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三十六計と卓球 〜第一計 瞞天過海〜

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「日本の友人と世界の卓球界に『三十六計と卓球』を捧げる」 荘則棟

第一計 瞞天過海 (天の目を欺き、海を渡る)

此は、偽を表に現し、真を隠し、
偽装援護により相手の不意を突き、
目的を達する為の計略である。

 古代戦術の例

36kei-01-01.jpg 三国時代(紀元220 年前後)、北海の太守孔融は、都昌という城で、黄巾軍の管亥大軍に包囲され、包囲網があまりにも厳重なため、これを突破して救援を呼ぶことが出来ず、終日焦慮不安に陥っていた。
 その時、義士太史慈が、包囲網を突破し救援を呼びに行くことを申し出た。
 孔融らは、それを聞いて大変喜び且つ感銘した。
しかし、太史慈はすぐには行動を起こさなかった。
 彼は先ず2名の騎士を選び、馬を引き、弓、矢と的を持ち城門を出ると、大手を振ってお濠近くの土手にやって来た。
 包囲していた黄巾軍の方が大変驚いた。よく見ると彼らは、的を地面に挿し込み、射矢の練習を始めたのである。
 半日ほど練習すると、太史慈らは的を抜き、傍若無人(人をはばからず、勝手気ままにふるまうこと)のごとく、城へ戻って行った。
 2日目も3日目も、太史慈は同じようにお濠の土手で射矢の練習をした。
 黄巾軍の兵士らは、太史慈が毎日同じことをやっているので、あまり気にしなくなった。
 4日目の朝早く、太史慈らは前日と同じく、射矢の練習に出かけた。
 黄巾軍の陣営内を観察すると、兵士の中には座っている者、寝そべっている者、冗談を言ってふざけ合っている者など様々であった。
 太史慈は、今がチャンスと見るや、馬の下腹を鞭で思い切りひっばたくと、馬は前足を上げるや敵軍の包囲網をめがけて一直線に走り出した。
 黄巾軍は何事が起こったのかさっぱり分からず、疾走する馬をただ呆然と見ているだけであった。
 やっと我に返り追いかけたが、時すでに遅く、太史慈は包囲網を見事に突破し、救援を呼ぴ、都昌の城の敵軍の包囲網を解いたのである。


卓球における応用例

 1964年、中国卓球代表団が日本を訪問した時の出来事である。
 中国の王志良選手と日本のシェークカット古川選手の一戦が始まった。
 双方ともに譲らず緊張した場面が続いている。
 ある場面で王志良選手は何回もスマッシュした後、台に短くストップをした。
 古川選手は素早く台に近寄ると、台面の下から球をすくい上げ、高い球を相手の左側へ送り返した。
 王志良選手は、これを見るなり心の中で大喜びした。というのは、通常この種の球道はバウンド後、球が左に曲がることから彼は左側に体をひねり、スマッシュの体勢に入り、得点間違いなしと思ったからである。
 ところが球は台上に落下するなり、右へ跳ねたのである。
 この時点で王選手の体は左へ、球は右となったため、卓上の焼き鳥が逃げてしまい、逆に1点を失ってしまった。
 この場にいた中国選手達は、この「まさか」の出来事に大変驚いた。
 古川選手は、球をすくい上げる時、台面の下で左回転の動作を相手に見せかけ、実際には巧妙に右回転の球を送り返し、王選手の目と観衆の目に錯覚を与え、危機から脱したばかりか逆に得点したのである。
 観衆も相手選手も、彼の見事な技に魅了されたのである。

感想

1.新しきを創ることは、即ち戦闘力・生命力である。
2.周到な防備が出来ているから大丈夫だと考えていると、往々にして警戒心が薄れ、闘志が低下し、心がゆるんで敵を軽んじるようになりがちである。
平時見慣れた事柄には懐疑心を持たなくなる。
計略の秘密は、これらすでに公にされた物事の中に潜められており、公にされている事柄と相排斥するものではない。
したがって最も公にされている物事の中に、往々にして大変な機密的目的が隠されている。
3.この計略を応用するに当たり、情理に叶っていると同時に相手の不意を突くことである。
巧妙に相手の錯誤と錯覚を利用できてこそ、プロ中のプロである。
4.闘争の領域において、くそ真面目は無用無能の代名詞である。
心に大きな策略を抱き、多智多慮で、虎、ライオンを捕らえるが如くの儒将の素養を備えてこそ、またこれのみが巨大な殺傷力と戦闘力を生み出すのである。
5.戦う相手が決まっているにも拘らず、計略を用いようとしないのは、愚将軍であり、自ら威勢を削減することになる。また、計略を施せないのは無学無術だからである。
6.計略は知識と英知の結品であり、高度な心理学の運用である。
7.古・今・中・外の成功者は皆多智多慮で、その胆略(大胆で知略のあること)は他を越えている。
(翻訳=佐々木紘)
筆者紹介 荘則棟
chuan_s.jpg1940年8月25日生まれ。
1961-65年世界選手権男子シングルス、男子団体に3回連続優勝。65年は男子ダブルスも制し三冠王。1964-66年3年連続中国チャンピオン。
「右ペン表ソフトラバー攻撃型。前陣で機関銃のような両ハンドスマッシュを連発するプレーは、世界卓球史上これまで類をみない。
1961年の世界選手権北京大会で初めて荘則棟氏を見た。そのすさまじいまでの両ハンドの前陣速攻もさることながら、世界選手権初出場らしからぬ堂々とした王者の風格は立派であり、思わず敵ながら畏敬の念をおぼえたものだ。
1987年に日本人の敦子夫人と結婚。現在卓球を通じての日中友好と、『闖と創』などの著書を通じて、卓球理論の確立に力を注いでいる」(渋谷五郎)
本稿は卓球レポート1992年3月号に掲載されたものです。

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