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三十六計と卓球 〜第三十一計 美人計〜

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「日本の友人と世界の卓球界に『三十六計と卓球』を捧げる」 荘則棟

第三十一計 美人計  美人の計

美人、金銭、物品、栄誉などの手段を用いて相手の思考を
麻痺、陶酔させ、安易贅沢な生活で闘志を衰退させる。
そして、識が消沈して内部分裂が誘発したときに、兵を出して攻める。

 古代戦術の例

36kei-31-01.jpg 東漢昭寧元年(紀元189年)、併州の董卓(とうたく)は兵を率いて洛陽を攻め落とすと、少帝(しょうてい)を廃して献帝(けんてい)を擁立し、朝廷の権限を独占した。
 曹操(そうそう)と袁紹(えんしょう)らは兵を挙げてこれに反対した。すると董卓は献帝をそそのかし、都を長安に移して、太師を自称した。
 横暴な董卓は、洛陽を離れる際に洛陽周辺数百キロを焼き払い、農業に大きな痛手を与えた。
 また、彼は気に入らない朝廷の文官、武官を一人ずつ殺した。この頃、彼は武将呂布(りょふ)を養子に取り、共謀して悪事を為していた。
 一方、董卓の部下王允(おういん)は、絶世の美女貂蟬(ちょうぜん)と組んで美人の計を用いることにした。
 彼女は、表向きには董卓に嫁(とつ)ぎ、裏では呂布とつるんだ。
 董・呂親子は貂蟬のことで焼きもちを焼いて争いが絶えず、紀元192年4月、董卓は養子呂布に殺された。


卓球における応用例

  世の中に完璧な人間など存在しない。従って、過酷なことを求めてはならない。
 '59年4月、西ドイツ(現・ドイツ)のドルトムントで開かれた第25回世界選手権大会において、容国団(ロンクオトゥアン)選手は数年来錬磨した結晶として、中華民族に第1号の男子シングルスチャンピオンのメダルをもたらした。容国団選手は大変喜んでいた。だがしかし「これで私の志は報われた」と記者団に話しているように、既に頂点に達したとのことで、以来あまり練習をしなくなり、サンダルをひっかけ、お茶をすすっている姿をよく見かけた。また、彼はこの頃派手に恋をしていた。
 祝賀会、花束、賛美、栄誉の前で、闘争心が薄れていったのである。
 しかし、現実は無情で、時には冷酷である。第26回世界選手権大会の男子シングルスで、容国団選手はブラジルの14歳のコスタ選手に2-3で敗れ、淘汰されて引退した。
 その後、彼は中国女子チームのコーチとなり、第26回世界選手権大会での失敗を教訓として、女子選手の養成に全力を注いだ。当時、中国女子チームは世界3位であったが、容国団コーチの英知と選手の努力により、'65年の第28回世界選手権大会において女子団体チャンピオンに輝いたのである。
 これらの事柄を戒めとして回顧するのは有益である。


感想

1."福は禍(わざわい)の拠(よ)りどころ"。これは一つの哲理である。
 英雄の中で、少なからぬ人は栄誉と実績の前で陶酔し、花束、祝賀会、賞賛、拍手、贅沢(ぜいたく)、横暴、貪欲(どんよく)、主観、愚かとなり失敗の泥沼にはまる。
2.志を持ち、計を立てることが肝要である。勝利がもたらすのは栄誉や栄光のみではない。その裏には往々にして精魂が狂うような毒酒が潜んでいる。
3.敵は二種類ある。一つは正面の敵で、もう一つは最も恐ろしい自分自身に潜んでいる欠点である。
 勝利にいつまでも酔っていると、自分の心を腐食している欠点がますます見えなくなり、自ら朽ちていく。あるいは敵に利用される。
4.安全な環境にいるときに、今後発生する可能性のある危険や困難を予測しておく。小さな欠点などは早めに是正する。戦闘の過程では、戦略など各方面において、いささかの見落としがあってもならない。
 小さな見落としやミリ単位の狂いは、戦闘が失敗する根源である。
5.強い相手に勝つことは容易ではない。しかし、自分の間違いや欠点に勝つことは更に難しい。
 従って、人から尊敬されたいなら、まず自尊してこそ、その後は他人からも尊敬される。また、侮辱されるときは、まず自辱しているのであり、そのために人からも侮辱されるのである。
(翻訳=佐々木紘)
筆者紹介 荘則棟
chuan_s.jpg1940年8月25日生まれ。
1961-65年世界選手権男子シングルス、男子団体に3回連続優勝。65年は男子ダブルスも制し三冠王。1964-66年3年連続中国チャンピオン。
「右ペン表ソフトラバー攻撃型。前陣で機関銃のような両ハンドスマッシュを連発するプレーは、世界卓球史上これまで類をみない。
1961年の世界選手権北京大会で初めて荘則棟氏を見た。そのすさまじいまでの両ハンドの前陣速攻もさることながら、世界選手権初出場らしからぬ堂々とした王者の風格は立派であり、思わず敵ながら畏敬の念をおぼえたものだ。
1987年に日本人の敦子夫人と結婚。現在卓球を通じての日中友好と、『闖と創』などの著書を通じて、卓球理論の確立に力を注いでいる」(渋谷五郎)
本稿は卓球レポート1995年6月号に掲載されたものです。

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