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三十六計と卓球 ~第二十九計 樹上開花~

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「日本の友人と世界の卓球界に『三十六計と卓球』を捧げる」 荘則棟

第二十九計 樹上開花  樹の上に花を咲かせる

もともと花が咲かない樹にいろいろな細工を施して花が咲いているように見せかけ、
偽の現象によって真実を攪乱する。「虚」と「実」を併用し、
自分の力を大きく見せかけ、相反するものを成して敵を降伏させる。

 古代戦術の例

36kei-29-01.jpg 戦国時代(紀元前279年)、燕国(えんのくに)の将軍楽毅(がっき)は、大軍を率いて斉国(さいのくに)の既墨城(きぼくじょう)を包囲した。
 斉国の将軍田単(でんたん)は、町の軍民を組織して敵に立ち向かった。
 田単は離間の計(仲間割れの計)を用いて燕国王を罠(わな)にはめ、優秀な将軍楽毅を更迭させた。更に、燕国の将軍騎劫(きごう)を騙(だま)して、斉国の力を過小評価するようにさせた。
 この間に、田単は着々と戦いの準備を行った。城内の千頭余の牛を集め、大きな龍を描いた布をはおらせ、角には短刀を結び、尾には油を浸したワラ束を結びつけた。更に、5千名の精鋭な兵士を選び、待機させた。
 ある日の夜、田単は城壁に数十ヵ所のトンネルを開け、出撃を命じた。尾に火をつけられた千頭あまりの牛は、狂ったように燕軍兵営をめがけて走り出し、5千名の兵士がその後に続いた。城壁の上では、年寄りや子供達がドラなどの鳴り物を懸命に叩いた。
 四面八方で火の手が上がり、群衆の声が轟(とどろ)く中、驚いて目を覚ました燕軍は、火の龍が走り回り、向かうところ敵なしの光景を見て腰を抜かし、陣営は乱れ、戦闘能力を失ってしまった。
 斉軍は勝ちに乗じて追撃し、敵将騎劫を捕らえて首をはねた。
 これを機に、斉国各地の市民も槍や刀を手にして応戦した。軍民が一丸となり、破竹の勢いで、燕国に侵略されていた70余りの町を奪い返した。
 田単の樹上開花の計―火の牛の陣―は大成功を収め、斉国の危機を救ったのである。


卓球における応用例

 1961年、第26回世界選手権北京大会の男子団体戦において、中国チームとハンガリーチームは、熾烈(しれつ)な戦いを展開していた。
 徐寅生(シュウインシェン)選手対シド選手の一戦が始まった。
 シド選手は前回の世界選手権ドルトムント大会の準優勝者であり、その時の団体戦で中国の選手を破った主力メンバーであった。彼は背が高くて体格もよく、前陣カットでコーナーを突いてくる。球路は変化し、鬼斧(きふ)・神刀の威圧感を相手に与える選手であった。
 一方、"智多星(物知り博士)"のあだ名を持つ徐寅生選手は、試合前からシド選手の攻略法を練り上げていた。
 試合が始まると、徐寅生選手はサービスで強攻に攻め、嵐のようなスマッシュを相手に浴びせた。
 それに対し、シド選手は低いカットでコーナーを突き、反撃に出た。
 その時、徐寅生選手はドライブと同じ動作で、ラケットとボールが接する瞬時に"急加速・急制動・急還元"の「三急法」を用いてボールの下部を擦(こす)り、下回転のボールを返した。シド選手がこれをカットすると、ボールは台に吸収されたかのようにネットに引っかかった。
 また、徐寅生選手が「三急法」で素早くボールの中部を擦ると、今度はやや上回転を成し、シド選手がカットすると高い返球となり、徐寅生選手のスマッシュが待っていた。
 数回このようなことを繰り返した後、シド選手はボールを手にとって見たり、自分のラケットを見たりしたが謎は解けず、首をかしげ、ため息ばかりついていた。
 シド選手は更に慎重にカットしたのだが、返球がネットに引っかかったり高くなったりしてしまい、陣脚が乱れて0-2で敗北した。


感想

1.「虚」や偽装によって威勢を高め、更に「虚」を落とし穴に変えて、敵の主力を殲滅(せんめつ)するためのチャンスを作る。
2.「虚」を用いるにあたっては、形をそっくりにし、鬼が出没するが如(ごと)く、相手に奇妙な感じを与えてこそ、自分の気勢を上げることができる。
 「実」を基礎とし、「虚」を巧みに使うことが肝要である。
3.すべてを「虚」に頼ってはならないが、なくてはならないものでもある。
 適切に応用することが最も肝要である。
(翻訳=佐々木紘)
筆者紹介 荘則棟
chuan_s.jpg1940年8月25日生まれ。
1961-65年世界選手権男子シングルス、男子団体に3回連続優勝。65年は男子ダブルスも制し三冠王。1964-66年3年連続中国チャンピオン。
「右ペン表ソフトラバー攻撃型。前陣で機関銃のような両ハンドスマッシュを連発するプレーは、世界卓球史上これまで類をみない。
1961年の世界選手権北京大会で初めて荘則棟氏を見た。そのすさまじいまでの両ハンドの前陣速攻もさることながら、世界選手権初出場らしからぬ堂々とした王者の風格は立派であり、思わず敵ながら畏敬の念をおぼえたものだ。
1987年に日本人の敦子夫人と結婚。現在卓球を通じての日中友好と、『闖と創』などの著書を通じて、卓球理論の確立に力を注いでいる」(渋谷五郎)
本稿は卓球レポート1995年4月号に掲載されたものです。
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