わたしの練習⑫小中健 好き勝手な練習

 僕の練習法は変わっている。みんなと同じ練習をやるのではなくて、自分の好き勝手に、自分のための練習をやっている。だから、他人の参考にはならないかも知れない。

 ◇小学校5年のとき毎朝5時に起きて

 卓球をはじめたのは、青森県弘前第一小学校5年のときからである。ある日、講堂でラケットを拾った。それからというもの、卓球をイタズラ半分にやっていたが、しだいに面白くなってきて、しまいには夏の日も冬の日も毎朝5時に起きて卓球に出かけるようになった。同級生に木村君といって、やはり卓球の好きな人がいたので彼を相手に1年間というもの、毎朝つづけた。もちろん、まったくの初心者だから、ロングだのカットだのができるわけがない。ただ、卓球がおもしろくて、夢中になってやっていたのである。冬の5時といえば、まだ真っ暗だが、前の晩の夕飯の残りでおにぎりを作ってもらって学校へ出かけたあの頃が、いまでも忘れられない。
 父は昔、早大時代に全日本学生選手権をとったことがあるそうだが、僕はまだ一度も父のプレーをみたことがないし、父の指導を受けたこともない。が、僕が毎朝早く出かけても、それをあたたかい目で理解してくれた。父の方針としては、僕を卓球選手にしよう、という考えはなかったようだ。「勉強でも運動でもいいから、ズバ抜けた人間になれ」ということだけは、よく父にいわれた。
 弘前三中に入った。青森県は昔から卓球が盛んだが、小中学校の先生が熱心だったこと、中学時代にロングマン、ショートマン、カットマンといろんなタイプの人を相手に練習できたことは、よかったと思っている。
 1年のときは一枚ラバーでロングをやった。2年になってからは、スポンジでショートをやってみたが、どうもうまくいかなかった。先輩がきれいなカットをするのをみて、それにあこがれて、3年のときカットもやってみた。カットは2カ月ほどでやめてしまったが、中学時代にロングだけでなく、ショートやカットも練習しておいたことは、現在のオールラウンド卓球を築く上に役立っているような気がする。
 基礎から教えてくれる指導者がいるわけではなかったので、基本練習などはほとんどやらずにゲーム(試合練習)を主体としたガムシャラな自己流の練習が多かった。それでも、3年のときは生まれて初めてやった合宿の効果があったのか、とにかく県下中学選手権で優勝した。

 ◇基礎練習よりも実戦的な練習に重点

 弘前実業高校に入ってからは、台が1台しかなかったので、先輩の桜庭さんと毎日ゲームばっかり夜の10時頃までやった。そのころ、どんな卓球をしていたかはっきり記憶にないが、中陣でのロングが多かったように思う。
 2年のとき、父が弘前から、秋田県との県境にある湯の沢という所へ転勤になった。そのため、汽車通学となり、最終列車が18時50分頃なので、練習量はぐっとへり1日2時間から2時間半ぐらいしかできなくなった。そこで、短時間の練習で効果をあげる方法をいろいろ考えてみた。基本練習の量はなるべくへらして、すぐ調子がでるような実戦的な練習方法にきりかえた。たとえば、試合で多く使うツッツキから打つ練習とか、3球目のスマッシュ練習などを主体に練習した。ランニングなどもやったが、うさぎとびだけは、今も昔も、ニガ手である。
 現在は中国の速攻選手と同じように、台の近くでフォアハンドとバックハンド、それにショートを使って先手先手と攻めまくるようにしている。高校時代の卓球はかなり今とはちがっていた。3年のとき全国高校選手権で優勝したが、あの頃は台から離れてロングをやり、カットも使っていた。バックハンドは特別練習したわけではなかったが、どういうものか、割合よく入っていたようである。バックハンドがうまい、とほめてくれる人もあるが、本格的にバックハンドの練習を始め、バックハンドでスマッシュできるようになったのは、去年の11月以後である。このように、高校時代と現在とでは、僕の卓球がかなり違っているが、相手に勝つにはどうしたらよいか、を考えているうちに、しぜんに現在のような卓球に変わってきたものである。

