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「世界一への道」伊藤繁雄 ―球史を革新したドライブ強打王―5

 転機の1点
 伊藤は、ベンチコーチをOBの野平さんにお願いしていた。野平さんの試合前のアドバイスはこうだった。
「台から離れるなよ。ドライブの引き合いになると、お前の方が不利になるからな。あまり回り込まずに、バックに来るボールはショートでうまくつなげ。フォア側のボールを狙うようにするんだ。そうすれば、お前にチャンスがある」
 伊藤の卓球の持ち味は、強靭(きょうじん)な足腰を生かして回り込み、積極的にフォアハンド攻撃を仕掛けるというものである。しかし、木村興治のドライブの破壊力には、前々から定評があった。野平コーチはそれを恐れ、伊藤に、なるべく木村のドライブを封じるような戦術を取らせようとしたのだ。
 ところが驚いたことに、当の木村も、同じような作戦を立てていたという。後で分かったことだが、伊藤が上り調子なのを知っていた木村もまた、伊藤のフォアハンドドライブを警戒し、ショートを増やそうと考えていた。台から離れての打ち合いを避けたかったのである。
 双方が同じような作戦を立てて戦ったためだろうか、試合は一進一退の展開になった。伊藤は、第1ゲームと第3ゲームを取った。
 仮にも全日本選手権大会の決勝である。しかも相手は以前から世界選手権大会で活躍している、経験の豊富な選手だ。めきめきと実力をつけてきた伊藤とはいえ、簡単に勝負をつけられるとは思っていなかった。
 むしろ、第1ゲームを取って少し緊張を緩め、第2ゲームでリラックスした試合をし、第3、第4ゲームでもそれを繰り返す、というようなリズムを感じながら自分の気持ちを盛り立てていた。
「第3ゲームを取ったのだから、第5ゲームは俺のものだ」
 最終ゲームにはそう考えて臨んだ。しかし、このゲームは出足からうまくいかなかった。
 序盤からリードされて11-14になったとき、伊藤は考えた。
「このまま同じ作戦を取り続けていたら、負けるだろう。だが、俺の本当の目標は、この全日本をステップにして、もっと実力をアップさせることだ。どうせ負けるなら、後につながる試合をしないと意味がない。ここで、思い切って方針を転換しないと、後々まで後悔することになるぞ。よし、自分で納得できる、思い切ったプレーをやろう。フットワークを使って動きに動いて、フォアハンドを振るんだ」
 そう開き直ったとたん、伊藤の本来の調子が戻ってきた。次の1本は思い切って回り込み、得意のバックストレートにスマッシュを打ち込んだ。12-14。
 そして、次の1本も素早く回り込んで、スマッシュした。幸運にもそのボールは、エッジをかすめた。
「いけるぞ、ついている。このまま強気で攻め続けるんだ」
 伊藤は確信し、これがまさに転機の1点となった。
 迷いは何もなくなった。
 それから後の展開は、完全に伊藤のものだった。木村の狙うサービスやコースが読めるようになり、ボールがいつもより大きく見えてきた。周囲の歓声も耳に入らず、コートの周りをとにかく動き回った。
 気がつくと、スコアボードは21-16を示していた。
 優勝、全日本選手権大会での優勝である。伊藤はとうとう、日本のトップに立ったのだ。専大に入学した当初は、まったくの無名選手で、上級生に見向きもされなかった伊藤が、いま堂々と表彰台の最上段に上ったのである。
 伊藤はすぐに、郷里の母親に電話をした。母親は卓球に関しての知識がほとんどなく、全日本選手権大会だと説明しても、
「まあ、そんなに大きい大会なの?すごいじゃない」
という言葉を返してくるくらいだった。
 しかし伊藤には、自分がこれまでがんばってこられたのが、すべてこの母親のおかげだということが分かっていた。70歳も近い母親が学費を稼ぎながら見守ってくれたからこそ、伊藤は自分を奮い立たせることができたのだ。
