2025年11月30日、ユース世代の世界一を決める大会である世界ユース卓球選手権大会最終日。U19男子シングルス決勝は、ともに準決勝で中国選手を破って決勝に進出した日本選手2人によって争われた。この決勝は、くしくも同年の全日本卓球選手権大会ジュニアの部の決勝と同カードとなったが、今回は川上流星(星槎国際高校横浜)が威力抜群の両ハンドドライブで、全日本ジュニア王者の吉山和希(岡山リベッツ)の速攻を打ち破り、見事世界ユース王者の座を射止めた。
このインタビュー(前編)では、世界ユース王者となった川上に、大会に臨むにあたっての準備と目標、男子シングルス2回戦までの戦いぶりを振り返ってもらった。
トップ選手と練習する機会が多くなり
Tリーグでも結果が出たのが自信になった
----今大会には、どのような準備をして臨みましたか?
川上流星(以下、川上) 技術面で変えたことはあまりなくて、用具の調整をめちゃくちゃしました。元々自分はビスカリアをずっと使っていましたが、トップ選手と練習する機会が多くなって、打ち負けるというのを実感したので、そこでラケットを樊振東 SUPER ALCに変えたら、特殊素材が変わったおかげか打ち負けしづらくなって、Tリーグでも結果が出せました(11/8 木下マイスター東京 対 静岡ジェードでダブルスで勝利、11/14 木下マイスター東京 対 金沢ポートでシングルスで勝利)。
それが自信になって、世界ユースでもあそこまでの結果が出たんじゃないかと思っています。
----トップ選手と練習する機会が増えたというのはTリーグに参戦したためですか?
川上 そうですね。今年から木下マイスター東京に参加させてもらって、木下アカデミーよりもマイスターの方が練習時間が多いんじゃないかというくらい参加させてもらえたので、今回はその影響もあったんじゃないかと思います。
----練習場所は木下アカデミーと同じなのですか?
川上 練習場が2つあって、アカデミーが上の階で、マイスターが下の階で練習しています。
僕は吉山僚一選手(日本大学)と練習する機会が多かったですね。海外の選手だと、陳顥樺選手(香港)やパク・ガンヒョン選手(韓国)も一緒に練習する機会がありました。
そういう選手と練習すると、やっぱり同年代の選手やインターハイの試合などに比べて、球の質というか、スピードも回転量も全然違います。
アカデミーでは、練習相手の方からお願いされることが多いんですが、マイスターの選手とやるときは、大体自分の方から練習をお願いするパターンが多いのも普段と違います。
----プレーやボールの質以外でも、同世代の選手とトップ選手との違いを感じる部分はありますか?
川上 あいさつをしっかりしたり、人と接するときにちゃんと目を見て話すとか、そういう部分は見習いたいと思っています。
----世界ユースには具体的にどのような目標を立てて臨みましたか?
川上 一応、全種目優勝という目標を立ててがんばっていましたが、まさか本当にシングルスで優勝できると思っていなくて、1週間くらいたっても、まだ実感が湧いてこない状態で、試合動画を見返したりして、やっと優勝したんだなという実感が湧いてきたところです。
----目標としては掲げていても、優勝はそこまで現実的ではないと思っていたのでしょうか?
川上 結構厳しいドローで、準々決勝でフランスのコトン選手に勝ってやっとメダル決定という組み合わせだったので、まずしっかりそこまでがんばって、その試合をちゃんと乗り切るというのを森薗監督(森薗政崇ジュニアNT男子監督/BOBSON)や大森監督(大森隆弘木下アカデミー男子監督)と話しながらがんばりました。
シングルスのベンチはずっと大森監督が入ってくれて、いろいろな大会で入ってもらっているので、とても安心感がありました。
暗い会場に違和感があったが
試合が始まったら集中できた
----実際に大会に入って、プレーの調子はいかがでしたか?
川上 今回はめちゃくちゃ暗い会場で、台だけ明るいTリーグのカルッツかわさきみたいな感じで、観客席は真っ暗でした。初めてそういう会場で練習や試合をしたのですが、最初はとても違和感がありました。
でも、男子団体の1試合目でポーランドのレジムスキー選手と対戦したときには、違和感はなくなっていて、試合に勝つことだけに集中できました。
----観客はどれくらい入っていましたか?
