わたしの練習㉙鍵本肇 長所を伸ばす練習を

 私がラケットを握り始めたのは、確か小学校5年のころでした。父の仕事の関係上、家が高校内にあったため放課後高校生の練習をみたり、休憩のときに遊びで教えを受けたりしたのがキッカケです。
 まもなく中学に入学し、待望の卓球部に入部しました。その当時は10分ぐらいクロスを打って、その後すぐゲーム体制に入るという実戦練習が主でしたが、2年になると父の在職校であり、私の母校である須崎工業高校で練習させてもらうという幸運に恵まれ、練習方法などに何かとヒントを得ることができました。そのころです。荻村さんが欧州選手と共に来校された折り、コーチを受けることができ、基本練習の重大さ、体力の重要さを教えられたのです。加えて父のすすめもあり、翌日から早朝3キロぐらい走るように努めました。それは苦しいときもありましたが、雨の日や特別の場合を除いて毎日続けました。これと同時にフットワーク練習だけは多くやるようになり、また、ゲーム練習のときでもオールフォアで動くよう心がけていました。サービスは、ほとんどロングサービスを用いていたように覚えています。

 ◇家庭の理解で楽しく練習

 このようにして、理解ある家庭のもとで何の心配もなく、また、西田さん(早大出、元土佐女子高教論)にときどき教えを受けることができるという環境の中で、毎日楽しく、がむしゃらに練習したのです。日曜日などには、高知市内の高校生の人たちと練習試合をやらせてもらうことも、多々ありました。3年のときです。西田さんが帰郷される際、いっしょに上京させていただき、ループ、ショート、それに試合のかけ引きなどを学んだことを記憶しています。そのことは、広くても高知県内だけの卓球しか知らなかった自分に、最高の刺激となり、それ以後の練習に非常にプラスされました。
 中学時代は、特別の場合を除いては、クロス打ち、フットワークなどを主体にした基本練習だけで過ぎ去ったように思われます。
 非常に思い出多い、また、有意義だった中学時代を後に、学芸高校(高知市)に入学したのですが、2カ月目に、父のいる須崎工業高校(須崎市)に転校しました。そのため公式戦には出場が許されず、練習にも張り合いがなくなり、毎朝のトレーニングもとだえがちになってしまい、練習量が少なくなりました。そんなとき、早稲田大学の方たちが来校され、森さん(現早大監督)、西田さん、故人となられた松岡さん(早大出)らのお骨折りで約3週間、早大で練習をさせていただき、大学選手の方たちに接することができました。短期間でしたが、非常な収穫が得られ、調子が上昇したのですが、やはり学校に帰ると練習相手が少なく、毎日惰性でやっていたような感じでした。

 ◇フットワーク重点の練習

 このように、高校時代の練習も中学時代の延長のようなもので、クロス打ち、それに、ショートで左右1本ずつのと、全体に動かしてもらう2通りのフットワーク練習を多くやっていました。冬季はトレーニングを多くし10キロ程度走ったり、砂浜でラグビーのようなことを行い、足腰の鍛錬に努めました。上半身の鍛錬もやっておけば良かったと反省しています。考えてみると、中学時代のような基本練習ばかりでなく、計画的に新しい技術もどしどし取り入れ、また、同じ練習にしても、毎日毎日少しずつでもボールに威力をつけて行くとか、安定性を増して行くとか、フットワークならば、わずかずつでもより速く、より広くなるように心がけて練習すれば良かったと残念に思われてなりません。
 このような幅のない単調な卓球では、四国ではがんばれても全国大会では通用せず、良い成績を上げることができないうちに高校卓球に終止符を打ちました。高校時代の戦績が芳しくなく、果たして大学でどの程度がんばれるかどうか不安で大変迷いましたが、“一度始めたものを途中でやめるのはだらしがない”と決心、入試勉強を始めました。それからの生活はラケットをあまり握ることができず、勉強に打ちこまなければならないため、苦しいときもありましたが、家族の理解によって何とかくじけずがんばることができました。この間の練習は軽く1週間に1~2度、1時間程度行うだけで、トレーニングはやりませんでした。そして半年後、あこがれの早稲田大学に入学することができたのです。