 やっと、お袋を喜ばせることができる、長谷川たち世界選手権代表メンバーを出迎えた、あの4月29日に一大決心をして、本当に良かったと思った。
 明くる日、伊藤は起きるが早いか、自分の写真が躍っている新聞を全部買い集めた。
「ダークホースの伊藤、全日本を制す」
「伊藤繁雄、初優勝。三冠王に」
 伊藤は込み上げてくる喜びを、ひしひしと感じた。
 ウオーミングアップ
 伊藤がこのような成功を遂げられたのには、もう一つ秘訣(ひけつ)があった。それは、伊藤流のウオーミングアップを重視したことだ。
 試合の40分ほど前から伊藤は、体育館の裏で30メートルほどの距離を、何度もインターバル走をした。それから、素振りとシャドープレーを丁寧に繰り返した。それも、やり終わったときにユニフォームが湿っているくらい、念入りにやるのである。
 試合前には疲れるからと、ウオーミングアップを簡素化する選手がいるが、伊藤に言わせると、本番で体を十分に動かすには、これくらいがちょうどいいのである。そうやって体をほぐしているうちに、次第に闘争心がわき、集中力も高まってくる。伊藤は10日間の日程を通してこのアップを続けたため、試合の立ち上がりから十分に体を動かすことができたという。
 世界を視野に
 あの第2の誕生日以来、伊藤は、目標を常に世界選手権大会に置いてきた。全日本を制した今、その野望はいよいよ現実味を帯びてきた。
 しかし、世界選手権大会の開催までには、まだあと1年待たなくてはならない。伊藤の当面の目標は、全日本2連覇だった。来年の全日本でも優勝して、世界への道をさらに強固にしようとしたのである。
 大学4年になっての関東学生選手権大会では、シングルス2連覇、ダブルス3連覇を果たした。東日本学生選手権大会、全日本学生選手権大会でも、シングルスで3位、ダブルスで1位になった。
 夏には全日本大学対抗大会(インカレ)が行われる。専修大学は伊藤が入学する前まで、11年連続で決勝に進んでいた。しかしこの記録はここ3年途絶えており、伊藤は専大のキャプテンとして、なんとかしてチームを優勝させたかった。伊藤の率いる専大卓球部は、男子も女子も、夏の間この全日本大学対抗大会に照準を合わせて必死で練習した。そして苦しい戦いを勝ち抜いて決勝に進み、世界チャンピオンの長谷川のいる、愛知工業大学に勝って優勝を果たした。女子も中央大学に勝って、悲願を達成した。
 そして12月、全日本選手権大会がやってきた。西ドイツ(当時)のミュンヘンで5月に行われる第30回世界選手権大会の日本代表選考会も兼ねる、重要な大会だった。
 シングルス決勝で対戦したのは、長谷川だった。それまでの伊藤は彼と試合をするとき、たいてい強ドライブで打ち抜いてやろうと気負って打ち急ぎ、墓穴を掘ることが多かった。そこで今度は、長谷川に先手を取られてもすぐに逆襲しようとはせず、粘り強くコートから距離をとってしのぎ、長谷川にボールを余分に打たせるくらいの余裕を持とうと考えた。
 これまでのところ、昨年と同じく団体、ダブルスで優勝している。あとはシングルスだけだ。
「1年前と同じ調整をして大会に臨んだのだから、絶対に勝てる」
 伊藤は強い自信を持っていた。
 準決勝を比較的楽に突破した伊藤に引きかえ、長谷川は専大の河野との、ゲームオール22-20の接戦を制したばかりで、相当に疲れているはずである。
「決勝戦は3-2で勝つ作戦でいこう」
 伊藤はこう考えて戦い、見事に勝ちを収めた。満点の試合展開だった。
 伊藤は再び、団体、シングルス、ダブルス優勝という、3冠を達成した。
 生活の中のトレーニング
このころになると、伊藤の生活には、隅々にまで卓球のためのトレーニングが浸透していた。
 まず道場では、かかとを床につけて移動することがなくなった。常につま先、特に親指に神経を集中させ、すり足で動いた。ボールを拾うときでも、自らすすんでスピードのある球を打つ選手の正面に立ち、球質やコースを推理判断し、記憶する訓練を心がけた。もちろんボールは壁に当たる前に拾う。
