わたしの練習105嶋内よし子 徹底して好きな技術を伸ばして

 いま思えば、小学校5年生になった時、北海道から井上先生が興津(おきつ)小に赴任されてこなかったら、今日の私の卓球はなかったわけですから、縁とはふしぎなものです。

 ■卓球との出会い

 私の育った興津という所は、高知市から、南西へ60kmも離れた町です。雄大な太平洋を見て育ちました。小さな小学校ですから、クラブ活動と言えばソフトボールしかなく、私もその仲間に入っていました。南国の太陽をいっぱいにあび、真っ黒に日焼けした女の子でした。そして5年生になった時、井上先生に出会い、その年の秋、卓球部創設と同時に(先生にすすめられて)25人の仲間とラケットを持つようになりました。卒業まで続けた仲間は5~6人ぐらいだったと思います。そのころは、練習と言っても、半分遊びと同じようなものでした。ピンポン、ピンポン続けるのがおもしろく、すぐに卓球の"とりこ"になってしまいました。なにしろラケットを握っている時間が週38~40時間ぐらいはありましたから...。
 いま、一番思い出に残っているのは、仲間2~3人と始めた5時からの早朝練習です。熱にうかされるというのか、練習をやりたくて目が覚めるのですから、卓球の魅力はたいしたものだと思います。卒業するまで早朝練習を続けました。
 これだけ卓球が好きでも練習内容はというと、私は、ショートとフットワークでした。先生からはフォア打ちをやるように言われましたが、どういうわけかショートが好きで、先生がいない時は、ショートばかりやっていました。ショートを多用する現在の卓球は、この時期にすでに芽生えていたのかもしれません。

 ■フォア打ちがきらいで...

 中学校は興津中学でした。入学と同時に卓球部に入りましたが、顧問は、野球が専門の山崎先生でした。明るいうちは野球部を指導され、野球が終わってから卓球部に顔をだされるという、かけ持ちの先生でした。ですから、ふだんの練習は、自分たちで計画を立て、練習していました。
 小学生のころ、あれほど好きだった卓球も、中学では思うようにできませんでした。理由は簡単です。練習場がなく、教室を利用していたこと。夢中で机や椅子をかたづけて練習場をつくのですが、間隔をつめても3台しか置けず、それに上級生もいたからです。週合計で23時間ぐらいに減りました。
 練習内容は(自分たちで計画したのですが)、①ラリーを続ける練習。目標はフォアハンドロング100本、ショート100本 ②左右動のフットワーク ③ツッツキ、が主なものです。自分たちで決めた練習計画ですが、私はフォアロングやツッツキがきらいで、好きなフットワークとショートに力を入れていました。こんな気ままな練習でしたから、後に、フォアロングで苦労する破目になったのだと思います。好きなショートは私の卓球にプラスになりましたが、フォアロングにはいまも泣かされています。将来ある中・高校生には私と同じ失敗をしてほしくありません。
 トレーニングは、中学生になってから始めました。腕立て伏せとか階段とか坂道の昇り降り...が主なものでした。一人の時は、海水浴場となっている砂浜の波打ちぎわを2㎞ほど走りました。このランニングは中学卒業まで続けました。もう少し考えてやっていれば、もっとパワーがついたのではないかと思います。
 県の大会には、私が2年生のころから出場するようになったのですが、土佐女子中学が強く、ずいぶんくやしい思いをしました。そのくやしさが、"よし、強くなってやろう"という気持ちをせきたてたのだと思っています。

