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カリブ海の新星が目指す道とは アドリアナ・ディアス インタビュー(前編)

カリブ海の新星、アドリアナ・ディアスに迫る

9月中旬に大西洋上で発生した大型ハリケーン「マリア」。日本でも大きく報じられたように、ハリケーン「マリア」によって、カリブ海諸島は甚大な被害を受けた。プエルトリコ出身の卓球選手、アドリアナ・ディアスの故郷も他の島と同様に大きな被害に遭った。島のほぼ全域が停電し、建物が倒壊するなど、大規模な被害を受けた。9月30日に来日したディアス父娘に話を聞くと、プエルトリコは今もなお電力復旧の見通しが立たず、日常生活もままならない状況だという。
このように生まれ育った故郷が被災するという厳しい環境下において、ディアス父娘は来日することを決断。それは「世界トップ選手になる」という目標に邁進するためだった。今回のインタビューでは、国際舞台で活躍するアドリアナ・ディアスの生い立ちと世界の頂点を目指して戦う今に迫った。


「原点は父の手づくりの卓球台」

 中国や日本、ドイツをはじめアジアやヨーロッパが世界の卓球界をリードする中、カリブ海北東に位置するプエルトリコ出身の1人の選手が国際大会で活躍している。その名はアドリアナ・ディアス。日本の平野美宇(JOCエリートアカデミー/大原学園)、伊藤美誠(スターツSC)らと同じ2000年生まれの16歳。現在の世界ランキングは75位(2017年10月現在)だ。8月のチェコオープンでは21歳以下女子シングルスで優勝、9月には南北アメリカのトップ選手が覇を争うパンアメリカ選手権大会の女子シングルスで優勝するなど、世界上位への道を順調にかけ上がっている。

 プエルトリコは人口約350万人、面積は日本の秋田県ほどの小さな島だ。スポーツはワールド・ベースボール・クラシックで2大会連続決勝進出を果たした野球やボクシングが盛んだ。一方、卓球の世界選手権大会やオリンピックでプエルトリコの選手が上位に勝ち進んだことはなく、これまで世界のトップ選手を輩出したこともない。そのような場所から、ディアスはいかにして世界の舞台で戦える選手へと成長したのか。

 ディアスの父・ブラディミルはプエルトリコの元代表選手であり、現在はナショナルチームの監督も務める。また、母・マランヘリはジュニアナショナルチームに所属した経験を持つ。ディアスはこの両親の間に4人姉妹の三女として生まれた。現在プエルトリコ代表としてともに戦う2人の姉が卓球をしていた影響もあり、ディアスは4歳でラケットを握り始めた。卓球を始めた当時のことをディアスは笑いながらこう話してくれた。

「卓球は両親や家族の影響で始めました。卓球の他にもテニスやバスケットボールなどのスポーツをしていたのですが、姉が2人とも卓球のクラブチームに入って練習をしていたこともあり、私も卓球に夢中になりました。始めたばかりのころは身長が低かったため、卓球台に届かず、姉たちと一緒にクラブチームで練習をすることができませんでした。それを見た父が、私のために自宅のガレージに高さの低い卓球台をつくってくれました。センターラインもペンキで塗ってくれて、練習できる環境をつくってくれました。それからは毎日2時間、父や母、姉たちと練習をしていました」

インタビューを受けるディアス父娘

「12歳で卓球選手として生きていく決意を固める」

 ディアスは父がつくった卓球台で家族とボールを打ち合い、技術を身に付けていった。5歳からは、2人の姉と一緒にクラブチームで練習を積み重ねた。そうした中で練習相手であり、彼女を近くで見守り続けた父は次第に娘の才能に気付き始めたという。「練習をするにつれて娘の才能に気付きました。特にボールのさばき方や、ボールタッチの良さを感じました」

 父の言葉を証明するように、ディアスは卓球を始めて2年が経った6歳のころには、カリブ海周辺の選手たちが集まるカリブ海選手権大会の10歳以下の部で3位に入賞。 娘の才能を確信した父は、この大会の後、プエルトリコ政府に娘の練習の支援を打診した。それ以降、政府から海外遠征の費用など、練習をするための予算を出してもらうようになったという。こうした政府への打診は異例ともいえるが、娘の才能を感じていたからこその行動だった。

 父の強い思いが叶い、卓球に打ち込める環境が整ったディアスはさらに力をつけていった。そして、12歳のときに卓球選手としてプレーしていく決意を固めたという。

「12歳のとき、父に『本気で卓球を続けていきたいか』と聞かれ、そのときに卓球選手として生きていくことを決めました。それからはよりたくさん練習できるように通信制の学校に通い、それまで以上に卓球と向き合うようになりました」

 人生を左右する選択を迫られたディアスだったが、そこに迷いはなく、トップ選手を目指すという道を選んだ。そのディアスが世界の舞台で戦える選手になったきっかけとは何か。次回は、成長の転機となった試合や、彼女の目指す先、そして卓球選手として戦い続ける現在に迫る。(続く)

<プロフィール>
アドリアナ・ディアス(プエルトリコ)

2000年10月31日生まれ。元プエルトリコ代表の父・ブラディミルとジュニアナショナルチームに所属した母・マランヘリの間に4人姉妹の三女として生まれた。4歳から卓球をはじめ、6歳のときにカリブ海選手権大会の10歳以下の部で3位に入賞。その後、13歳で世界ジュニア選手権ラバト大会に出場すると、翌年には世界卓球2014東京に出場し、世界卓球デビューを果たす。2016年にはリオデジャネイロオリンピック女子シングルスに出場。2017年8月にはワールドツアー・チェコオープン21歳以下女子シングルス優勝、9月にはパンアメリカ選手権大会女子シングルス優勝など、国際舞台で好成績を収めている。

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