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わたしの練習87山口亨 アジア大会での体験を活用

 わたしが卓球をはじめたのは、小学校5年のとき、担任で、卓球部顧問の沢尻正一先生の勧めがあったからです。先生は、ものすごく熱心なかたで、わたしに卓球をやることの楽しさを教えてくれました。
 小学校時代の練習は、コントロール第一の続けることを主体とした、フォアハンドロング(FH)、ショート、ツッツキ、サービス、レシーブなどの基本練習がほとんどでした。わたしの学校では、フォアハンドロングのクロス打ちの続いた回数を基本にして、8級から名人位までの階級をつくり、1週間に3回テストを行い、3級はだれとだれ、初段はだれ、名人はだれといった名札をさげていました。このことがふだんの練習の励みになり、なんとか名人になろうと一生懸命練習をやりました。わたしは卓球のほかに野球、スキーとなんでもやり、いろいろな試合に出たことが、現在の自分の卓球に非常に役立っていると思います。

 ~中学から早朝6時のランニングで精神面を鍛えた~

 中学校に入って、藤田さんがやっている夜間の卓球練習に通うようになって、小学時代の楽しんでやっていた卓球生活から本格的なきびしい勝負としての卓球生活がはじまった。「やるからには、全国中学卓球大会優勝をめざして、頑張れ!」という藤田さんのことばに、新しく希望と闘志がわいてきて、このとき3年間のうちに、だれにもまけないくらい強くなって、全国中学大会に優勝してやるぞと、心に誓いました。大きな目標を胸に、わたしの中学での卓球生活が始まったのです。中学へ入ってからのわたしの練習は、朝6時からのランニング、放課後50分くらいの練習と、夜6時から9時までの練習。それに、寝る前30分ぐらいのトレーニングが、わたしの日課でした。朝のランニングは、3.3㎞で雨の日を除いては、雪が降っても、ふぶきの日でも、毎日走りました。わたし1人だけでなくパートナーの菊池君もそしてみんなが走りました。ずうーと、ずうーと遠くの方に見えるかすかなあかりを目指して...、その日のくることを信じて、毎日走り続けたことは、後にいろんな効果があらわれ、とくに精神面では実行力を養うことができてきました。

 ~"予選も勝てないで何が全国優勝だ"といわれたが...~

 小学校を借りての夜間練習は、必ず15分~30分フットワークをやり、あとは、得意なサービス+3球目、強敵を想定した3球目、苦手なサービスに対するレシーブの練習、課題練習などを毎日くり返しやりました。とくにわたしの場合は、フォアハンドの強打とフットワークに重点を置いた練習をやりました。
 得意なサービスと3球目、レシーブと4球目のシステム練習は、3球目を4パターン、4球目を3パターン、毎日かかさずやっていきました。
 練習後は一日おきにサーキットトレーニング、サーキットトレーニングのない日は、左右キック、発進停止、素振りテストをやり、家に帰ってからは、鉄アレイで腕力を鍛えるトレーニング、腹筋、フォームを矯正するための素振りをやってからねむるようにしました。1日3時間程度の練習では、どうしても基本練習が不足がちになるので、日曜日や長期の休みを利用して徹底的に練習していきました。強くなるためには、『人一倍汗をかく』ことだと、藤田さんにいわれ、動いて動いて動き回るように心がけました。
 このような練習のくり返しの毎日で全国中学大会優勝を目標にがんばってきたものの、1年目は県予選、2年目は、県予選の前の群予選でまけてしまい、予選も勝てないで、なにが全国優勝だとよく言われました。でもわたしはあきらめませんでした。自分たちは、他の中学校より練習も、トレーニングもやっているんだから、必ず勝てると信じ、『群予選でまけたくやしさを、忘れるな』を合言葉に、田名部高校の佐藤進先生が書いてくれた、「全国制覇目指して頑張れ」の大きな張り紙を見ながら練習しました。ダレそうになったときは、群予選でまけたときのくやしさを思いうかべ自分をはげましながら...。