 ■足を使った速い卓球を追究

 高校は土佐女子高校へ進みました。顧問は穂積先生、コーチに仙頭さん(福岡大で活躍)がついてくれました。選手生活の中で印象に残るアドバイスの一つですが、仙頭コーチから、「足があるんだから、速さを追求しろ」と言われました。私が目ざす卓球の方向がはっきりしたのはこの時です。
 練習内容もその方向にそって、バックショート・フォアロングの切り替えとフットワークが大部分を占めました。しかし、高2の終わりまで、全国大会ではたいした成績はあげられませんでした。高2の時のインターハイでは、1マッチ39本のレシーブミス、という不名誉な記録までつくったほどでした。
 もうあとがなくなった高3の6月、インターハイを目前にして、それまでの裏ソフトから、表ソフトへと転向しました。開き直りの心境とでもいうのでしょうか。
 そんな時、卓球レポート編集長の西田さんが指導にこられ、「速い卓球を追求するなら、いいロングサービスがなければだめだ」とアドバイスされました。実際にゲームをやっていただいたら、右肩をグッと入れた逆モーションのロングサービスに、何本もノータッチで抜かれる始末。そのくやしさがしばらく頭を離れませんでした。インターハイまでの2カ月間に、そのサービスを覚えようと決心しました。そしてロングサービスからの3球目攻撃の練習に重点をおきました。
 いよいよ最後のインターハイです。楽な試合はありませんでしたが、運よく優勝することができました。信じられないことでした。表ソフトにかえて、ショートが生きたことと、逆モーションロングサービスからの3球目攻撃が威力を発揮したようです。あの時のくやしさを、それだけで終わらせず、自分の技術として吸収したのがよかったのだ、と思います。

 ■スマッシュ力を強化

 大学は、速攻型をめざした時からあこがれていた、河野さんの卒業された専修大学に入学しました。ここでは、伝統ある卓球部であるだけに、いろいろなことを学ぶことができました。社会人の現在、おおいに役立っています。
 大学生のボールは高校生と違って、一球一球に威力があります。それに負けないためには、フットワークとスマッシュ力を強化しなければいけないと思いました。私が大学で一番伸びたと思われる時期の練習は、前記2つを兼ねた練習をたくさんやっていました。紹介しますと、
①相手のフォア前サービスをストレートにはらう
②相手がバッククロスに攻めてくるのをプッシュでクロスへ
③相手が再びクロスへショートしてくるのを回り込んでスマッシュ(私が②でプッシュしたあと、オールサイドの練習と2とおり)
 また、女子はツッツキ合いになるケースが多いので、
㋑バッククロスのツッツキ合いから、私がバックに回り込んでクロスに強打
㋺それを相手がストレート(私のフォアサイド)へショートしてきたのを、フォアへ飛びついてクロスまたはストレートへスマッシュ
 以上紹介しました2つのシステム練習は、フットワークとスマッシュ力を強化するのに、ものすごく効果があった、と思っています。
 河野さんにも、時々指導を受けるチャンスに恵まれ、ナックル性サービスを生かした攻め方を教わりました。これらのことがうまく相乗効果としてあらわれ、全日本選手権でも優勝できたのだと思います。
 私は、いいアドバイスをしてくださる方々にめぐり会えたことを、いつも感謝しています。

 ■河野型卓球を目ざして

 現在の私の練習をひと言であらわせば、"河野型卓球を目ざした練習"ということになるでしょう。まだまだ足元にもおよびませんが、大きな目標として、いつも意識して練習に取り組んでいます。小さい時から好きだったショートを残しながら、バックハンドも打てる選手になりたいと思っています。苦手なフォアハンドの強化、連続スマッシュが打てること、パワーアップ、カット打ち...と、課題はたくさんあります。
 現在の恵まれた練習環境に甘えることなく、ひとつひとつマスターし、がんばっていきたいと思っています。

 終わりになりましたが、次代をになう中・高校生に私の体験から、アドバイスさせていただくなら、①とにかく人一倍卓球が好きになること ②用具の多様化時代を勝ち抜くためにも、研究心を忘れないこと ③自分の得意技術(エース)を伸ばすこと ④くやしさを自分のものとする努力をすること...などです。

しまうちよしこ
専修大出、三井銀行。右、ペン、表ソフトの前陣攻守型
バックプッシュ、3球目攻撃などが得意
1978年全日本単No.1。1979年ピョンヤン世界大会日本代表


(1981年1月号掲載)
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