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「作戦あれこれ」第65回 対異質ラバー作戦

 最近、異質ラバーのカットマンだけでなく、異質ラバーの攻撃選手も増えてきた。
 昨年の高知インターハイでは女子のある名門チームにいる表面にイボ高ラバー、裏面に高性能ラバーを貼ったペンのイボ高のショートマンに、各チームの主力選手がナックルショートを攻めあぐんで涙を呑んだ。学生日本一を決める全日本学生においても、これまで日本にないイボ高の前陣攻守型をめざす小原選手(中大1年)のナックル気味に飛んでくる強打とプッシュおよび変化にタイミングがあわず、優勝をさらわれた。
 私が年に1度だけ出場している西日本選手権でもフォア側に高性能ラバー、バック側にアンチトップスピンラバー(以下アンチラバー)を貼るシ―ミラー兄弟の"アンチラバーの変化攻撃"にとまどい、シ―ミラー組に簡単にダブルス2連勝を許した。
 全日本の混合複でも高性能ラバーとアンチラバーを巧みに使い分けるペン攻撃の村上選手のプレーにとまどい村上夫妻が初優勝を飾ったし、世界的にも現中国No.1の蔡振華はフォアのパワードライブとバックのアンチショートの異質攻撃型と聞く。ノビサドの世界大会でも異質攻撃型が活躍することだろう。
 これは氷山の一角。世界各地で異質ラバーに悩んでいる選手がたくさんいると思う。それでこれから異質ラバー選手と戦うときの作戦、特に攻撃型に対する作戦を考えてみたい。

 異質型にはたくさんの戦型がある

 異質ラバーを使う選手は、組み合わせでいけば数えきれないほどのスタイルがある。しかし、現在代表的なのは"裏ソフトとイボ高"のカットと攻撃型、"裏ソフトとアンチ"のカットと攻撃型、それに"裏ソフトと表ソフト"の攻撃型だ。その他にも"裏と一枚"とか"表と一枚"中にはルーマニアのアレキサンドル選手のように"一枚とアンチ"などというスタイルもある。また"木ベラと裏ソフト"のスタイルもあり、元全日本混合ダブルスチャンピオンの福田選手(松下電器)がいる。福田選手は小柄ながら壁のようなショートとすばらしいファイトをもつ選手で、このスタイルでは日本最強の選手だ。しかし、このスタイルは最近より変化の激しい"イボ高+表ソフト"の型に移る選手が多い。
 この外にも多くの異質型がある。最近ふえる傾向にあるのは"裏と裏"の攻撃型から、ベンクソン(スウェーデン)の成功にみるように"バック側を表"にする選手。または"バック側をアンチ"にする選手だと思う。女子の攻撃型では'79年世界チャンピオンの葛新愛選手(中国)のような"ペン・イボ高攻撃+裏ソフト"のスタイルの選手はこれからも出てくるだろう。ますます「異質攻撃型にご用心!」である。
 さて、これから対異質攻撃型の作戦に入る前に、現在"異質"の主流である"イボ高"と"アンチ"はどんなラバーか、その歴史をふり返ってみよう。