川上 序盤は人は少なかったけど、最後のシングルス決勝はほとんど席が埋まっていました。
----競技は団体戦からでしたね。日本男子は初戦(準々決勝)でポーランドに3対0と快調な滑り出しでしたが、トーナメントの反対側の山では中国が準々決勝で中華台北に敗れるという波乱がありました。
川上 中国が負けた時は、和希くん(吉山和希)と「これで全然優勝あるよ」って話しました。
郭冠宏選手(中華台北)には自分も和希くんもどちらも負けていて、相性が悪かったので、中華台北対インドの準決勝はインドに勝ってほしいと思っていたら、実際にそうなって、決勝は3対0で勝つことができたので、よかったと思います。
----インドとの決勝には自信を持って臨めましたか?
川上 和希くんが2番で対戦した相手(プラディバディ)がバック面にツブ高に近い表ラバーを使っている異質型の選手で、自分がその選手に1回負けていましたが、和希くんは普通に勝ちました。
(準々決勝で中華台北に敗れた)中国ももちろん強かったのですが、去年に比べたらちょっと落ちていたかなという感じはします。
2回戦は大森監督のアドバイスがなかったら負けていた
----シングルスはどのようなスタートでした?
川上 1、2回戦の相手はどちらも対戦したことはないけど、知っている選手でした。
1回戦のティモシー選手は、1度大会で見かけたことがありましたが、その時よりも全然強くなっていて、映像を見たときよりも全然強かったので、大森監督と「何があるか分からないから、集中してがんばろう」という話はしていました。
3対0になった時に、次のゲームがすごく大事という話もしていましたが、やはり少し余裕が生まれてしまって1ゲーム落としてしまいましたが、勝ててよかったと思います。
----2回戦のチェ・ジウク(韓国)には0対2スタートという苦しい展開でした。
川上 この選手は左利きでサービスがとてもうまいのと、フォアハンドが強くて、そういう意識は持って試合に入りましたが、実際にやってみると想像の2倍、3倍くらいサービスが切れていて、1、2ゲーム目はほとんどレシーブミスで相手に得点を与えてしまって、3ゲーム目から大森監督に「フォア前のサービスはよく見てからしっかりフォアハンドで取った方がいい」というアドバイスをいただいて、そこから本当にレシーブができるようになって、3、4ゲーム目は簡単に取ることができました。
2対2に追い付いて、5ゲームは前半はよかったんですが、ゲームポイントを取ったところからまくられかけて、11-10から意地でがんばりましたが、大森監督のアドバイスがなかったら負けていた試合だと思います。
----それまではチキータ主体のレシーブでしたか?
川上 そうですね。自分は左利きの選手と対戦するときにはフォア前は基本的にチキータで入って、たまに来るバックロングにも注意していますが、この試合ではフォア前のチキータは捨てて、フォア前はフォアハンドで触ることを意識してやっていました。
フォア側はストップだけではなく、台から(2バウンドで)出てくるサービスも多かったので、ボールをゆっくり見て回転をかけて返すというのを意識していました。
----フォアハンドでレシーブする練習は普段からやっているのですか?
川上 そうですね。トップ選手と対戦するときは、よく大森監督からもそうしたアドバイスをいただいているので、その点もよかったと思います。
今回みたいにサービスがうまい選手とやるときはバックハンドでレシーブできないこともあるので、そういうときのために、タイミングを遅らせて、回転をしっかり変えて返すという練習は普段からしていますね。
----準々決勝(3回戦)は警戒していたF.コトンが勝ち上がってきました。
川上 コトン選手とはやったことはありませんでしたが、本当にめちゃくちゃ強いというのは知っていたので、1ゲーム目から向かっていくというのを大森監督と話していて、1ゲーム目は落としてしまいましたが、2ゲーム目、4ゲーム目はちゃんと声を出して、自分から攻めて取ることができたので、「全然勝てる」という話をベンチでしていました。
5ゲーム目を取られて2対3でベンチに戻った時に「これで負けたらしようがないから、プレッシャーを感じずに向かっていけ」というアドバイスのおかげで、そこから吹っ切れて両ハンドが振れるようになりました。
最終ゲームは4連続くらい自分のサービスエースが取れて、ラッキーもあって勝つことができました。
----コトンは実際に対戦してみて、どんなところが強い選手でしたか?
川上 フィーリングがあって、両ハンドのカウンターもすごくて、最初はどうやったら勝てるんだろうと考えていました。サービスを出しても思いきりチキータされて、ロングサービスを出しても思いきり回り込まれてフルスイングされて、どうしようもないという感じでしたが、最後は徹底してフォア前に下回転サービスとミドルにロングサービスの2種類のサービスで崩すことができました。
レシーブのときも自分からチキータを打ったり、ストップして4球目を自分から攻めるという意識でがんばりました。
---大森監督は川上選手にとってどのような存在ですか?
川上 めっちゃ信頼してます。試合中のアドバイスにはだいたい従っています。
(後編に続く)
(取材・まとめ=卓球レポート)




