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世界一への道 伊藤繁雄 
球史を革新したドライブ強打王 10

「人の驚くようなプレーは、人の驚くような練習やトレーニングからしか生まれない」
 1969年世界チャンピオン、伊藤繁雄のこの言葉からは、彼のひたむきさとがむしゃらさがうかがえる。決して平坦ではない伊藤の卓球人生を支えたのは、卓球が自分の生きる証しであるという強い信念と、母への深い愛情だった。【前回の記事を読む】【第1回から読む

文=小谷早知 監修=辻歓則
※この記事は月刊卓球レポート2001年10月号を再編したものです


世界を視野に

 あの第二の誕生日以来、伊藤は、目標を常に世界選手権大会に置いてきた。全日本を制した今、その野望はいよいよ現実味を帯びてきた。
 しかし、世界選手権大会の開催までには、まだあと1年待たなくてはならない(編集部注:当時の世界選手権大会は2年に1度の開催で、個人戦と団体戦の計7種目を行った)。伊藤の当面の目標は、全日本2連覇だった。来年の全日本でも優勝して、世界への道をさらに強固にしようとしたのである。
 大学4年になっての関東学生選手権大会では、シングルス2連覇、ダブルス3連覇を果たした。東日本学生選手権大会、全日本学生選手権大会でも、シングルスで3位、ダブルスで1位になった。

昭和43年度関東学生選手権大会のファイナリスト
左から優勝の伊藤、準決勝の河原、優勝の福野、準決勝の大関


 夏には全日本大学対抗大会(インカレ)が行われる。専修大学は伊藤が入学する前まで、11年連続で決勝に進んでいた。しかし、この記録はここ3年途絶えており、伊藤は専大のキャプテンとして、なんとかしてチームを優勝させたかった。
 伊藤の率いる専大卓球部は、男子も女子も、夏の間この全日本大学対抗大会に照準を合わせて必死で練習した。そして、苦しい戦いを勝ち抜いて決勝に進み、世界チャンピオンの長谷川のいる愛知工業大学に勝って優勝を果たした。女子も中央大学に勝って、悲願を達成した。

全日本大学対抗は男女とも専修大が優勝


 そして12月、全日本選手権大会がやってきた。西ドイツ(当時)のミュンヘンで5月に行われる第30回世界選手権大会の日本代表選考会も兼ねる、重要な大会だった。
 シングルス決勝で対戦したのは、長谷川だった。

昭和43年度全日本選手権大会男子シングルス決勝
伊藤(右)対長谷川

伊藤のフォアハンド


 それまでの伊藤は彼と試合をするとき、たいてい強ドライブで打ち抜いてやろうと気負って打ち急ぎ、墓穴を掘ることが多かった。そこで今度は、長谷川に先手を取られてもすぐに逆襲しようとはせず、粘り強くコートから距離をとってしのぎ、長谷川にボールを余分に打たせるくらいの余裕を持とうと考えた。
 これまでのところ、昨年と同じく団体、ダブルスで優勝している。あとはシングルスだけだ。
「1年前と同じ調整をして大会に臨んだのだから、絶対に勝てる」
 伊藤は強い自信を持っていた。
 準決勝を比較的楽に突破した伊藤に引きかえ、長谷川は専大の河野との、ゲームオール22-20の接戦を制したばかりで、相当に疲れているはずである(編集部注:当時は1ゲーム21ポイント制)。
「決勝戦は3-2で勝つ作戦でいこう」
 伊藤はこう考えて戦い、見事に勝ちを収めた。満点の試合展開だった。
 伊藤は再び、団体、シングルス、ダブルス優勝という、3冠を達成した。

全日本選手権大会男子シングルス2連覇の伊藤と、女子シングルス優勝の小和田

当時の全日本選手権大会は団体戦を含む9種目を実施した。
男子団体は専修大学が連覇

男子ダブルスは伊藤と河野のペアが連覇


生活の中のトレーニング

 このころになると、伊藤の生活には、隅々にまで卓球のためのトレーニングが浸透していた。
 まず道場では、かかとを床につけて移動することがなくなった。常につま先、特に親指に神経を集中させ、すり足で動いた。ボールを拾うときでも、自らすすんでスピードのある球を打つ選手の正面に立ち、球質やコースを推理判断し、記憶する訓練を心がけた。もちろんボールは壁に当たる前に拾う。
 練習の休み時間には、腹筋運動やスクワット、腕立て伏せ、素振りを何百回もした。そして、とにかくよく走った。ランニングは1日10キロを目安にし、うさぎ跳びは日に2~3キロ、多いときには5キロもやった。
 電車の中でも、両手でつり革をつかんだり放したりの動作を素早く繰り返し、ラケットの握りを柔らかくしなやかにする工夫をした。左手も鍛えたのは、フリーハンドにも意識を集中させるためである。窓から外を眺めるときには、電車の速度に合わせて目だけを動かし、線路沿いの広告の文字を瞬時に読み取って動態視力を高めた。足はつま先立ちだった。
 授業中は席についた姿勢で、腰を浮かしたり、床から足を浮かしたりして、下半身を強化した。素振りは、歩きながらでもやった。
 さまざまなトレーニングを通じて下半身の強化を重視したのは、フォアハンド主戦で攻め続ける伊藤の得意戦術をしっかりと支えるために、強靭なフットワークが必須だったからだ。伊藤はこんな方法も編み出した。台を横に3台並べて、1台でやるときと同じ要領でボールを送ってもらうのである。信じられないようなフットワーク練習だが、これをやった後再び1台に戻してやると、自分でも驚くくらい素早く動けた。
 朝、昼、夜1時間ずつのフットワーク練習を続けたとき、4日目で右シューズの親指の付け根の部分に穴が空いた。
 走りたいと思えば、夜中でも起き出して外に飛び出すほどだった。強くなりたいという意志が高じた結果、日々の生活自体がいわば「卓球化」していたのである。
次回へ続く



Profile 伊藤繁雄 いとうしげお
1945年1月21日生まれ。山口県新南陽市出身。
1969年世界卓球選手権ミュンヘン大会男子シングルス優勝。
うさぎ跳びが5kmできた全身バネのようなフットワークから繰り出されるスマッシュとドライブの使い分けは球歴に残る。3球目を一発で決める強ドライブ、曲がって沈むカーブドライブなどは伊藤が技術開発し世界に広まった。

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