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ルカ・クマハラ インタビュー「私たちは変化をのりこえることができる」

 2022年9月14日、ブラジルの卓球選手クマハラは自身のInstagramアカウントで、自身の写真とともに「この世界へようこそ、ルカ!」というメッセージを投稿した。
 かねてより、トランスジェンダー(身体的な性別と自認している性別が異なる人々)であることを身近な人々には伝えていたクマハラが、自身の男性という性自認とルカという男性名への改名を世界に向けて表明した瞬間だった。この投稿には、世界中の卓球選手をはじめ、多くの人々の祝福と共感のコメントがあふれた。
 このインタビューでは、クマハラの生い立ち、トップアスリートに至る道のりを振り返ってもらうと同時に、ブラジルの卓球事情、また、ブラジルが卓球強豪国を目指す上での課題について聞いた。そして、クマハラが卓球界初のトランスジェンダー選手となった経緯、改名と性自認の公表についてもその詳細と真意を明らかにしてもらった。

ロンドンオリンピックの代表になったことが
私のキャリアの中で重要なステップになった

--クマハラ選手が卓球を始めたきっかけを教えてください。

ルカ・クマハラ(以下、LK) 私が8歳の時、家族がアパートから一戸建てに引っ越し、父がレジャー用として卓球台を購入しました。そこで私は卓球がスポーツであることを知り、卓球を始めました。
 しばらくして、父が小さな卓球クラブに連れて行ってくれました。そこにモニカ・ドウチという元オリンピック選手がいて、彼女の指導の下、週2回の練習をするようになりました。

ルカ(右)が8歳の頃。父と兄と。


--ブラジルには日系の選手が多いと思いますが、現在のブラジルの卓球事情について教えてください。

LK 一昔前までは、ブラジルで卓球をしていたのは主に日系人でした。というのも、ブラジルには各地に「カイカン(会館)」と呼ばれる日本人のコミュニティーがあり、選手たちはそこで練習をしていたのです。
 しかし、現在では状況は変わりました。ブラジルの大会に行くと、いろいろな人種の人がいて、とても多様な光景を目にすることができると思います。

--あなたのキャリア、どのようにトップ選手への道を歩んできたのかを教えてください。

LK 父はいつも私を応援してくれ、幼い頃から一生懸命練習することを私に要求してきました。その結果、私は幼い頃からブラジル国内で素晴らしい結果を残してきました。そのひとつが、2012年のロンドンオリンピックの出場権獲得ですが、これは私にとってもコーチたちにとっても、まったく予想外のことでした。厳しい練習と父からのプレッシャーに慣れていたことが、オリンピック代表選考のプレッシャーに対応するのに役立ったためだと思います。
 オリンピックの代表選手になったことは、私のキャリアにおいて、信頼を得るという意味では重要なステップだったと思いますし、CBTM(ブラジル卓球連盟)は私に従来とは異なる視点を与えてくれました。ブラジルが2016年のオリンピック開催国に選ばれたことで、大会出場や海外での練習に大きな投資ができるようになったことも、私がプロになるための大きなステップとなったのです。

クマハラの最初のコーチとなったモニカ・ドウチ(右)と

東京五輪ではシングルスの代表から外れた
悔しさのおかげで団体戦でいい試合ができた

--あなたが巧みにサッカーボールをリフティングをしている映像を見たことがあります。他のスポーツにもチャレンジする機会があったと思いますが、卓球を選んだ理由を教えてください。

LK 兄たちや父の影響で私も幼い頃からサッカーをやっていて、9〜11歳の頃は卓球と並行してフットサルの練習もしていました。
 11歳のとき、モニカ・ドウチに誘われ、よりプロフェッショナルなクラブで卓球の練習をするようになり、週2回から毎日練習するようになったのです。そこで、フットサルをやめることにしました。
 その頃の私はまだ若く、物事をよく理解できていなかったので、ただ父の意見に従っていたのだと思います。団体競技のフットサルよりも個人競技の方が将来性があるというのが父の意見でした。おそらく、男子フットサルの方が女子フットサルよりずっと人気スポーツだったので、私が男子フットサルに進むことができたら、父の判断も違ったかもしれません。私の兄たちは、フットサルの道に進みましたから。

--あなたは2022年7月に行われた南アメリカ選手権大会、そして10月に行われた南アメリカ競技大会の女子シングルスで優勝し、今年は南米選手にとって最高峰のタイトルを2つ獲得しました。これらのタイトルを獲得した時の気持ちと、あなたにとってこの2つのタイトルの意味を教えてください。

LK どちらの大会でも、私は優勝候補で、シングルスで勝たなければならないというプレッシャーがあったので、決して楽な大会ではありませんでした。
 特に、南アメリカ選手権大会の開催地(ペレイラ/コロンビア)は1400m以上と標高が高く、湿度もあり、ボールにも問題があるなど、プレーするのに非常に難しい条件でした。環境の悪い状況で勝ったことは、今後に多く生かせる経験となりました。その意味でとても満足しています。この2つの大会は、今後の試合において自信をつける上で、とても重要なものでした。

