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「卓球は血と魂だ」 第二章 三 道場十五戒④

三 道場十五戒

ライバルは君の教師、卓球は人生の教師

 卓球は奥行きの深いスポーツであり、競技である。私は昭和十年ごろ、つくづくそれを感じ始めたが、その後にラバーが生れ、戦後はスポンジ活用の多様なラバーの時代となり、ますます卓球の間口も広くなった。その上に近年ラケットの両面異質ラバーの技術が加わって、さらにまた卓球競技は複雑となった。

 そうした経過は近年少し行きすぎではないか、という議論が続出して、「ラケットの両面のラバーは異色とする」新規則が、今年五月国際卓連総会で決議されたのであるが、コルク張り時代、一枚ラバー時代と比べれば、卓球はスピードの魅力が加わりダイナミックな大きなスポーツに発達してきたのである。

 用具の多様化という点を除いたとしても、卓球は技術の要素が深く、そこに欧米の強大な体力をもつ選手たちをアジアの人種が打ち破ることのできる卓球の特性もあるのである。

 さて、あなたの場合はどうだろう。誰の場合も、卓球を始めた時からすぐに、まわりにライバルができる。男子が女子選手に敗れて、くやしさのあまり頑張る場合もあるだろうが、とにかく強くなっていくごとに少しずつ意識するライバルは遠方に存在するようになる。試合になってよい所までいくとあいつにやられる。そのライバルAをどうやったら打ち負かせるのか。ライバルBに負けるのはなぜか。ライバルCは大した選手ではないのに、どうもやりにくい、という風に…。

 そんな状態は誰の場合も同じである。そして、その問題意識こそ、その選手にとって何にも代え難い「教師」となるのだ。そして、昨日まで勝てないと考えていた相手に、いつの日か勝つことがある。これが進歩した証拠である。

 ちょうど練習中に、むずかしい球を返球できた場合、あれはフロック、と思うことがあるが、それはフロックではない。一所懸命やっていた時に出るフロックは進歩の証明だ。そのフロックがだんだん本物になっていくのである。

 大切なことは、そのライバルをしっかり意識し、日夜その対策を考えつづける執念の力、それがどのくらい強く、ねばり強いか、という所だ。その課題との取り組み方、そして基礎的な自分の卓球の創造努力が進んでいく時に、どこかで相手のペースを自分のペースに奪って試合ができるようになるものであり、相手を制してしまうと、意外に弱かった相手に気付いて驚くこともあるものである。そのようにしてその選手がもう一段一段と強くなれば、ライバルは外国になる。その水準がそれだけ高くなったわけである。

 ライバルがあるからこそ、人間は伸びていくものであるのかもしれない。

 こうして次々と難関と闘かい、ハードルを乗りこえていく卓球選手生活はいろいろな場面で人生を教えてくれる。人生はもっとゆっくり、長い道のりであるが、怠けていれば、やがて落伍していくところは競技生活と同じだ。

 ただ選手の時代からチームをリードする時代に入れば、なお人間社会のこと、人の心をつかむ努力など、蔭の苦労を知り、これが発展して立派な人生のリーダーへの道がひらけてくるのである。

 私は少年時代に、ある人の教えを信奉した。スポーツの教えは三つのFだ、という言葉であった。ファイティングスピリット(闘志)、フェアプレー(正義)、フレンドシップ(友愛)である。選手時代、闘志なき選手はダメな選手と思った。だが、その闘志だけで、ルールを無視したり、友愛のかけらもない選手もどこかにいた。闘志と友愛を両立させるのは困難だなあ、と思った時もあった。

 しかし、その体験を積み重ねていくことが大切なことと思えるようになった。選手生活も人生もむずかしいと思うことがある。チームのために自分の行動を制約されることも起る時がある。しかし、それらのこともその選手、そのチームがより多く体験を積むことによって、三つのFの両立への道があることを知るようになるのではなかろうか。

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