わたしの練習56高橋浩 練習の質を重要視して

 私の卓球生活を振り返ってみると、飛躍的に進歩したと思える時期が2度あった。最初は20~21歳にかけてであり、その次は23~24歳にかけてである。2度の場合とも練習の結果が、第6回アジア選手権の単複優勝、第28回世界選手権の団体決勝対中国での2勝と満足すべきものであったことが、それらの時期を他の時期に比べより内容のあった時期として特に記憶されているのかもしれない。この2度の時期に共通していたと思われることは、物事にたいして敏感で、受けた刺激を自分のものに消化しようと一生懸命だったことである。

 ◇バックハンド

 全日本学生ランキングの12位~16位の位置から全日本硬式初出場でベスト8に、日中対抗で世界チャンピオンの荘則棟選手(中国)に勝つなど、急に成績が向上した技術的な原因はバックハンドをフォアハンドと同様主戦武器の一つとして作戦のなかに取り入れていったことと、サービスに工夫をこらしUp-Downサービスをつくったことである。
 従来バックハンドは補助的技術とみられ“フォアハンドができてからバックハンドを振るべきだ”というような風潮があった。私自身このことにあまり疑問を持たず、したがってバックハンドを使おうと決心した動機も、理論的にバックハンドが必要不可欠のものだから使う、というのでなく、低迷した状態から脱皮せんがために使い始めたものである。しかし、動機はどうであれ、練習をするにつれ、これは必要不可欠の技術である、やらなければいけない、と考えるようになった。
 当初はバックハンドをスムーズに振ることが当然ながらむずかしく、そのために床の上に足を広げて伸ばし、高い位置から床面に平行に振れるよう素振りの練習を多くした。また、そのスイングが高い位置から始まるか否かで利用範囲、威力、安定性はずっと変わってくるからこの素振りは効果的であった。
 角度についても同じで、このためには備えつけの鏡を大いに利用した。インパクトのときラケットを止めて縦横からながめ、常にボールに対して直角の角度を出すように努めた。
 このバックハンドはレシーブと第3球目攻撃に対しておもに使ったわけであるが、バックハンドばかり振るとつけこまれやすいので、終始フォアで回り込むことに留意した。それに幸いだったことは、技術や作戦が固まらない時期にバックハンドをやり始めたことで、これが他の技術に支障をきたすことなく、すぐ調和することができたことである。いったん型ができてしまうと、そのなかにスンナリと入ってゆくことはむずかしい。このことから、必要な技術は早くから他の技術と関連させ練習してゆくことがぜひとも必要である。さもないと後でとりかえしのつかないことになりかねない。

 ◇Up-Downサービス

 だれしも絶対的なサービスをもちたいと思い、そんなサービスをもっていれば勝てる試合もグンとふえるに違いない、とわかっている。ところが既成概念(きせいがいねん)などにじゃまされて独特のサービスをつくり出すということは容易でない。私自身一般に行われている各種のサービスのなかから、自分の好きなものを選び強化するという消極的なものであった。そうした折りちょっとしたことから、一つのサービスの動きのなかに性質の相反する二つの動きを設け、そのいずれかの方向でボールをとらえれば非常に効果的なサービスが生まれるだろう、と考えた。それがUp-Downサービスである。従来サービスは一定方向の運動だけによるものが多く、スイングの速さ、角度の違い、とらえる場所の違いなどですぐれたサービスをつくっている。それだけに判断しやすい。Up-Downサービスの場合、急激な方向転換を必要とするので、小さく激しくラケットを運動させることと、ボールをどこで当てるかというタイミングがむずかしい問題であったが、毎日20分単位×2、3回の練習で約3カ月後には3球目とも関連させ、自信をもって使うことができた。

 ◇前陣で粘る練習

 この二つのほか、コートについてのプレーを目標にしていたので、後陣での不安を除いてからコートにつけば思い切ったプレーができると考え(これは多分に性格的なものであるが)、コートから3mくらい離れた距離から、いつもスマッシュできるのだが、この1本は作戦として粘っているのだというつもりで、粘る練習をした。送球はゆるかったが、スマッシュできるという条件があるので完全なスマッシュ・フォームまでもってゆかねばならず、この練習はたいへん役に立った。
 この時期の練習量は正味3時間半くらい(体力トレーニングを除く)であったが、コートに出たときは全神経を集中してボールを追うようにし、集中力を高めるように努めた。
 自分で試行錯誤(しこうさくご)しながら進めていったこの時期の練習内容および態度は、その後も練習する際の根本的なものとなった。こうした経過を終え全日本クラスの合宿に参加できるようになったわけであるが、そこでは技術的なものよりも、卓球とはなにか、なぜ卓球をやるのか、などの卓球人としての姿勢が問題とされ、より高い見地から卓球をながめることを学んだ。これが社会に入って今日まで自分に卓球をやらせている原動力である。

 ◇もっとやれたのでは

 ただ現在残念に思うことは、スタートがおそかったためにもしかしたらもっと高かったかも知れない頂点の高さを途中で降りなければならなかったのではないか、ということと、最高のものが出せると思っていた矢先、そのチャンスをあきらめなければならなかったことである。
 私はこれまで練習の質を何よりもまして重要視してきた。この場合の質とは消化できた度合であるが、私のその質は持久力のない質であったのではないかという気がする。一時的に確かによいプレーができたとしても、いついかなるときでもたくましく変わらぬ威力を発揮するものこそ真に質があると言える。質と量の関係は集中力と大いに関係があり、むずかしい問題であるが私の場合もっとやれたのではないかという反省が先に立つ。

たかはし ひろし シチズン時計。東京・高輪高→慶応大出。
26歳。右利き、ペン、裏ソフトの攻撃選手。
身長165センチ、体重57キロ。’65年世界ランキング4位。


(1968年5月号掲載)
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