わたしの練習⑯山中教子 社会人としての苦心

 ◇この道より我を生かす道なし、この道を歩く

 「この道より我を生かす道なし、この道を歩く」
 卓球生活10年、ともすれば自分の弱い気持ちに負けそうになりながらも、卓球を愛好するが故に、この言葉に励まされ今日迄続けることが出来ました。一つの目標に向かい努力することが、たとえそれが小さなものであっても毎日の生活に生甲斐(いきがい)と希望とを与えてくれたのです。
 練習における研究と努力が十分であればある程上達が早いということは当然のことです。進歩のおそかった自分をふり返ってみて、その苦労が足らなかったのだと反省している現在ですが、練習時間に恵まれない人達の参考になればと思い、最も印象の深かったこの2年間の卓球生活をふりかえってみようと思います。
 中高校時代恵まれた環境と良き指導者のもとで、こわいもの知らずにすくすく育ってきた自分にとって、実社会の勤務(編集部注:筆者は最初、旭化成で2年間勤務した)についてからの人生は苦しみばかりの連続でした。決して仕事がつらいのでも嫌なわけでもなかったのです。一社会人としての自信が出来たのですから。しかし、それ以上に時間に束縛され練習出来ないつらさ、異常な程の卓球への情熱を燃やしたのもこのころでした。
 京都から大阪に通勤していたため、また会社より卓球場に通っていたために、1日わずか1時間半~2時間の練習時間―私にとっては瞬間にすぎるようなこの時間が、私の24時間中で一番貴重な時間でした。それこそ仕事で疲れたなんて気持ちは練習場についたとたんにふっとんでしまい、無我夢中で小さな白球を追いかけ、相手のないときにはベテランの方々に、果ては中小学生を相手に練習したものです。一球一球、飛んでくるボールに自分の若さを全部ぶっつけて、気がつくと帰らねばならぬ時間、明日という日があるにもかかわらず、やりたいことが存分に出来ないつらさに口惜し涙が何度か出たものでした。一日毎に反省し、新しい技術を身につけようと努力していたものの、がむしゃらといった方がぴったりするような練習内容でした。特にゲーム練習がそのほとんどでしたし、それにいくら真剣にやっているとはいえあまりにも練習量が少なすぎました。
 練習の絶対量不足をカバーするために、私はそのころいろいろな補助運動を考え出して、練習時間以外に実行しました。たとえば、会社のエレベーターをなるべく利用しないで階段をかけ上がったり、昼の休み時間には、なわとびや他の運動で汗を流す程やりました。また、45分間の通勤電車の中では吊り革を持たずに立つ練習をし、就寝前には柔軟体操、素振り、腕立てふせ、腹筋運動等時間的にはわずかずつながらも日課としてやってきました。残業や用事で練習出来なかった日には、帰宅してからランニングで汗を流しました。ところが夜おそく、しかも女の子1人で走っているので、不審に思ったのでしょう。パトカーが止まったことが何回もありました。
 そうした目の回るような、しかし充実した毎日を過ごしてはいたものの、高校の3球ピンポンから一般の卓球に変わる過程にあったためか、出場する試合は負けてばかり。それまではサービスを出して3球目を思い切り打ち決まれば勝ち、といった試合が多かったが、一般になるとそのボールが返ってくる。返球されたボールに対する処理ができない、なまじっかゆっくり入れるだけだと、逆をつかれたり打ち抜かれたり、といった具合でした。中高校時代一応の成績を収めていた私にとって情けない状態の連続でした。そんな時全日本硬式選手権があり、一般の部に出場してあっさりと3回戦で負けてしまったのです。私は失意の中にも、わずかに残っていたファイトをふるい起こし、来年こそは!もし来年ランキング16位以内に入れなかったら卓球をやめようと決心しました。
 それから1年、人に勝つより自分に勝てという言葉通り、いろいろな意味で自分との戦いが始まりました。社会人である限り勤務を怠っては、と強く自分にいい聞かせ仕事にも精出す一方、練習時間をできるだけふやしましたので、帰宅時間も11時近くなることもしばしばでした。
 こうした努力が実ったのでしょうか、また確かに幸運だったともいえます。翌昭和37年の全日本では、夢想もしなかったシングルス準決勝進出、また伊藤先輩の卓越した実力、すばらしい技術、そして未熟な私の力を十分にひき出して下さった好リードのおかげで、ダブルスの決勝進出という好成績が得られました。
 昨日までの苦しみが今日一瞬にして感激に変わったのです。心の奥底からの深いよろこびを味わいながら、「精神一到何事か成らざらん」という格言が、真実のひびきをもって私の胸によみがえってくるのでした。ただ一つの夢として、いつも心に秘めてはいましたが、考えてみれば、日本ランクなんてほど遠い存在だった私が、その夢を実現することが出来たのです。私は今、努力さえつづければ、それは何らかの形で自分に帰ってくるものだと固く信じています。そして同時に周囲の人々の暖かい理解と助言に対して感謝の気持ちで一杯です。

