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三十六計と卓球 ~第四計 以逸待労~

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「日本の友人と世界の卓球界に『三十六計と卓球』を捧げる」 荘則棟

第四計 以逸待労 (休養しながら相手の疲れを待つ)

戦闘中、有利な地形を利用し、防御を強めるとともに鋭意を十分養い、的が疲れ果てて戦意喪失した時期を見計らい、守りから攻めに転じる。

古代戦術の例

36kei-04-01.jpg 紀元前475~紀元前221年の戦国時代、魏国と趙国は連合して韓国(かんのくに)を攻略しようとしていた。
 韓国は使者を斉国に送って救援を依頼した。
 斉国は田忌と孫臏に、兵を率いて韓国を救援するように命じた。
 ふたりは作戦会議を開き、種々検討した結果、孫臏の計略を採用した。
 すなわち韓国を直接救うのではなく、大軍を率いて魏国へ向かうことであった。
 これを聞いた魏国の大将龐涓(ほうけん)は大変驚き、急きょ大軍を韓国から撤退し、斉国を追いかけた。
 孫臏は野営後の炊飯用のかまどの数を、10万個から7万個に減らす作戦をとった。
 一方、斉国を追いかけて来た魏国の大将龐涓は、途中で斉国軍の野営の跡を見つけ、かまどの数が7万個に減っていることを知り、「斉軍は我を恐れ、我が地に侵入してわずか3日目で、兵の数は半数になった」と大喜びし、功労に貪欲になって心も浮かれ、歩兵部隊を残し、軽装精鋭部隊を率いて、昼夜強行軍で斉軍を追いかけた。
 しかし、魏軍は連日の強行軍のため軍馬兵士共に疲れ果てて、精鋭部隊とは名ばかりとなっていた。
 他方、田忌と孫臏は1万の斉軍精鋭部隊を率いて、馬陵道で待ち伏せし、以逸待労した(休養しながら相手の疲れを待った)。
 孫臏はさらに兵士に命じて大樹の皮をはぎ取り、筆で「龐涓この木の下で死す」と大きく書いた。
 夜が明ける頃、龐涓の率いる魏軍はやっと馬陵道に着いた。
 馬陵道は深山密林で道は険しく、疲れ果てた魏軍にとっては厳しい道のりであった。
 龐涓が周囲を見回すと、大樹に書かれた「龐涓この木の下で死す」が目に入り、驚いてちゅうちよしていると、四方の項上から火の光が上がり、天まで届くようなときの声がとどろき、斉軍の矢が雨のように一斉に放たれて、魏軍は敗れた。
 龐涓はやっと自軍の敗北と自分の無知を悟って、剣を抜いて自害した。


卓球における応用例

 1965年、第28回世界卓球選手権大会男子シングルス戦が始まった。
 私は3-0の大差で日本の高橋浩選手に勝った。
 しかし、嬉しい中にも憂慮の影が心をかすめた。というのは、場合によってはヨーロッパの名将。"鋼鉄の壁"と称されているシェラー選手(西ドイツ)との対戦があるかもしれないからだった。
 シェラー選手は私との対戦の前に、中国の張燮林選手との一戦が残っていた。
 張燮林選手は"柳のようにしなやかで折れない"と称される、ぺンホルダーのカットマンである。
 試合が始まった。両者は柔対柔、柔の中に剛ありで、1点を取るため数10回あるいは数100回打ち合い、甲乙つけがたく、龍虎が躍動するように、技・力が均衡。
 第5ゲーム終了時点ですでに2時間以上が経過しており、両者汗だくて呼吸も荒い。
 第5ゲーム27オールから、シェラー選手が2点連取してマラソン試合は終わった。
 その後間もなくシェラー選手と私の決勝権争奪戦(*準決勝の意味)が始まった。
 この時私の心はすでに落ち着き、心身ともに充実し、試合が進むにつれてますます快調になった感じがする。
 一方、シェラー選手を見ると、疲れた様子で足の運びも乱れていた。
 この試合は川の流れに乗って川を下るが如く、25分も経たないうちに3ゲームが終わり、シェラー選手は敗北したのである。
 以上のように私が順調に勝てたのは、張燮林選手がシェラー選手の体力と気力を消耗してくれたからである。
 いうなれば張燮林選手と私が連合して、シェラー選手を打ち破ったのである。
 張燮林選手対シェラー選手の消耗奮戦がなければ、当然私の「以逸待労」のチャンスもなく、歴史の1 ページは別の書き方になったであろう。


感想

1.感情的に物事を運ぶのは禁物であり、必ず知性をもって物事に対処する。
2.敵を消耗させ且つ敵の矛先を避け、敵が疲れ果てた時を見計らい、守りから攻め
に転じ、一挙に撃破する。剛と柔をうまく組み合わせ、最初は柔、最後は剛。
3.兵法によると、守る側は常に休め、攻める側は常に動かねばならないため疲れる。
 近くにいて遠くを待つ、休養をしながら敵の疲れを待つ、飽食しながら敵の飢餓を待つ、これ即ち治める者なり。
4.逸(体を休めること)は、単に静止して動かない、または高枕で寝ていることではなく、休養を十分取り鋭意を養い、積極的に次の戦いに備えることである。
 待(敵の疲れを待つ)は、目的ではなく消極的にただ待つのでもない。相手を観察し戦闘の時期をうかがい、戦いのために十分な準備をし、戦機を作り相手の勢力を弱め、最終的に敵を倒すことである。
5.日頃一生懸命に訓練してこそ、実力が身につき、敵を脅かす威力が生まれ、敵も安易に攻めて来れないため、逆に自分が休養するチャンスが生まれるのである。
6.戦いにおいて「敵の士気を奪い、敵の大将の心を動揺させ、敵の体力を消耗する」ことができる者は、戦いにおいて主導権と勝利を握る。
(翻訳=佐々木紘)
筆者紹介 荘則棟
chuan_s.jpg1940年8月25日生まれ。
1961-65年世界選手権男子シングルス、男子団体に3回連続優勝。65年は男子ダブルスも制し三冠王。1964-66年3年連続中国チャンピオン。
「右ペン表ソフトラバー攻撃型。前陣で機関銃のような両ハンドスマッシュを連発するプレーは、世界卓球史上これまで類をみない。
1961年の世界選手権北京大会で初めて荘則棟氏を見た。そのすさまじいまでの両ハンドの前陣速攻もさることながら、世界選手権初出場らしからぬ堂々とした王者の風格は立派であり、思わず的ながら畏敬の念をおぼえたものだ。
1987年に日本人の敦子夫人と結婚。現在卓球を通じての日中友好と、『闖と創』などの著書を通じて、卓球理論の確立に力を注いでいる」(渋谷五郎)
本稿は卓球レポート1992年6月号に掲載されたものです。
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