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「卓球は血と魂だ」 第一章 三 日本卓球協会への投書

第一章    わが卓球の創造 -選手、役員時代-

三 日本卓球協会への投書


 昭和十三年(一九三八年)一月、日本卓球史上初めて、欧州の一流選手が二人日本にやってきた。卓球王国ハンガリーの代表的選手で、世界選手権単、複、混合複で数回の優勝記録をもつサバドスとケレン両選手であり、共に二十六才だった。

 これは下田沖にアメリカの軍艦がやってきた百余年前と同じような気持を日本中の卓球人に与えたものであろうと思っている。

 その時、中学五年生(十七才)の私はその試合を見たかったが、それが家庭の都合で許されないとわかると、試合終了後直ちに日本卓球協会へ手紙を送った。

 その手紙が、どういうわけか、そのまま日本卓球協会の会報に発表された。また東京(協会堂)で発行されていた「卓球月報」へも投書した。ここに原文のまま掲載させて頂くことにする。地方の熱烈な卓球ファンの声であり、日本卓球協会の指導を切望する一少年の声であった。

 (原文のまま)
 地方より見た「ハンガリー二選手来朝と日本卓球界への希望」
            山口県柳井商業 田舛彦介

 世界をリードする若き卓球日本の姿、それは期せずして洪国両選手来朝により燦として世界に明示された処である。ああ我等が待望の国際試合、全国百萬のファンの狂喜は如何ばかりであったであろう。


 第一戦に全敗した日本が奮然蹴起、第二戦には堂々強敵を粉砕好成績を挙げ得た事は今更愚輩の論ずべき事でもあるまい。この聖戦を離るる事数百里、遠隔の地に住む自分は不幸壮烈な初の国際試合を見逃して了った。唯新聞や雑誌を通じて熱心にその推移を見守っていた一人である。殆んどの記事は、吾が卓球界の躍進振り、門外不出四十年の苦心を賞め讃へてゐて、問題は唯グリップとラバーバットに限定された感がある。併し今まで見た記事の中で、最後の記事アサヒスポーツ鳥山一歩氏の観戦記は見逃せなかった。他の多くの記事の論調を離れて飽まで日本式卓球を攻撃し日本卓球マンの覚醒を促してゐる様でもある。即ち大阪に於ける観戦記に曰く「渡辺選手に勝った時のサバドスのプレーから見ると色々の事が考へられる。あの第二ゲームから第三ゲームにかけて頑張ったサバドスのショートはどうだったか。正に不退転の彼であり、難攻不落の世界第一堅壘(けんるい)ではなかったか。日本攻撃第一位の渡辺が打って打って打ち捲った時、サバドスは微笑一つだにせず、光頭湯気を立てて防戦し、ショートの完璧をつくして渡辺を降したではなかったか。
 ショート防衛の堅壘からいま少しく数多く左右にドロップショットを加味される時、日本式卓球は之を如何に攻撃し得るや否や予知せざる破綻が起るのであるまいかとさへ考へられる。それを知らないサバドスでもあるまい」と。之を知らない日本卓球でもあるまい。

 凡そ氏の論調は余りに試合を無視せる見解ではないかと思ふ。彼等のショートは日本選手では攻撃し得ないか、即ち彼等が勝利を目的として真劔(しんけん)にショートで対戦して来た時それを攻略出来ない日本選手であろうか。試合を見てゐない自分は茲(ここ)に於て自己の意見を発表する事の出来ないのを甚だ遺憾とするのであります。この詳細とグリップ、バットの研究は諸先輩の後述に待つとして、次に地方卓球人として中央卓球界への所望なるものを記して見ませう。

 前期の問題に於て遠隔の地にある我々幾多の卓球マンの疑問はここに集中されてゐるのではないだらうかと思ふ。氏の論調の是非は別として最後の京都、大阪のサヨナラ試合はどうだったか。早稲田の今選手あたり主力を缺いてゐるとは云えあの惨敗は如何に見るべきか。ここにも亦大きな疑問が起るのではなかろうか。之等は早速卓球界権威者の名論に依って全国に発表さるべきで、地方数十万ファンは衷心より之を期待して居りこれらの諸問題解決の後始めて存分の活躍の出来るものと信じて居ります。

