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わたしの練習83高島則夫 毎日問題意識を持って練習したこの1年

 ~たくさん収穫を得たヨーロッパ遠征~

 今回の全日本選手権優勝までの練習について書く前に、どうしても書かなければならないことは、大会直前のヨーロッパ遠征です。
 発表から出発まで、あまり日数がありませんでしたが、遠征の成績がやはり全日本に影響する、と考えたものですから、次のような、対ヨーロッパ練習をやりました。
 ヨーロッパ選手のドライブが、かなり強烈なことは、'71年の名古屋世界選手権で知っていましたから、自分のカットがどうしても浮いてしまうのではないか。そのときに、浮いたという気持ちではなく、"わざと浮かしたんだ"という気持ちになれるように、練習中にカットをわざと浮かし、相手のスマッシュを拾う練習をやりました。
 この練習のなかから、不利な態勢でも、自分のタイミングで返球すれば、ポイントにつながる、ということがわかりかけたことと、カットが浮いても、自分の攻撃チャンスまでなんとか持ちこたえられる精神的な面でのプラスなどを得たと思っています。
 実際には、フランス、オランダでは、拾うカットだけで勝つことができましたが、西ドイツにはいって急に強い選手と対戦し、自分の気持ちが消極的になっていることに気づき、思いきった攻撃もやるように試みました。いま考えてみますと、このことに気づいてほんとうによかったと思っています。
 そして、私の目標としていたシェラー選手と初対戦し、勝てたことが大きな自信となりました。また、何回もシェラー選手のプレーを見て、小さなフォームでドライブを止める技術、ひざの使い方など、多くの収穫を得ることができました。
 それと、毎日試合の連続でしたが、国際試合でもありますので、常に緊張しそれに耐えられた、という精神面で自信のようなものを感じました。
 スカンジナビア国際選手権に出場できなかったことは残念ですが、私にとって、このヨーロッパ遠征が技術的にも、精神的にも、大きな収穫を与えてくれたのは事実です。

 ~帰国後、大会直前1週間の猛練習~

 帰国後、数名の選手と自主合宿にはいりました。ヨーロッパ遠征のときの緊張した気持ちと、合宿したみんなが全日本で一発やってやろう、という気持ちを持っていたこと、試合で勝っていけば対戦する、と思われる人といっしょだったので、精神的に集中できたいい合宿でした。
 この合宿では、まず毎日2時間ぐらいぶっつづけで、スマッシュを拾う練習をやりました。その結果、スマッシュの返球の仕方とフットワークをからだで覚えることができたような気がしました。次に、自分がスマッシュする練習を。次にカットの変化に重点をおく練習にはいりました。
 一枚ラバー時代のカットと違って裏ソフトは回転に敏感ですから、最後まで拾い抜くという勝ち方は苦しいと思います。そこでカットの変化と、ギリギリに競ったときの攻撃力の練習に力を入れたわけです。
 具体的なチェックポイントは、①回転 ②深さ ③高低 ④コース ⑤スピード ⑥タイミング。これらを一球一球頭において練習をやりました。その上で、競ったときに、攻撃してポイントするか、カットの変化でポイントするか、の決断力をつける努力をしました。

 ~やりこんだ練習が実をむすんだ全日本~

 いままでの負けた試合を振り返ってみますと、カットも打つタイミングも中途半端になったところをねらわれていたと思います。それが、この合宿の集中的な練習によって、いくらか改善され、優勝できた一因になったと思えるのです。
 普通ですと、大会前は調整練習をするのが当たり前ですが、今大会はカットしても、動いてもからだのふしぶしや筋肉が痛むようなコンディションで、団体戦にはいりました。
 予選リーグ、対シチズン戦で、堅実なフォアロングの船橋選手と当たり、変化カット中心のプレーでなんとか勝つことができ、練習の成果があったな、と自信がつきかけた矢先、仲村渠選手に負け、気持ちの上でものすごく引きしまりました。いま考えますと、苦(にが)い良薬でした。
 その後、ダブルス戦で、村上・斎藤組(早大)に、変化カットが通用し、カットが身についてきたな、と自信を持つことができました。コンディションのほうも、日を追うにつれて疲れもとれていき、自分では最終日に最高の調子が出た、と思っています。
 第1の目標としていた井上選手(シチズン時計)との対戦も、調子が出てきた最終日に当たって幸運でした。全試合を通じて精神的に最も苦しい試合でしたが...。準決勝の対今野選手、決勝の対長谷川選手のときも、体力的には疲れがとれ、体力に自信がありましたので、試合をできるだけ長びかせ、相手に1本でも多く打たせるようにしたのが成功したと思います。ということも、ふだん、スマッシュを拾う練習やカットの変化の練習に力を入れたことがよかったのだと思います。

 ~バテてボールも拾えなかった自主合宿~

 ここで、全日本を目標に、この1年間練習してきたことに触れてみたいと思います。
 ①切るカットと押すカット(切らないカット) ②スマッシュの返球 ③ツッツキ打ち(特にバックハンドで打つ練習) ④長谷川さん対策としてのロビング打ち ⑤レシーブ(2球目)からの攻撃 ⑥サービスからの3球目攻撃...などを主として練習してきました。以上の基本練習をやりながら、気持ちの上では、"いまこの技術を練習しているが、これは何々選手対策の一つだ"というように、いつも相手を意識して、気のゆるみが出ないようにしてきたつもりです。そして、どんなことがあっても、1日1時間は実技の練習をしてきました。365日、練習を休むことはしませんでした。
 ことし、特に効果があったと思う練習は、学校が休みになる1月、3月、8月に友だちとやった自主合宿でした。この合宿では、午前11時から夜中の2時3時まで練習をやりました。
 初めてやった1月の合宿では、3日目にバテてしまって、ボールも拾えない、椅子にもすわれない、階段もはって上がるような状態でした。このとき、合宿をした家の人に、"その程度でバテるんじゃ体力がない"ってしかられ、自分の甘さに気づきました。
 この合宿の体験は、苦しさに耐えるという精神力の増強に役だち、ふだんの練習や、試合のときの支えになっていました。今大会直前の合宿で、ガンガン練習やれたのも、こうした体験から得た自信があったからです。体力のなかった私も、いまは、いくらでも練習がやれそうな気がします。

 私が全日本チャンピオンになれたのも、星野さん(専大出、ワールドスポーツ)や、練習中毎日付きっきりで見てくれたコーチの大内先生、練習相手になってくれたり、いろいろなことで理解してくれたチームメイト、それに家族など、多くの人たちのバックアップがあったからだ、と心から感謝しています。
 優勝したといっても、日本にも世界にもまだまだ自分より上の人が、おおぜいいるわけですから、少しでも追いつけるように、自分に厳しくしてがんばっていきたい、と心を引きしめています。

たかしまのりお 1972年全日本チャンピオン・近大


(1973年2月号掲載)

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