--クマハラ選手のベストマッチとその理由を教えてください。

LK 1つだけ選ぶのはとても難しいので、3試合選びます。
 まず、石川佳純選手(全農)に2013年のチームワールドカップで勝利したことです。世界ランキング9位(当時)の日本選手に勝ったことは、これ以上ないほど特別なことです。
 そして、チャン・モー選手(カナダ)に2015年パンアメリカン競技大会の準々決勝で勝利し、シングルスで銅メダルを獲得したことも特別でした。彼女は非常に強く、この大会のディフェンディングチャンピオンでしたし、ブラジルの女子卓球にとってパンアメリカン競技大会初のシングルスのメダルでしたので、特別な勝利でした。
 そして最後は2021年東京オリンピックの団体戦で香港の李皓晴選手に勝利したことです。彼女はとても強い選手なので特別な勝利でしたし、大会前や大会中のコンディションはとてもひどかったので、あれほど良いプレーができたことには自分でも驚きました。
 大会前の期間は、私にとって容易なものではありませんでした。それまでの私はとても調子が良くて、いい試合をしていて、オリンピックへの期待も大きかったので、シングルスの代表に選ばれなかった時はとても悔しい思いをしましたし、とても腹が立ちました。でも、正直に言って、悔しい思いをした分、試合で良い結果を出すことができたような気がします。

東京五輪女子団体1回戦の3番で、クマハラは李皓晴から貴重な1点を挙げた(写真提供=ITTF)

ブラジルで卓球選手であることの困難

--ブラジルは南米では強豪国ですが、世界のトップとはまだ差があると思います。その差はどこにあるのか、また、その差をどのように縮めていけると考えていますか?

LK 大きな問題の一つは、アジアやヨーロッパ(少なくとも卓球の歴史のある国)では非常に一般的なことですが、ラテンアメリカにはプロリーグがないことだと思います。
 そのため、選手は政府・行政からの援助に頼らざるを得ないのです。ブラジルの場合は行政からの援助がありますが、多くのラテンアメリカの国では援助がありません。このため、卓球のプロ化は非常に難しいのです。正直なところ、アスリートの成長には金銭的な援助が欠かせません。
 また、世界ランキングのポイントを獲得できる大会の大半は、ヨーロッパ、あるいは、アジアで開催されています。そのため、ラテンアメリカを拠点としている選手は、大会のたびに遠征費用がかさみ、選手の家庭の経済状況によっては参加が不可能なこともあります。
 ヨーロッパの選手たちは、とても若い頃からプロとしてプレーすることができ、ヨーロッパの国々への移動には、ほとんどの場合ビザも必要ありません。また、家族や友人と遠く離れて暮らす必要もありません。
 一方、私たちラテンアメリカの選手は競技者として高いレベルに到達しても、ビザを申請してくれるクラブを見つけるのが難しいのです。なぜなら、ビザはクラブにとって非常に高価なものだからです。
 また、ヨーロッパの選手は報酬をユーロで受け取り、大会(WTTシリーズ)の経費もユーロで支払います。さらに、大会へのアクセスははるかに簡単です。時には、電車や短い距離のフライトを取るだけで、大きな費用もかかりません。ところが、ブラジル選手にとって大会にかかるすべての費用は、現地通貨の価値の5~7倍に相当するのです。
 まれに中南米で大会が開催された時に、ヨーロッパの選手たちが時差ぼけや旅の疲れを訴えているのを聞くことがあります。ただそれらは、私たちラテンアメリカの選手にとっては、ヨーロッパやアジアの大会に出場するたびに直面することなのです。しかも、彼らには理学療法士が同行していることが多いのですが、私たちの場合はそうではありません。
 つまり、経済的にも機会的にも大きな不平等があるわけですが、それでも、私たちはすでに大多数のラテンアメリカ以外の選手と対等な条件でプレーしていると私は思っています。これは、重要な成果だと思います。

東京オリンピックに出場したブラジル代表メンバー

私たちは変化を乗り越えることができる

--話題を卓球からあなた個人の話に変えたいと思います。あなたは2022年9月14日にルカという男子の名前に改名することを自身のSNSで公表しました。改名とその公表という決断に至った理由と、それがあなたにとって何を意味するのかを教えてください。

LK 私の場合、子供の頃の最初の記憶から、ずっと自分を男の子だと感じていました。女性という社会的な性自認に自分を合わせようとした時期もありましたが 、いつも自分を男の子だと感じていました。自分が誰なのか、自分であることを疑うような苦しみはなかったのです。それは、私にとって常に確かなことでした。ただひとつ変わったのは、いつしか性自認に関する情報や知識に接することができるようになったことです。
 ひとつ理解できたのは、移行(トランジション/transition)は、「私は男性である」という自分の性自認を他人に話した瞬間から起こるということです。それは、自分自身を理解した時、そして、それを声に出した時です。移行のために必要な手続きは何もありません。だから、私は思ったのです、「いつまでもこんなふうに生きている必要はない」と。
 というのも、私の性自認と他人が思う私が異なることについて、「そういうものだ」と本当にあきらめていたからです。私はある意味で自分のことを理解していましたが、世間は私を別の見方で見ていたのです。 そうした世間の人々の目の中では、私は自分らしくいることはできませんでした。そう感じた瞬間は、私がこのことを世界に伝える決意をした決定的な瞬間でした。
 人は、このように適応することができます。私たちは、このような移行、このような変化を乗り越えることができます。そして、私は自分の仕事を続け、スポーツで生きていくことができるのです。

--改名とその表明によって、あなたの心境はどのように変わりましたか?また、周囲の反応はどのようなものでしたか?