 ◇現在の練習と抱負

 ナンバ一番KKにかわってからは、練習時間にも恵まれ、トレーニングを含めて平均3~4時間の練習はほとんど欠かしません。社会人になってからはゲーム練習ばかりしていましたので、そのブランクをとりもどすため、基礎練習に重点をおいています。
 また伊藤先輩の見事なプレーに接する機会に恵まれたことはとても幸運だったと思います。伊藤さんの技術は一つ一つ確実な動きがあり、そしてそれらを結合するリズムがありました。私は伊藤さんのプレーを見ていかに基本が大切かを改めて知らされました。
 勿論、伊藤さんにはゲーム練習もしていただきましたが、どんなに一生懸命頑張っても、5本以内のポイントで負かされることがしばしばでした。情けない気持ちで台の下をくぐりながら(10本以下だと卓球台の下をくぐる約束になっていました)、私と伊藤さんとの技術の差、基本の違い、卓球理論のつかみ方の違い等を考えているうちに、自分には、このボールはこうすれば必ず入るという理論的な裏付けがなく、そしてそれがないために確信のあるプレーをすることが出来ないのだ、ということに気がつきました。それ以来、今日に至るまで、たとえ多少無駄に感じられることがあっても、基礎打法の一つ一つを自信を持って打てるようになるまで、しっかり練習しようと努力しています。
 読者の中には左利きの方もおられると思いますので、左利きである自分にとって、無駄な練習だった、またそれが遠回りさせたと感じたことを書いておきます。それは練習時、ほとんどの場合右のフォアクロスから打ち始めそれに費やす時間が大変に多かったことです。正しいフォームの完成のためにも、左の人は左のフォアクロスをもっと練習すべきだと思います。
 私はいつの間にかショート主戦の型になってしまいましたが、左であるということ、フォアに最大の欠点があるということが、そうなった最も大きな原因です。フォアを警戒するため、知らず知らずの内にバック側をショートで処理するようになったのでしょう。それ故にショートからの攻撃と守備を必要としたので、ストップ性ショーとともに、バウンドの頂点を押すプッシュ性ショートを覚えました。最近ではフォアハンドの練習とショート練習は同じくらいの時間をかけてやっています。しかし、ショートにたよっていたのでは試合には勝てません。あくまでフォアハンドによる先制攻撃とスマッシュを必要とします。さらに総合的な守備力も、もっと強化したいと思っています。これらをいかにして自分のものにするかが、他の多くの欠点をカバーするためにも、是非ともマスターしなければならない私の今後に残された課題となっています。
 私の知る限りでは、恵まれない環境にある人は、恵まれた環境にある人よりかえって根性が出来、試合にも強くなります。反面恵まれた環境の人は、いくら練習していても、何か気持ちの上で、強い、確固たるものが養いにくいように思えます。私は、自分のかつての経験から、社会人である今の私よりも練習量に恵まれている中高校の方々に、このことをよく知っていただき、毎日の研究、努力を怠らぬよう忠告したいのです。
 数多くの立派な成績を残された先輩の苦難と、その苦難の道を切り抜かれた努力はさぞかし大変なものだったろうと改めて感じる現在、自分に課された責任の重大さを思い、先輩の築かれた土台の上を私もまた一歩一歩歩んで行きたいと思っています。

やまなか のりこ
世界ランク第7位、日本ランク第9位、プラハ大会日本代表。京都精華女高卒。22歳

(1964年8月号掲載)

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