 地方卓球人の多くが従来斯様な欠陥の為、堅持せる有望な素質を腐らし、折角大成出来なかったのも否めない事実であったでせう。地方の有望な若人が折角熱心に斯道に精進せんとしても、之を援助し善導する一流選手なく、加ふるに生命と頼む卓球研究誌さへ見当たらぬ有様であまつさへ月刊の卓球誌たるや御誌を除いて他に有効なる資料となるべきものはないと云ふも過言ではありますまい。

 自分は唯一の卓球誌、山田孝次郎氏の著による「卓球競技法」を資料に氏には非常な恩恵を賜ったが、未だ自分の研究が足らなかった。併しこの不成功の中には還境に恵まれなかった種々の悪条件が多分にあったのです。中央卓球界として地方より有為の卓球マンを輩出せしめる事も将来斯技の世界制覇を目指す以上大切な事ではありますまいか。

 自分は寧ろこれは現在の日本卓球界に与へられた重大なる使命であり、宿題ではないかと信じて居ります。さはあれ今や世界に冠たる日本卓球の実力や詢(まこと)に偉大で世界制覇の日の遠からざるを期し唯卓球日本に光栄あれと叫びたいのみであります。私は地方幾多有為の若人の将来を案ずる餘り率直なる愚見を披歴して中央卓球界の御援助を俟(ま)つ次第であります。


 (註)日本卓球協会会報や「卓球月報」は年数回の発行だった。この私の投書のとなりには、この日洪戦で最優秀の成績をあげた今孝(こんたかし)選手(早大)の手記が掲載されていた。初戦の一敗のみで、あと全勝した日本の実力第一人者の感想記もここに掲載する。

 頑健な肉体こそ勝利の鍵
                 今孝


 千軍万馬全欧を風靡し席捲し全世界の球界を睥睨(へいげい)する卓球王国として自他共に許すハンガリーの至宝サバドス、ケレンの二巨星が十三日に、あこがれの日本の土を踏んで発した第一声は「長い旅の後日本に来て日本人は自分達にとって親戚の様な気がする」と云ふ親しみのある言葉であった。

 それから東京、大阪、名古屋、京都、青森、仙臺と転戦し、千年の昔に別れたと云ふ兄弟との久しぶりの邂逅もわづか一ヶ月にして南阿に向けて又卓球行脚の旅を続けて行った。彼等が懐しの日本を去る時「私共はグッドバイと申しません。私共は最もよい言葉そしてその中に音楽的な響きを多分に持っているサヨナラを申したいのです。サヨナラ日本のお友達、サヨナラ…又オメにかかります」と彼等はどんなに日本に親しみを感じたことであろう。

 二人は実に朗らかなスポーツマンである。私がジャパニーズダンス「早稲田オケサ」を教へてやるとギコチない手振り足どりで練習し、手をたたく時には割れんばかりにたたいて痛いものだから後で赤くなっている手を見せて今さんグッドティーチャ―と云って喜んでゐた。サバドスは何か註文して持って来ると「どうもアリガト」と日本語で云ってすぐに「ドウイタシュマシテ」と云って相手を面喰はせたり、女中なんかに「あのね」と云って「ハハソデシュカハハ」等一人二役を演じて日本語を使ふのを楽しんでゐた。

 朗らかな両選手と私は、二月三日に上野駅で彼等が青森に行く時に最後の別れをしたのだった。発車間際私は「試験があるのでもうお目にかかれません。旅行の御成功と御健康を祈る」と申しますと、サバドスは淋しそうな顔をして堅く手を握って「それはお気の毒だ。世界選手権大会の時又會う。ではサヨナラ」と車中の人となったのであった。