 パワードライブ対策に出現したイボ高ラバー

 イボ高ラバーを世界的に初めて使用したのは'63年プラハ世界大会(チェコ)での張燮林といわれている。張は"中国の秘密兵器"として登場したペンのカットマンで、日本選手を団体戦決勝で総ナメにした。この時、張のカットする音で一枚ラバーとかんちがいした日本選手は、一枚ラバーのつもりでループドライブからのスマッシュの力攻めをしたため、張のイボ高ラバーを使う猛烈に切れたカットとナックルのツッツキに予測が狂い完敗した。
 私も、'66年に北京国際招待試合で彼と対戦したのだが、20本と15本で完敗した。私も一枚ラバーと思っていたため、予想以上に切れたり、ゆれたりして返ってくるカットの変化に凡ミスが出た。張は"中国の秘密兵器"として団体戦しか出場せず、試合が終わるとサッとラケットをしまい込み、当時は絶対みせてくれなかったため"ゆれる魔球"のナゾはつかめなかった。
 ところが最近になって張選手のラケットをみる機会を得た。昨年の夏である。3A(アジア・アフリカ・ラテンアメリカ)大会で、各国選手を同僚の伊藤君と張選手とともに指導したのだ。
 はじめてみせてもらった張選手のラバーは、何とゴムの下にコチコチのうすいスポンジが隠されたイボ高ソフトラバー(現在のイボ高よりは粒の高さが低くて密度の濃い、硬いゴム質のラバー)だった。
 これでは、日本選手が変化をみわけようとしても、わからなかったはずだ。音で一枚と判断して、張選手のフォームを見て打っても、イボ高ならループや強いボールに対して一枚より自然に切れてくるのだから。同時に高橋選手が張を初めて破ったのは、軽いドライブからの攻めだった―というのもうなずけた。
 その後、イボ高ラバーも改良され現在のように粒が高くてやわらかい、グニャリとまがるようなイボ高ラバー(変化がより激しい)が出現した。
 '74年のアジア球技大会(テヘラン)で梁戈亮(中国、裏とイボ高のシェークオールラウンド型)が使ったのが最初と思う。この時も初めて打つ新イボ高ラバーの変化についていけず、私と河野選手までも梁に敗れ日本は中国に4-5で惜敗した。
 そして翌年のカルカッタ世界大会ではこのイボ高ラバーを使った陸元盛(シェークカット型)と葛新愛(ペンカット型)が大活躍し、男女とも中国団体優勝に大きく貢献した。特に葛のイボ高ショートは「地球がゆれる」といわれ、世界中でさわがれた。その後"イボ高ラバー"の秘密が解明され、日本でもイボ高ラバーが作られるようになり世界中にイボ高旋風が吹きあれた。
 さて、そのイボ高ラバーがなぜ中国で使用されたか?それは日本とヨーロッパのパワードライブ対策のためだ。ここでイボ高ラバーの特長をまとめると―
 ・相手のボールの回転をそのまま返す
 ・相手のボールにスピードや回転があればあるほど変化して返る
 ・スマッシュやドライブは猛烈な下回転で返せる
 ・ドライブをショートするとカット性ショートになる
 ・イボ高になれていない選手にとっては、予想よりカットが切れるため凡ミスが出る
 ・またイボ高ラバーは、相手の回転をそのままのこして返球するので、それ以前のラバーの飛び方を予想すると球道が違うためボールがゆれて飛んでくる
 ・バックスイングを大きくとるドライブマンは、打球点が狂いミスが出る。
...などである。

 アンチラバーは'73年のサラエボ大会から

 アンチラバーの誕生は、イボ高より10年あとの'71年ごろヨーロッパで生まれたといわれている。それをオーストラリアのカット選手が日本に持ち込み、全国に広まったと聞く。
 そして'73年のサラエボ世界大会でアンチ使用者の活躍が目立った。男子でいえば田阪選手を破った李富栄(中国)、今野選手を破ったカットのボルッセイ(ハンガリー)、女子では2位のグロホワ(チェコ)、団体戦で大関選手を破ったカットのキシャジ(ハンガリー)、団体優勝のカットの鄭賢淑(韓国)、女子複1位のカットのアレキサンドル(ルーマニア)などがアンチ使用選手だ。
 私もこのとき李富栄組のダブルスと対戦したが、日本ではこのラバーがまだ発売されておらず、表ソフトとアンチの両面で出す変化サービスにやられた。
 しかし、このころのアンチラバーは、ふつうの裏ソフトに比べると極端にスピードが出ないし回転がかからない。色は裏ソフトと違うし打球音も違いすぐにアンチで打ったことがわかった。一時人気が出たが、4~5年後には数少なくなった。