 練習の休み時間には、腹筋運動やスクワット、腕立て伏せ、素振りを何百回もした。そして、とにかくよく走った。ランニングは1日10キロを目安にし、うさぎ跳びは日に2~3キロ、多いときには5キロもやった。
 電車の中でも、両手でつり革をつかんだり放したりの動作を素早く繰り返し、ラケットの握りを柔らかくしなやかにする工夫をした。左手も鍛えたのは、フリーハンドにも意識を集中させるためである。窓から外を眺めるときには、電車の速度に合わせて目だけを動かし、線路沿いの広告の文字を瞬時に読み取って動態視力を高めた。足はつま先立ちだった。
 授業中は席についた姿勢で、腰を浮かしたり、床から足を浮かしたりして、下半身を強化した。素振りは、歩きながらでもやった。
 さまざまなトレーニングを通じて下半身の強化を重視したのは、フォアハンド主戦で攻め続ける伊藤の得意戦術をしっかりと支えるために、強靭なフットワークが必須だったからだ。伊藤はこんな方法も編み出した。台を横に3台並べて、1台でやるときと同じ要領でボールを送ってもらうのである。信じられないようなフットワーク練習だが、これをやった後再び1台に戻してやると、自分でも驚くくらい素早く動けた。
 朝、昼、夜1時間ずつのフットワーク練習を続けたとき、4日目で右シューズの親指の付け根の部分に穴が空いた。
 走りたいと思えば、夜中でも起き出して外に飛び出すほどだった。強くなりたいという意志が高じた結果、日々の生活自体がいわば「卓球化」していたのである。
 世界選手権大会に向かって
 積年の目標である世界選手権大会を目前に控え、伊藤の調子はピークに達していた。全日本2連覇を成し遂げた伊藤は、この大会のキャプテンも引き受けた。日本男子の監督は大津史郎、メンバーは伊藤、河野、長谷川、笠井、田阪、井上の6人だった。
 伊藤のキャプテンとしてのチームワークづくりは、まず自分が必死で卓球に取り組み、その後ろ姿をみんなに見てもらう、というのを基本にしていた。分からないことがあれば、前回世界選手権1位、2位の長谷川や河野に聞き、メンバーの経験の力を借りて全体の力を高めることに努めた。キャプテンである以上、団体戦で結果を出すことには特に責任を感じ、チームをまとめると同時に、自分の練習にもますます気合を入れた。
 初出場の世界選手権大会でゲームを自分のリズムで展開していくためには、相手を圧倒するほどの、徹底した動きの速さや振り、戻りの速さが必要だろう。
 こう考えた伊藤は、3球目や4球目までの展開を想定したシャドープレーを分習法や反復法でやって、体に覚え込ませた。
 出発
 いよいよ明日日本を発つという夜、伊藤はいつもの机の前にきちんと座った。
 世界選手権大会の開催地はミュンヘンだったが、メンバーのうち、世界選手権大会出場の経験のない伊藤、田阪、井上の3人は、他の3人とは別に一足先に出発し、ソ連(当時)で交歓試合を行うことになっていた。
 伊藤は、昂(たか)ぶる気持ちを抑えるように、目をつぶった。そして静かに卓球日誌を開くと、普段より少し大きめの字で、愛読書の中の一節を書き記した。それは、宮本武蔵の「独行道」だった。
「われ、事において後悔をせず」
 滑らす万年筆にも、覚えず、力がこもった。
 言うまでもなく、宮本武蔵は、戦国時代末期から江戸時代にかけて活躍した剣豪である。その生涯で、一度も負けたことがないと伝えられているほどの傑物だ。彼が死の直前に熊本の金剛山の中腹にある霊巌洞にこもって綴(つづ)ったこの「独行道」という書には、剣の道に精進する後進への、修行の戒めが収められている。
「一、世々の道をそむく事なし。
 一、身にたのしみをたくまず。
 (略)
 一、我事におゐて後悔をせず。
 一、善悪に他をねたむ心なし。
 一、いづれの道にも、わかれをかなしまず。