 今彼等は南阿にゐて卓球日本の姿を紹介し、軈(やが)て世界の卓球マンに日本人は皆立派なスポーツマンだと紹介していただけることを思へばこの両選手の来朝は世界の檜舞台に飛躍せんとしてゐる日本卓球界の為に誠に意義深いことであった。

 私は彼等とは東京で二回大阪で一回名古屋で一回と、前後四回に亘って試合し、その前後四回を通じて彼等の長所も短所も十分に窺知し得た。第一戦において私は何故敗れたか、彼等のラバーバットを使用しそのシェークハンドグリップから繰出される激しい廻転を與へられたボールに対して、十分の研究準備が出来てゐなかったことが第一で、第二は精神力に缼(か)けてゐた点であった。私としてはレシーヴはカットで返したのでレシーブミスが殆んどなく、その点は醜態ではなかったが、ラバーバットのボールに対し余りに警戒し過ぎ、頭から日本選手を舐めてゐる彼等に精神的に圧倒されつづけであったことが指摘出来る。自分の思ふ様なゲームをやり得ない位残念なことはないし、又やれなかったことに対する悔恨ほど口惜しいものはない。

 そんなゲームは負けても負けた様な気がしないものである。負けた自分はこんな気持であった。静かに惨敗試合を顧みて何うしても負けた様な気がしなかったのである。

 技術的に果して劣ってゐたのか。否否決して負けてはゐなかったと反問した。結局試合が済んで散々考へ抜いた結果は次の試合にはきっと勝てる、精神力さへ缼けてゐなかったらと云ふ自信を持てる様になったのである。次の試合は接戦乍らストレートに屠り完全に自信をつけてしまったのである。この試合において十五日の惨敗にかんがみて新しく監督川上さんマネージャー大門さん、それに選手の諸兄がベンチで応援してゐてくれた事又策戦上で御指導下さった先輩の方々のお言葉がどんなに自分を精神的に助けて下さったか知れない。

 試合中は夢中だった。勝った瞬間ああよかった日本が勝った。日本万歳と心の中で叫んで胸が一杯だった。

 我が卓球界が国際式を採用してまだ日は浅いが我々は三十年鍛へた日本式卓球の真髄を発揮してキルク張ペンホルダーで完全にラバーバット、シェークハンドグリップを征服したのだ。

 グリップとバットについて見れば我々は最初重量三十匁以上あるゴム張バットとそれにシェークハンドグリップから繰出される魔球?に悩まされたのであったが、馴れるに従って幾らでも打てる様になったし彼等を破り得たのである。シェークハンド必ずしもペンホルダーに優るとは断言出来ない。寧ろ私は日本人には日本式に三十年の基礎をおくペンホルダーグリップの卓越性を認めたい。彼等に謂はせればペンホルダーグリップは或る程度迄伸びるがそれ以上には達しない。シェークハンドグリップは自然で科学的であり進歩性がある。日本選手は之を改めたら更に向上するだらうと言ってゐるが、之は自画自賛と見做したい。然し彼等の長所をあらゆる点に亘って研究し之を日本の卓球に加味すべきであろう。

 日本選手が世界選手権大会に出場する場合、我々の技術は決して彼等に劣ってゐないと信ずるが、先づ第一に頑健な身体を作ることに留意せねばならない。遠征し一日に多くの試合をやらねばならない場合身体の動きの多い日本選手を先づ悩ますものは疲労であるから「頑健な肉体こそ勝利の鍵」であろうと思ふのである。

 サバドスの世界における地位は現在も一流であるとは云へ最近は下り坂にあり、ケレンとても現在はサバドス以下のレベルにあるので、我々は彼等に勝ったとしても彼等をもって現在の世界第一人者の技術であると見做すのは早計で新進雲の如く輩出してゐる世界卓球界には新鋭オーストリアのベルグマンあり、卓球王国ハンガリーのバルナ依然健在加へて米国の進出は見逃すべからざる有様である時我々はこの試合で満足せず益々自重自愛卓球日本の為に努力しなければならないと思ふのである。そして日本から一日も早く世界選手権大会に選手を派遣せられんことを希望して止まないのである。

 

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