 ◇早起きして練習

 大学に入学してまず感心したことは、練習態度が真剣で迫力があるということでした。果たして、いなかでノンビリやっていた自分がついて行けるかどうか不安に感じましたが、頑張らねばならぬと常に自分自身に言い聞かせ、その不安を吹き飛ばすように、暇があれば練習するよう努めました。早大は昼12時30分~3時30分まで合同で練習を行うことになっています。内容は台が少ないためか、ゲーム練習が主です。1度負けてしまうと次がなかなか回ってこないということで、先輩に必死になって向かって行きました。強い人たちばかりとの練習なので、短時間でもかなりの疲れを感じたのですが、強くなるにはこれだけではだめだ!と決心、同級生と早朝起きて練習することにし、フットワークおよびツッツキ打ちの練習に重点を置いてがんばりました。夜は、木村さんら諸先輩の方たちが来てくださるので、できるだけやるように努め、ゲーム主体に教えを受けました。
 入学後、こうした練習が続いていったのですが、ちょうどオリンピックのため、学校が2週間ほど休講になったときです。授業がないため、この期間は朝昼夜と思う存分の練習をしました。内容は、サービス、レシーブ、3球目攻撃、それにこのころからフォアへ2本、バックへ1本ついてもらうフットワーク練習を始めました。この合宿同様の練習で、調子が上昇し、エンジンがかかったのか、その勢いで幸運にも全日本学生選手権大会においてランクに入ることができました。この結果、わずかながら自信がつき、その後の練習にますます意欲がわいてきたのです。

 ◇世界選手権代表選手合宿がよい刺激

 今、なつかしく思い出される一つに、世界選手権の合宿にトレーナーとして参加させていただくことができ、毎日夜遅くまで厳しい練習を続けたときのことがあります。この合宿で技術面、精神面において大きな影響がありました。特に練習のときの心構え、集中力などに関することです。この合宿後は、この体験を最大限に活用し、自分の練習、その他にプラスして行きました。練習のとき、張り合いを持てるようになったのも、その現れかも知れません。
 2年になってからの練習は、合同練習のときはもちろん(12:30~15:30)それ以外の時間(授業の合間や朝)をできるだけ活用し、長所にますますみがきをかけ、また、短所は少しでもなくして行くために、自分のための練習を行うよう努めています。その時間に恵まれたときは、だいたい次のような練習をしています。
 ・サービス、レシーブ、3球目攻撃主体のオール練習
 ・一発必中の強打を体得するためのスマッシュ練習
 ・バックハンドの強化
 ・前陣における速いフットワーク
 ・ツッツキ打ち
 スマッシュ練習は、ボールを多数利用し、前後左右に動きあるいは飛びついたりして、ショート、ドライブ、サービスなどをスマッシュする方法で行っています。スピードがあり、しかも安定性のあるボールを打てるようにならなくてはいけない、と考えています。
 バックハンドの練習は、最初のころは安定性を得るため、何本も続けることに努力しましたが、それがある程度完成したので、その後は、前陣における鋭いバックハンドの練習に時間をかけるようにしました。そして今は、ツッツキをバックハンドで攻撃できるように練習しているのですが、まだまだ実戦で使えるには至っていません。
 このように2年になってから、自分のための練習を多くやるように心掛けているので、自分のペースというものが自然にわかって来たように思われます。
 先の中国遠征で、バックハンド、ネットプレーなどの必要性を身にしみて感じて来ました。この遠征体験を十分活用しなくてはならないと思っています。
 これからの目標としては、目を広くむけて1つのことしかできない選手ではなく、幅広いプレーができるような選手になりたいと思っています。
 ご指導くださった方々に感謝するとともに、これからもよろしくご指導くださいますようお願いいたします。

かぎもと はじめ
高知県須崎工業高校出身、早稲田大学2年。
裏ソフトの攻撃選手。北京国際大会第2位

(1965年11月号掲載)

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