 一、自他共にうらみかこつ心なし。
 一、れんぼ(恋慕)の道思ひよるこころなし。(略)
 一、道におゐては、死をいとはず思ふ。
 一、老身に財宝所領もちゆる心なし。
 一、仏神は貴し、仏神をたのまず。
 一、身を捨てても名利はすてず。
 一、常に兵法の道をはなれず。
   正保弐年五月十二日
             新免武蔵」
 あの第2の誕生日以来、世界に挑戦するのだと固い決意を胸に、すべてを卓球にかけてきた伊藤である。できることはすべてやった、あとは力を十分に出し切るのみだとの強い思いが、自然と武蔵の心境を思い起こさせたのだろう。今こそ自分の力を最大限に発揮するときが来たのだ。
 ソ連で
 伊藤は田阪、井上とともに、モスクワに向かった。
 ソ連は今回の世界選手権大会での活躍が予想されているチームで、中でもエース・ゴモスコフのバックハンドは世界一だといわれていた。
 伊藤の得意パターンの一つに、フォア前かバック前によく切れた下回転サービスを出し、相手につながせて強ドライブで先手を取る、というのがある。伊藤は下回転サービスをブッツリと切って出すことができるので、そうそう簡単に払われることはなかった。
 ところが、である。伊藤が自信を持ってフォア前に出したこのサービスを、ゴモスコフはクロスに強打した。まったく予想していなかった展開に、伊藤はとっさの判断ができず、打ち抜かれてしまった。
 こんなことは、めったにない。伊藤は、自分のサービスの切れが甘かったのだろうと考えた。いつもの回転量を出せば、きっとつないでくるはずである。伊藤は気を取り直して、もう一度下回転サービスを出した。
タターン
 さっきと同じだった。今度のサービスは確かに切れた手応えがあったのに、ゴモスコフは少しも躊躇(ちゅうちょ)しているように見えなかった。
「むむ、ハッタリもいいかげんにしろよ」
 伊藤はもう一度だけ様子を見ようと、またもや同じサービスを放った。
スターンッ
 あまりに鮮やかな払いの技術に、さすがの伊藤も兜(かぶと)を脱がざるを得なかった。サービスはフォア前に頼りすぎず、フォアミドルにも混ぜて出すことで効果を挙げる作戦に転換した。
 ゴモスコフにいくら驚異的なラリーを見せつけられても、伊藤はたじろがなかった。最終目標は世界選手権大会の本番で勝つことである。相手が強気の姿勢を見せようとハッタリで打っているのか、それとも本当に得意としている展開なのか、じっくりと腰を落ち着けて何度か試し、冷静に見極めようとしたのだ。
 それに伊藤は長谷川から、ソ連の選手についての、こんな弱点を聞いていた。彼らには総じて内弁慶のところがあり、ソ連国内では滅法(めっぽう)強いが、外に出るとなぜか調子を落としてしまうというのである。
「あいつの実力は、これで最大限なんだ。本番でこれよりレベルが上がることはない。俺は逆に本番ではもっと強くなれる」
 伊藤はゴモスコフと2度対戦して2度とも負けたが、本番に向けた作戦の材料集めとしての感触は良かった。
 バックに不用意に甘いボールを送ると、強烈な攻撃が待っている。フォアハンドが得意な傾向の強い日本人選手と対戦するときの癖で、ついバックにしのいでしまうのは要注意だと分かった。
 一方で、伊藤がエースボールとして強化してきたバックストレートへの攻撃は、ゴモスコフのフォアを打ち抜くのに十分だった。相手が警戒して伊藤のバックへの返球を避けようとしているのが、はっきりと見て取れた。
 本番でゴモスコフのような選手と当たったら、相手のフォア対自分の全面を使った展開にしよう。相手のフォアは日本選手のバック、相手のバックは日本選手のフォア、これを頭に叩(たた)き込んで向かっていけばいいんだ。
 ソ連を発つころには、伊藤の頭におよそこのような作戦ができあがっていた。

(2001年10月号掲載)

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