 ~全国大会を目指して関東地区に遠征~

 そして新しい年、1973年をむかえ今年こそは、全国大会県予選で優勝し、全国大会に出て優勝すること!の決意を再確認し、1月6日、田名部中学校男女16人は、関東遠征に出発しました。オリンピック記念総合センターに合宿しながら、明治大学、熊谷商業高校、相模工大付属高校、千葉県の成田市近辺の中学生、そして専修大学の人たちと一緒に練習や試合をやりました。専修大学ではわたしたちのために、伊藤さん河野さんがきていろいろとアドバイスをしてくれ、伊藤さんからドライブのかけかた、レシーブのしかたなどをコーチしてもらいました。伊藤さんからコーチしてもらったことは家へ帰ってから大きな紙に書いて部屋にはり、毎日それを見ては自分の卓球の参考にしていきました。ほんとうに大きな成果と自信を得た遠征でした。
 全国大会の3カ月ぐらい前からは、夜の練習に加えて、早朝5時~6時30分まで練習をやりました。その内容はランダムのフットワーク30分、そしてダブルスの練習です。本当にやるだけやったんだという満足感をもって全国大会に望み、団体と個人に優勝することができました。初出場ではありましたが、あがることなく、思いきってプレーできたのも、一年のときから全国大会を意識して練習してきたからだと思います。また、ランニングやサーキットトレーニングなどやっていなかったら、体力が続かないで優勝はできなかったと思います。
 わたしは、試合では次のことを心がけました。
 1.必ず勝つという心をもつ
 2.負けるという心を持たない
 3.ファイトだけは負けない
 4.せったら思いきる
 5.負けそうになったときは、だれがみてもいい試合をやろうと決心する

 ~長谷川選手と同室になり多くを学ぶ~

 全国中学大会で優勝したおかげで、幸運にも、アジア大会ジュニアの部・日本代表に選ばれ、数回にわたる強化合宿に参加させていただくことができました。この合宿で、技術面、精神面において、大きな刺激を得ました。とくに、わたしは長谷川さんと同じ部屋になり、技術的なこと、精神面のことなどいろいろ聞き、長谷川さんの卓球に対する姿勢をじかに感じることができたことは、わたしにとって大きな収穫であり、これから卓球をやって行くうえでの心の糧(かて)となることばかりでした。合宿での練習内容は、基本練習、自己課題練習、対戦相手を想定しての練習などを徹底的に、心おきなくやることができ、自信をもってアジア大会にのぞむことができました。それでも優勝できるとは、思ってもいませんでした。ただ監督やコーチを信頼し、一試合一試合に自分の持っている力を出しきって、日本代表として、はずかしくないような試合をすることに専念しました。

 ~初心にかえって、多くの課題を~

 アジア大会での貴重な体験を最大限に活用し今後は、次のような練習をしていきたいと思っています。
 ○速いフットワークの会得―前後、左右、ランダム(できるだけ速く正確に動けるように)
 ○レシーブの強化―確実に返すレシーブと、スマッシュによるレシーブ
 ○守備の強化―先手をとられて攻められてもしのげるだけの、両ハンドの守備と、それをはねかえせる反撃力をもつ
 ○3球目攻撃を確実にする―現在のサービスが単調なのでサービスを工夫し、先手先手と攻められるようにする
 ○バックハンドの強化―練習だけのバックハンドではなくて試合で使えるバックハンドをおぼえる
 ○その他―小さいボールの処理、フォアへの飛びつきなど
 やらなければならないことがいっぱいあるので、徐々にやって行きたいと思います。世界の桧舞台目標に...。
 これからも慢心することなく、上には上があることをキモに命じ、初心にかえって、あせらず一歩一歩進んで行きたいと思っております。

やまぐちとおる 青森・田名部高1年
アジア選手権大会少年1位


(1974年7月号掲載)
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