 2年前から同音同色のアンチが爆発的なブーム

 ところが、4年ほど前に日本のある一流卓球用品メーカーで裏ソフトとほぼ同音同色のラバーが開発された。そして、それを使った選手が'79年、'80年の各種の全国大会で優勝した。各地の大会でもアンチを使った選手が大活躍をし、アンチラバーの大流行が起こった。
 この新しくできたアンチラバーは、以前のアンチラバーより「どちらの面で打球したか?」が非常にわかりづらくなった。スポンジの関係で従来のアンチより、裏ソフトに飛び方も近く攻撃にスピ-ドもでる。しかもやや裏ソフトに近いため自分から変化もつけられる。
 しかし高性能の裏ソフトと比べると1/3程度の摩擦力しかない。そのためドライブに対してのカットは切れるがツッツキを切ろうと思ってもあまり切れない。相手選手が、このラバーに対してドライブでねばるのがよく、ツッツキやストップを多く使う作戦はあまりよくないという理由は、打球面がわからないときでもドライブに対しては両面とも切れて返ってくるのに対し、ツッツキを多く使う場合は裏とアンチの返球に回転の差(変化)が大きいからだ。

 アンチラバー出現の背景

 なぜアンチが開発されたか?それはやはりパワードライブ対策である。アンチというのは、ひっかからない裏ソフトラバーと考えてよいが名前のアンチトップスピンラバーからわかるように、トップスピン(前進回転)を殺すために生まれたラバーだ。
 '60年代に入り、強烈な前進回転のかかったループドライブが開発され、'70年代にはヨーロッパでパワードライブが生まれた。高性能ラバーを使用したヨニエル、クランパ、シュルベクのパワードライブ旋風が吹きあれ、カットマンはその回転をおさえきれなくなった。カットが台を大きく飛びこしてしまうような強烈な前進回転を押さえるため、ドライブに対して鈍感な(角度の変更が少ない)しかもはずまないラバーが生まれたのだ。アンチラバーは相手のドライブに回転がかかっていればいるほど切れるドライブに強いラバーだ。
 そして裏ソフトとアンチに同色のラバーを使うことでドライブもとれ、ラケットを反転させることで変化の幅もましたプレーが出現した。それが発展して新しいタイプのアンチラバーが生まれた現在、日本中で"アンチ"が大流行している。このラバーで英国の4~5番手だったヒルトンが昨年のヨーロッパ選手権で一躍トッププレーヤーに仲間入りし、和田選手が全日本で2連勝を飾った。また中国でも同じようなラバーが開発され、中国チャンピオン蔡振華が出現した。

 異質型対策をやろう

 今後は国内でも、世界的にも異質ラバーの選手が増えてくると思う。守備型の異質選手に加え、増えつつある攻撃型異質選手に対してどのように戦ったらよいか?次回から、最近の大会や異質ラバー攻撃型のシ―ミラー選手との対戦を通して、対異質ラバー選手対策を考えていきたいと思う。



筆者紹介 長谷川信彦
hase.jpg1947年3月5日-2005年11月7日
1965年に史上最年少の18歳9カ月で全日本選手権大会男子シングルス優勝。1967年世界選手権ストックホルム大会では初出場で3冠(男子団体・男子 シングルス・混合ダブルス)に輝いた。男子団体に3回連続優勝。伊藤繁雄、河野満とともに1960~70年代の日本の黄金時代を支えた。
運動能力が決して優れていたわけではなかった長谷川は、そのコンプレックスをバネに想像を絶する猛練習を行って世界一になった「努力の天才」である。
人差し指がバック面の中央付近にくる「1本差し」と呼ばれる独特のグリップから放つ"ジェットドライブ"や、ロビングからのカウンターバックハンドスマッシュなど、絵に描いたようなスーパープレーで観衆を魅了した。
本稿は卓球レポート1981年5月号に掲載されたものです。
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