包み込み作戦で破る

 試合が開始された。李のサービス、スマッシュ、プッシュは団体戦と少しも変わらない鋭さだった。しかし、「李は強い。李の打球はすべて入ってくる。しかし、どんなボールもあきらめず、粘り強く戦おう!チャンスをつくり、思い切って攻めていこう!」と考えていた私のプレーは、団体戦の時より数段よいできだった。
 「レシーブはバックにヤマをはる」と思っていたためバックにくる李のサービスに威力があっても、しっかり回り込め、難しいサービスはループで、時には強ドライブでレシーブすることができた。またそのため余裕ができ、李のフォアへの巧妙なサービスのモーションも察することができ、むしろ全面に気をくばっていた時よりレシーブミスが少ないくらいだった。逆をつかれても回転のかかったくせのあるドライブで返球して李の3球目ミスをさそったり、時にはフォアへのスピードロングサービスを強ドライブで狙い打ちすることさえできた。
 また、早く基本姿勢に戻り、粘り強く戦うことを心がけたせいで、李のナックル性プッシュの回転もよくみえてミスがでず、李のスマッシュにも前陣ではパッと反射的に手が出る。中~後陣ではアクロバットのような体勢になりながらも返球する、というプレーが自然に出て、李のスマッシュミスをさそった。李とすれば、スマッシュした後の次のチャンスボールをミスしたり、しつこいロビングを打ちミスしたりするため、ドライブやナックル性ロングサービスに対し「まず安全」に合わせようとするプレーが多くなり、私の狙いのラリー展開が徐々に多くなった。そして、ついに21-17、21-18、21-15の3-0で李を破ることができた。

 心・技・体を鍛えれば必ず勝てる!

 この勝利に勢いを得て、私は決勝で世界チャンピオンの郗恩庭を団体に続いて破り、アジア選手権2連勝を達成、中国に一矢むくいることができた。これも、対李振恃作戦成功が勝因である。準決勝で李のスマッシュを拾いまくった後の決勝では、さしもの郗のパワードライブもスマッシュより楽にしのげ、やはり準決勝がヤマであった。
 表ソフト速攻の強豪選手を破ることは大変。しかし、勝てる!読者の皆さんも、作戦はもちろん、技術、体力、そして何よりも精神面を鍛え、いつかは中国の表ソフト速攻選手を世界選手権、オリンピックの檜舞台で破る選手にぜひ成長してほしいと願っている。



筆者紹介 長谷川信彦
1947年3月5日-2005年11月7日
1965年に史上最年少の18歳9カ月で全日本選手権大会男子シングルス優勝。1967年世界選手権ストックホルム大会では初出場で3冠(男子団体・男子 シングルス・混合ダブルス)に輝いた。男子団体に3回連続優勝。伊藤繁雄、河野満とともに1960〜70年代の日本の黄金時代を支えた。
運動能力が決して優れていたわけではなかった長谷川は、そのコンプレックスをバネに想像を絶する猛練習を行って世界一になった「努力の天才」である。
人差し指がバック面の中央付近にくる「1本差し」と呼ばれる独特のグリップから放つ"ジェットドライブ"や、ロビングからのカウンターバックハンドスマッシュなど、絵に描いたようなスーパープレーで観衆を魅了した。
本稿は卓球レポート1986年4月号に掲載されたものです。
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