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「卓球は血と魂だ」 第三章 十一 心・技・体

第三章 卓球の炎をかかげて

十一 心・技・体

 「-三七回世界選手権東京大会、ロス・オリンピックのオープン、一九八八年オリンピックの本番と、いよいよ卓球も本格的スポーツの脚光を浴びてきました。この重要な時に肝心の選手達が他国と比較して弱い、ということは残念です。小生は心・技・体のうち、「心」にもっと重点をおいて、人間性をしっかり具有している選手を作らねば、と考えています。試合に勝てばすぐにそれを鼻にかける。そうして次の試合には負ける。こんなことでは宮本武蔵にはなれない。-」というお手紙を、南駿一先生からいただいた。輝かしい伝統を築いた京都のリーダーで、一九五七年世界選手権ストックホルム大会日本選手団長等で奮闘してこられた南先生は、いまご健康がすぐれないが、一九八八年ごろには卓球日本の再建を見たいもの…という切なる願いをお持ちである。

 心・技・体ということばがある。スポーツマンとして大成していく、スポーツ人道の基本として重視されてきた言葉。技術を競っている競技ではあるが、スポーツは上達するほど精神力・体力が重要となる。まして世界選手権のような大会になると、相手の水準が高い。高度な試練を乗りこえてきた強い相手に勝つためには、そして一二日間連日六~九試合を勝ち抜くためには、人に倍する強靭な体力と持久力が必要だ。そこに至るまで長い選手生活の苦難を乗りこえ、常に自己の力を高める努力を支えるもの、また昨日までの自己のカラを打ち破って進む原動力は自分との戦いに勝つ「心」である。

 人間がスポーツを志し、やり始めた時の技術力はゼロである。このゼロが中学・高校時代を進み、高いレベルへ挑戦していき、それが成功していく選手の中核をなすものは、錬磨された「心」である。あらゆる苦難に負けず、涙とアセを流しながら、より高い水準に挑戦努力していくところにスポーツ選手生活の意義や人生への教訓もある、といえるのではなかろうか。

 ところが世相が変り、自由で経済生活が豊かなよい時代となった日本の現実は、ともすれば高水準の選手づくりに別の困難があらわれ、卓球でも世界選手権大会における日本の成績は下がる一方だ。面白い話がある。伝統ある大学卓球部のある先輩が現役選手に、もっとがんばれ、と言ったに対し、ある現役は「先輩、僕は他人より余計に練習してまで強くなろうとは思いません。他人と同じ練習時間で強くなる方法があったら教えていただきたい」と答えたのだ。その先輩はあいた口がふさがらなかった、という。

 計算高く、そのくせ依頼心の強い現代っ子の問題、豊かな社会の沢山の誘惑の中での選手生活、という問題。それに指導者自身にも生活や家庭との問題などいろいろなハードルの多い社会でもある。ある指導者が皮肉を言った。「世界選手権に出なきゃあいいんですよ。世界と比べるからダメなんで、日本一の選手は毎年確実に出るんですからね」。

 “与えられた環境の中でベストをつくす”ことがスポーツマンの道。せっかく選んだ好きな道である。目の前にいる世界のスポーツマンとの競技を棄権する日本人で満足できるはずはあるまい。指導者の問題、組織力、支援対策などは別の課題だ。佐藤、荻村、田中、長谷川、伊藤、河野、小野選手、大川、江口、松崎、深津、森沢、小和田さんの先輩世界チャンピオンにつづく奮闘努力をする選手は誰と誰か。
(卓球レポート一九八二年一〇月号)

 

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