LK それを冷静に受け止めてくれる人が周りにいることは、私にとって大きな特権だと思います。また、私が、そんなに穏やかでないと思っていた人々も、私に理解を示してくれることがわかってきました。このことは、私にこの移行の問題を前進させる自信と安心感を与えてくれています。
 家族や友人、ナショナルチーム、コーチ、クラブ、ブラジル卓球連盟およびITTF(国際卓球連盟)、ブラジルオリンピック委員会、そして、個人的には知らないけれど私のストーリーを知っている多くの人たちから、私の新しい名前と移行プロセスについてのニュースが流れて以来、多くのサポートを受けることができています。

--ルカ(Luca)という名前の由来を教えていただけますか。

LK 特別な意味はありませんが、シンプルで美しく、キュートな名前だと思っています。

クマハラのInstagramへの投稿
「私はずっと鏡の中のあなたを見てきました。今こそ自由になる時です!この世界へようこそ、ルカ!」

トランスジェンダーの「卓球選手」として

--卓球選手としての活動にはどのような影響がありますか?

LK 正直なところ、ニュースが流れて以来、余計な期待をかけられているような気がして、少しプレッシャーを感じています。
 でも、それ以上に今はとても快適で、充実していて、自由で、幸せだと感じていますし、それがアスリートとしてのパフォーマンスに良い影響を及ぼしているのは確かです。

--卓球だけでなく、ほとんどのスポーツは競技者のジェンダーに関して男性/女性という2つのカテゴリーしか用意していません。この固定的なカテゴライズは、今後どのように変化していくべきだと考えますか?

LK 従来のカテゴライズは、多くの人にとって大切なものを定義する方法としては、あまりに安易で怠惰なものだと思いますし、それらのルールを決める人たちは、もっと注意深く慎重に考えるべきでしょう。もっともっと、このことが問われるようになってほしいですね。
 スポーツは女子と男子に分かれていますが、誰もそれに疑問を持っていません。トランスジェンダー反対者の主な「主張」である体力面の問題について、私は次のように考えています。シスジェンダーの女性でも、シスジェンダーの男性でも、ある人は他の人よりずっと強い(性差に関わらず、個人差はある)のです。
(※シスジェンダー=生まれ持った性別と心の性が一致しており、その性別に従って生きる人)
 確かに、スポーツにはそれぞれの競技の特徴があるので、これは非常に複雑なテーマであり、多くの研究が必要です。しかし、これまでのやり方を押し付けるのではなく、人々が批判的な目で物事を見るようになることは、非常に重要なことです。世界は変わり、物事は前に進んでいます。このテーマもそうであってほしいと思っています。

--今後の選手としての目標と、卓球界にどのように働きかけていきたいかを教えてください。

LK まずは、2023年のパンアメリカン競技大会の女子チームで金メダルを目指したいです。
 そして、2024年のパリオリンピックの出場権を獲得することです。そして、世界ランキングを上げ、スペインリーグでよい結果を残したいです。でも、大事なことは、日々進化し学んでいくことに喜びを感じ続けてプレーをすることだと思っています。
 また、少し先の話ですが、男子でプレーするつもりです。ただ、そこでの目標については、まだ何とも言えません。というのも、それは多くのことに左右されるからです。そして私は卓球界がより多様で包括的な方法について考え、議論し、実際にステップを踏み出せるように影響を与えていきたいと思っています。

卓球を始めた頃のルカと父のマサミさん


 世界的な潮流として、LGBTに代表されるような性自認の多様性への理解は、今後ますます広がっていくだろう。多様性が尊重されていく流れに異論をさし挟む余地はないが、ひとたび話が競技スポーツに及ぶと、解決すべき問題は少なくないのが現実だ。現行のルールの多くは、クマハラのようなケースを前提としていない場合がほとんどだからだ。
 だからこそ、このような困難に立ち向かうことを表明したルカ・クマハラの勇気に大きな賛辞を送りたい。クマハラが語ったように、ブラジル(ラテンアメリカ)の卓球選手であることがアスリートとして大きなディスアドバンテージをはらんでいる事実は改善されていってほしいが、ブラジルという自由な風土がクマハラの新しい生を後押ししたのだとすれば、彼がブラジルの卓球選手であることには大きな意味があると思う。
 さらに、今回のクマハラのようなアクションをきっかけに、卓球がスポーツの新時代を切り開く旗手になれば、卓球人としてこれに勝る喜びはない。

(まとめ=佐藤孝弘/取材協力=久保真道)

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