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三十六計と卓球 〜第十二計 順手牽羊〜

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「日本の友人と世界の卓球界に『三十六計と卓球』を捧げる」 荘則棟

第十二計 順手牽羊 (ついでに羊も連れて行く)

敵が混乱または災難に遭っている際、意思が弱く計略がまだ固まっておらず、
弱点あるいは隙がある場合、そのチャンスを逃さず、勝利または利益を得ること。

 古代戦術の例

36kei-12-01.jpg 紀元前206年、楚と漢の両国が争っていたころ、項羽は義帝との「秦を倒し先に咸陽(かんよう)へ入った者が王となる」という約束を破り、関中を平定し秦を倒して咸陽に一番乗りした劉邦には、只の"漢王"を与えただけで、自分は天下の王を名乗り、親友たちを各地の諸侯に命じた。
 一方、斉国の田栄(でんえい)は王と名のつく肩書きを何一つ与えてもらえなかったため、怒りが爆発し、兵を率いて楚国打倒を目指した。

 彼は先ず斉国国王田都(でんと)を国から追い出し、膠東王(こうとうのおう)田市を殺し、斉国国王と自称した。
 その後、彭越(ほうえつ)と連合し済北王国安を倒し、三済を手中にした。
 項羽は自分が分割し、親友を各地の首領に命じた局面を保つため、大軍を率いて田栄攻略に出かけた。
 この時"漢王"劉邦は項羽が西の方まで手が回らないことを見計らい、韓信(かんしん)の明修桟道・暗波陳倉(表向きは桟道の修理に当り、裏からこっそり陳倉に渡る)作戦を用いて、成陽を治め、三秦を手中にした。
 漢王劉邦は向かうところ敵なしの如く、各地で勝利をおさめ、多くの文官と武将が劉邦のもとへ集まり、士気はますます高まった。
 劉邦は楚軍が東で包囲されている時期を見計らい、項羽の古巣彭城(ほうじょう)を攻め落としたのである。


卓球における応用例

 1964年中国卓球チームが日本を訪問した時の事である。
 中・日団体戦は白熱した熾烈な戦いとなった。両チームとも譲らず、3 対3 で第7試合に入った。日本チームの名将三木圭一選手と私との試合は双方一歩も引かず、1対1で第3ゲームを迎え19オールとなった。この試合の勝敗が中・日団体戦の勝敗を決める大事な試合であることは言うまでもない。当時、私は心の支えが無くなったように1点をとるのも難しく感じた。サービス権は三木選手にあり、場内は緊張感がみなぎっていた。私は脳裏で最も大事な時に相手の不意を突く作戦を考えていた。三木選手を見ると、落ち着きの中にも緊張した感じで、慎重に球を処理している。
 三木選手は私のパック側へ右下回転のサービスを出してきた。
 この時私は常識を捨て、パックハンドからラパー面で打つことをやめ、ラケットの裏の木の面で球を叩いた。この技は彼には過去一度も使ったことがなく、「カーン」と高く鳴り響く音も初めて聞くのであろう。
 彼は大変意外に思ったらしく、ヒョーヒョーとした見慣れない返球に一瞬の戸惑いが見られ、慌ててプッシュした球はやや高めとなった。私は思いきりスマッシュし、大事な時に冒険してー点を取り20-19でリードした。三木選手はこの乱れにより、気持ちが大波のように起伏している様子で、動作にも落ち着きがなくなり、その後も1点を失い、この試合を落としたのである。

感想

1.いろいろ方法で相手を混乱に陥れ、相手の小さなスキを見逃さず、攻勢を仕掛け勝利を勝ち取る。
2.何かを行なう場合あるいは行動する場合、事前によく考えスキが無いようにしなければならない。頑丈に見える大きな防波堤でも、小さなアリの巣によって壊れることがある。船が航海に出てから船体の修理をしても間に合わない。
3.敵を過少評価し警戒心を抱かないことは、自分自身に潜んでいる大きな敵である大波の時は全船員が用心して持ち場に着いているため、転覆の可能性は少ないが、波が静まってきたと一安心した頃、転覆する例が多い。車も同じで険しい山道では、慎重に運転しているため事故は少ないが、平坦な直線道路では注意力が散漫となり、事故が多くなる。
4.聡明な人は自分の力に合わせて物事を進めるが、愚者は一飛びで天まで登ろうとする。「勇敢」は腕っぷしが強いとか肉体的なことを言うのではなく、知識である。
5.「順手牽羊」には"順"(ついでに)と"牽"(連れて行く)の二つの部分があり、敵陣を混乱に陥れてこそ敵陣に入るチャンスが生まれ、ついでに何かをしてくることができる。しかし、計略のみでは駄目で、必ず実力が伴わなくてはならない。相手が疲れた羊のようになっていても、力がなければ"ついでに"連れてくることはできない。まして敵は往々にして狼や虎のように凶暴だからである。
6.敵のスキをうかがい弱点を突く。戦いにおいて小さな「利」を手に入れるか否かは、全局的に考えなければならない。小さな「利」を手に入れたものの大きな損をしたのでは元も子もない。
(翻訳=佐々木紘)
筆者紹介 荘則棟
chuan_s.jpg1940年8月25日生まれ。
1961-65年世界選手権男子シングルス、男子団体に3回連続優勝。65年は男子ダブルスも制し三冠王。1964-66年3年連続中国チャンピオン。
「右ペン表ソフトラバー攻撃型。前陣で機関銃のような両ハンドスマッシュを連発するプレーは、世界卓球史上これまで類をみない。
1961年の世界選手権北京大会で初めて荘則棟氏を見た。そのすさまじいまでの両ハンドの前陣速攻もさることながら、世界選手権初出場らしからぬ堂々とした王者の風格は立派であり、思わず敵ながら畏敬の念をおぼえたものだ。
1987年に日本人の敦子夫人と結婚。現在卓球を通じての日中友好と、『闖と創』などの著書を通じて、卓球理論の確立に力を注いでいる」(渋谷五郎)
本稿は卓球レポート1993年4月号に掲載されたものです。

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