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「卓球は血と魂だ」 第二章 一-ハ、史上最強は藤井則和選手

第二章 どうしたら勝てるか

一 感謝はするが満足はせず

ハ、史上最強は藤井則和選手


 戦後の日本卓球界は藤井則和という大選手が出現し、全日本男子単で四連勝した。凄い選手だった。彼は京都商業一年生から京都府の一般男子代表で全日本に出場した。そして四年生(十五才か十六才)で時の全日本チャンピオン今選手を打ち破ったのだ。

 戦争のブランクは彼にとっても痛かっただろう。しかし、戦後再開の二十一年の全日本(当時彼は二十二、三才)から連続四年選手権者となり、ある事情で一年休場の上で、また二十六年の全日本でも優勝した大選手であった。幼少時から卓球をはじめ、練習環境に恵まれ、長身に恵まれ、体力腕力も強く、おまけに天性といえる柔軟なボディワークをもっていた。

 私はどんなに研究しても公式戦では彼には勝てなかった。ところが、その彼を時たま打破る選手はいた。豪快な強打の坂本鎌蔵選手、ピッチの速い強打の戸塚和美選手の二人だった。不思議なことに私は、この戸塚、坂本両選手には公式戦で二戦二勝している。昭和二十三年の国体で坂本が藤井を破ったが、直後山口県のトップに出た私は東京都の坂本選手をストレートで破った。私の卓球即ち左右の反撃で相手の逆をとり、つづいて相手の弱点(バック)を攻め落すことが出来たのである。

 私は藤井選手の逆をとり、バックへ攻め込むことが出来、いつも接戦には持ち込めたのであるが、そこで彼をつぶす確率は半分しかなく、ねばり腰の彼は何とか体勢をもち直して反攻に出てくるのであった。私のスマッシュには迫力がなく、藤井に対しては決定球になし得ないことが多かった。

 もう一人私が勝てなかった人がいた。同じ年の林忠明君である。ピッチの速い攻めで凡失が少く、彼は着実に私をカットに追い込み、カット打ちがうまい。反撃しても、彼の足の方が速かった。あとのランク選手となら、いつでも互角に戦う自信があった。

 体の小さい選手は、戦型はともかく、テンポの早い卓球をしなければならぬ。スピードがあり、打球の回転力と変化があり、常に相手を自分の作戦ペースに巻き込んで戦かうことができなければならない。この点は現在もまったく同じ原理原則である。

 私の場合、地方の選手であり、練習相手に恵まれぬ不幸があった割にはよくやったのかもしれないが、最後にはスマッシュ力のなさがあり、二位にはなれたがチャンピオンになれぬ基礎要因があった。それが最後まで不満のタネだった。どんな打ち方をしたらもっとスピードが出るのだ、と自分を叱りながらやってみたがダメだった。その代りに、どんな時にもどんな打法でも、相手の虚をついていくプレーでは誰にも負けなかった。徹底的にフットワークをやり(シャドウプレーで)、体勢を崩さず、ムリのないフォームづくりに苦心したからだろう。そのやり方と破壊力のあるスマッシュ力とは一致しないのは、やむを得ないことかもしれなかったが。この頃、日本卓球株式会社の向原一雄さんがある雑誌に日本ランク選手を魚にたとえて発表した。藤井はタイ、田舛はアユだった。

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