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シュルベクが逝去

 

ドラグティン・シュルベク

 

 ユーゴ代表選手として活躍したドラグティン・シュルベクが7月15日に逝去した。71歳だった。
 シュルベクは1946年8月8日生まれ。ザグレブ(現在クロアチアの首都)出身。ユーゴ代表選手として数々の国際大会に出場し、ヨーロッパ選手権大会では、金メダル5個を含む22個のメダルを獲得した。世界選手権大会では、金メダル2個、銀メダル2個、銅メダル10個を獲得。金メダル2つは男子ダブルスで、1979年平壌大会ではステパンチチとのペア、1983年東京大会ではカリニッチとのペアで世界一となった。
 月刊「卓球レポート」1975年11月号では、当時編集部に在籍していた長谷川信彦(1967年世界王者)と、池ヶ谷登喜雄編集長が、シュルベクについて次のように記述している。(※は現在の卓レポ.com編集部が追記)
 
【卓球レポート1975年11月号より抜粋】
 彼のプレーを初めて見たのは、ヨーロッパ選手権を獲得した翌年の’69年の世界選手権。スピードのあるドライブを持ったオールフォアハンドのドライブ型選手であった。このとき、チーム戦で伊藤選手に勝つ活躍をした。
 練習熱心な努力家らしく、日本選手と同じようなフットワークをマスターし、鋭いスマッシュとループ気味のバックハンド・ドライブを覚え、’71年名古屋の世界選手権で単3位、’73年サラエボ大会も3位で団体戦で日本から3点をとる活躍をした。(※’75年世界選手権)カルカッタ(※2018年現在はコルカタ)でも団体戦で3勝しユーゴが日本に初めて勝つ原動力となった。対中国戦のフォアストレートのドライブ攻撃もよく、現世界ランク3位。
 右、シェークハンド・グリップ、丸形の5枚合板、裏ソフトラバーを使用している。
 写真は、ショートを打球点を落としゆっくりしたボールでスピードに変化をつけて返球しているところ。
 1は、動きやすいように膝をくの字型に曲げ、前傾姿勢で構えた基本姿勢。
 2〜4は、一番打ちやすい位置まで動き、スタンスを十分とって足腰を安定させ、腰と上体をひねりバックスイングを大きくとる。
 5〜8は、ボールをよく腰にタメて、膝、腰をうまく使ってドライブをかける。腰がよく入っているので回転が鋭く重いボールだ。ボールをよく見ている点もすばらしい。一発で決めるときのドライブは、腕のヒジがまっすぐ伸びきるぐらい振りきるが、基本的にフォロースルーは小さい。

 

シュルベクのプレー

【卓球レポート1975年11月号より抜粋】
 ヨーロッパにおいて、シュルベクの評価は高い
 彼を語るエピソードとしては、例のユーゴの一流スポーツマンによる体力測定であろう。潜水テストで4分30秒間ももぐりつづけ、1位を獲得してからブッ倒れた、あのがんばりが、彼のプレーを支え、見る人を感激させている。
『実際、卓球が好きです。ラケットを握っている間は全勢力を集中してプレーします。その結果、常に卓球をやる幸福感と満足感を得ています。カルカッタではそれが評価され、スポーツマンとしてうれしいかぎりです。』と優勝に匹敵するほど価値ある“フェアプレー賞”を各国のジャーナリストの圧倒的支持をうけて受賞したよろこびを語ってくれた。
 ’73年、ユーゴのサラエボで行われた世界選手権でもすごい人気「シュルベク・シュルベク」と観衆の大声援に対戦相手も悩まされた。卓球台にも「シュルベク」のネームが入っていた。まさに国民的英雄の感があったが、どれくらいの人気かというと、最近ユーゴでは1945年から1975年の30年間におけるユーゴの一流スポーツマンの人気投票が新聞記者によって行なわれた。カルカッタで団体、男子シングルス、男子ダブルスの3種目に2位になった同僚・ステパンチチは23位だったが、シュルベクは3位にランクされた。日本の戦後30年のスポーツマンの人気の中に“卓球日本”といわれた卓球界からベスト20に入れる選手がいるだろうか?

 

1973年世界選手権サラエボ大会。卓球台の側面には「シュルベク」のネーム

 

 数々の好成績を残し、多くの人々から愛されたシュルベク。故人のご冥福をお祈りします。【文中敬称略】
 
 

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