 ◇自分の卓球を押しとおすために法大へ

 全国高校選手権で優勝はしたものの、高校3年の冬には、自分の卓球に対して自信がもてなかった。周囲の人達や先輩に「君のフォームはヒジが上がって悪いフォームだ」ともいわれた。そんなわけで、大学へ入って卓球をやろう、という気は全くなく、就職もすでにきまっていた。ところが、正月の全国高校選抜強化合宿で成績がよく、これでいっぺんに自信をとりもどした。大学で思う存分、卓球をやってみよう、という気になった。関東大学の一部校から、二、三勧誘を受けたが、自分のフォームを直すのがこわかったので、そのままでよいといってくれた猪平監督のいる法大へ進んだ。「専大なり中大へ行けば、練習相手にも恵まれるのでもっと強くなれただろうに…」という人があるが、僕はそうは思わない。今でも、法政へ入ってよかっと思っている。やはり、選手というものは“自分を一番生かせるのはどこの大学か”を基準にして、大学を選ぶべきものだと思う。関東リーグの優勝校だから、とか、一部の有名校だから、といって、そこに5人も10人も素質のある選手がいっぺんに入っても、リーグ戦その他の試合にみんなが出られるわけではないし、場合によっては自分の持ち味を殺してしまうことだってある。その点、僕は僕の好きなように練習をさせてくれる法政を選んだことをよかったと思っているし、誇りにさえ思っている。
 また、「木村さんや三木君らは同じ学校に強い練習相手がいるのに、君の場合はいつも自分より弱い選手と練習するのでハンディがある」と、いってくれる人がある。だが、僕はそんなことは気にしない。練習相手が強ければ自分は強くなる、相手が弱かったら自分は強くならない―というのはおかしい。本人の努力さえあれば、弱い相手と練習しようが大成するものだと思っている。

 ◇練習の量と内容は日によって違う

 現在の練習の主な内容は、シェークでショートのうまい森屋を相手にまずショート打ちを30分ぐらいやる。そのあとは、日によってちがうが、ショートからのスマッシュ練習、ツッツキからスマッシュまたはループドライブで攻める練習、バックハンドのスマッシュ練習、ショートの練習、ゲームなどをやる。
 練習は毎日やるが、少ない日で2時間、多い日で3~4時間やる。練習量にしても、練習内容にしても、自分の好きなようにやるわけで、たとえば日によってはツッツキ打ちばっかりをやる日もあるし、ゲームを連続30セットもやる日がある。今日は特にこの練習をやりたい、と思ったものを重点的にやるのが、僕の高校時代からの練習法である。3年生の頃までは、自分のやりたいだけの練習をやれば、あとは練習を休んで見ていることもあったが、主将になってからは、後輩の指導もやるようにしている。主将になって、いろいろ気を使ったりするようになったことが、精神面で大いにプラスとなり、これが去年の全日本選手権で最後までくずれなかった原因の一つだったかもしれない。
 高校時代に基本練習を十分にやらなかったせいか、2日も練習を休むと調子が狂いやすいので、練習だけは毎日欠かさないようにしている。木村さん(早大出)や三木君(中大)が5本も10本もロングで激しく打ち合うのをみると、うらやましいと思うことがあるほど、僕のロングはつづかない。3、4本しかつづけて入らない。これは高校時代に基本練習をしっかりやらなかったためだろうと思うが、しかし汽車通学のため練習量の少なかったあの当時としては基本練習の少ないのはやむを得ないことであった。それに、僕の卓球は5本も10本もねばり打つタイプではなく、先制の強打を1発あるいは2発できめる卓球だから、僕の場合はこれでよいとも思っている。
 試合1週間前になると、ゲーム練習を多くやる人が多いが、僕の場合は逆である。試合1週間前まではゲームを多くやり、試合前の1週間はツッツキ打ち、ショート打ち、スマッシュ練習などが多く、ゲームはあまりやらない。
 来年はユーゴ大会(世界選手権)の年だ。4月から社会人となるが、ユーゴ大会まではぜひガンバリたい。去年のプラハ大会では単・複・混合複とも荘則棟(中国)に敗れているので、こんどこそは荘に雪辱したいものだ。台からさがってフォアとバックで打っているときは優勢だったが、ショートから攻撃に移ろうとするときにショートをつぶされて荘に敗れてしまった。つまり、ショートが甘いこと、ショートの位置での小振りのバックハンドがないこと、のため台からさがって反撃しようとする、そのさがる一歩手前でつぶされてしまったものである。
 したがって、今後の練習課題は、台の上での小振りのバックハンドの強化であると思う。
 「お前の技術はまだまだだ。が、感心なのは努力していることだ。努力だけは買ってやる」という父の言葉をかみしめて、この1、2年ガンバリたい。

こなか けん
昭和38年度全日本硬式選手権保持者、法政大主将、22歳。裏ソフト、前陣でショートと両ハンドで打つ速攻選手。1963年世界選手権に出場。

(1964年3月号掲載)

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