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三十六計と卓球 ~第三十計 反客為主~

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「日本の友人と世界の卓球界に『三十六計と卓球』を捧げる」 荘則棟

第三十計 反客為主  客が逆に主となる

徐々に相手に近づき、段階的に相手の内部に潜り込んで、
更に中枢に入り、最後は自分が取って代わり、主となる。

 古代戦術の例

36kei-30-01.jpg 三国時代(紀元220年前後)、劉備(りゅうび)は西川(四川省西部)を手に入れようと考え、早速諸葛亮(しょかつりょう)の策を用いた。彼は、東川(四川省東部)の張魯(ちょうろ)が漢寧王(かんねいおう)を自称したがっていること、またその部下の名士張松(ちょうしょう)が貧欲で賄賂を受け取る人間であることを知っていた。
 劉備は部下に金銀財宝を持たせ、山道を通って漢中(かんちゅう)に入り、張松に金銀財宝を渡した。更に、劉備は張魯宛ての手紙に「私が劉璋(りゅうしょう)と西川を争うのは、貴殿の仇(あだ)を討つためです。仲間割れの話など信用しないでください。成功の暁には貴殿を漢寧王とします」と記した。劉備はこのような手法をもって張魯と張松が邪魔をしないようにし、西川制覇の敵を一つ減らした。劉備は西川に攻め入ると、一路益州(現四川省成都)へと兵を進めた。
 一方、西川の主である劉璋は、敵軍侵略の知らせを聞いて大変驚いた。しかし劉備の大軍が相手では勝ち目がなく、城門を閉めて不戦を宣告することも考えたが、百姓の安全を第一として投降することにした。劉璋が城門を開き、劉備の兵営に向うと、劉備は将兵を率いて出迎え、劉璋の手を握り締めると、泣きながら「私が信義を忘れたわけではない。周りの情勢からやむをえずこのようになってしまった」と話した。劉璋は王印・書類を劉備に渡し、並んで入城した。
 数日後、諸葛亮は劉備に「今は西川も平定し、二人の主を置くことはできない。よって劉璋を荊州(けいしゅう)に送れ」と言った。劉備は早速劉璋の歓送パーティーを開いた。劉璋は家財をまとめ、振威将軍の印を受け取り、妻子と召し使いを連れて荊州へ出発した。この日より劉備は反客為主(客が逆に主となる)し、西川の王となったのである。


卓球における応用例

 '55年、私は北京市第22回中学校シングルスチャンピオンになった。当時、私の夢は北京市少年宮の卓球チームに入ることであったが、残念ながら定員オーバーとなっており、入る余地はなかった。しかし、荘正芳(ジョアンジョンファン)コーチの情けにより、総当たり戦の成績をみてもらえることになった。幸い全勝し、破格の入門となった。
 '56年2月、私は初めて北京市少年チャンピオンになり、その後も2回同チャンピオンになった。
 '57年春、北京市成人大会に参加してシングルスで3位に入賞し、北京チームの一員として全国大会に参加する資格を得た。秋の全国選手権大会では章宝娣(ジャンパオテイ)と組んで混合ダブルスチャンピオンになった。
 '58年春には北京市シングルスチャンピオンを獲得。ハンガリー訪中チームとの試合では、ヨーロッパの準優勝者でハンガリーチャンピオンであるジェトウイ選手に勝ち、同年末、中国青年チームに合格した。
 '59年夏、第7回世界青年大会において、李富栄(リフーロン)選手と組んだ男子ダブルス、胡克明(フーカーミン)選手と組んだ混合ダブルスで優勝。同年10月、中国Bチームの一員として第5回スカンジナビア国際試合(現在のスウェーデンオープン)に参加し、男子団体、男子シングルス、男子ダブルスの三冠王及び混合ダブルス2位になった。
 帰国後中国ナショナルチームに昇格し、'61年4月に北京で開催された第26回、及び第27、28、31回世界選手権において男子団体優勝4回、男子シングルス優勝3回、男子ダブルス優勝1回を獲得。国内の全国大会では'64、'65、'66年男子シングルス三連覇を達成した。
 以上の如く、階段を上るように一歩一歩進むことが即ち介入・進入である。そして、もとの主力に取って代わり、新しい主力となる。このような過程も反客為主(客が逆に主となる)と言えるであろう。


感想

1.目標を定めた後は、順序を追って前進する。先ず介入・進入し、表面から中心部へと深く侵入していく。最大の努力を払い、客観的条件が与えてくれたチャンスを捉え、且つ大切にしながら、自分を発展させ、大きくする。
2.品物の価値を測る基準は値段である。速度を測る基準は時間である。スポーツ選手の基準は成績である。従って、優秀な成績を得るためには、情勢を認識し、精密な分析と計算を通じて己を知り、相手を知ることによって、的を目がけて正確に矢を放つことができる。時間を十分に利用し、自分を錬磨する。科学的な練習を行ない、一日も早く成長する。チャンスを最大限に生かし、与えられた任務を立派に達成し、最良の成績を勝ち取る。
3.自分の進歩が遅いことを誰かの"せい"にすることはよくない。日頃から自分を見つめ、チャンスを与えられたときに、それを完遂する才能と実力を備えているか否かを分析するべきである。花は二度開く日がくるが、人生の過ぎ去った時間は二度と戻らない。
(翻訳=佐々木紘)
筆者紹介 荘則棟
chuan_s.jpg1940年8月25日生まれ。
1961-65年世界選手権男子シングルス、男子団体に3回連続優勝。65年は男子ダブルスも制し三冠王。1964-66年3年連続中国チャンピオン。
「右ペン表ソフトラバー攻撃型。前陣で機関銃のような両ハンドスマッシュを連発するプレーは、世界卓球史上これまで類をみない。
1961年の世界選手権北京大会で初めて荘則棟氏を見た。そのすさまじいまでの両ハンドの前陣速攻もさることながら、世界選手権初出場らしからぬ堂々とした王者の風格は立派であり、思わず敵ながら畏敬の念をおぼえたものだ。
1987年に日本人の敦子夫人と結婚。現在卓球を通じての日中友好と、『闖と創』などの著書を通じて、卓球理論の確立に力を注いでいる」(渋谷五郎)
本稿は卓球レポート1995年5月号に掲載されたものです。
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