日本人初のプロ選手が魅せた全日本

「1993年4月17日。日本初のレジスタード・プロプレーヤー(登録プロ選手)が、日本卓球協会に正式に認められた。男の行く道は急勾配の上り坂。道は険しく先は見えない。反対する弟、大好きだった同僚達......。この道がどこに続くか分からない。しかし、思い切り登るだけだ。自分のために、卓球界のために......。男は卓球にすべてを賭ける決心をした(卓球レポート1993年9月号)」

 平成5年度全日本選手権大会は、プロ転向の1年目として注目を浴びる松下浩二プロ(日産自動車・当時)にとって「絶対に優勝しなければならない大会」だった。しかし、当時、口癖のように「プロなのにアマチュアの選手に負けるのはカッコ悪い」と話していた松下プロは、この大会で絶体絶命の窮地に追い込まれていた。準々決勝、伊藤誠選手(シチズン時計)との同世代対決。5ゲームスマッチのこの試合、ゲームカウントは1対2となり、第4ゲームは14対20(当時は1ゲーム21点制)。このとき、松下プロは何度も自分に言い聞かせた。「最後に勝つのは俺だ!」

 ここからの大逆転劇は、今なお全日本の歴史を彩る語り草となっているが、このときの松下プロのプレーは「神がかり的」という言葉では片付けられない。後に「(プロとして)どうしても勝ちたかった。3カ月前から全日本だけに絞って備えた」と語った松下プロのプレーは、まるで何かに取り憑かれたような凄まじさがあった。観るものに「勝負に甘えはなく、真剣勝負とは、かくも厳しいものなり」と身をもって示し、筋書きのない6日間の長いドラマの中で全国の卓球ファンを魅了し続けた松下プロ。

 彼は以前からプロに転向する夢を持っていたが、それを実現に向かわせた理由は幾つか挙げられる。その一つに、1993年世界選手権イエテボリ大会の日本代表に選出されなかった悔しさがあったとも聞く。1993年2月19日に発表された日本代表&有力候補選手の中に「松下浩二」の名はなかった。その約2カ月後、彼はプロ宣言し、先行きの見えない急勾配の上り坂をひた走り始めた。そして、悲願の全日本初優勝。

 夢......。そして発奮は、人を強くする。(編集長)

「卓球レポート」1994年3月号



詳しい情報は日本卓球協会ホームページに掲載されています。
日本卓球協会:http:/www.jtta.or.jp
全日本卓球(特設サイト):http://www.japantabletennis.com/zennihon2018

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