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「作戦あれこれ」第16回 "信念第一、試合第二"で逆転

 土壇場の逆転は真のいい試合といえない

 前号では、私の逆転劇のなかで一番思い出の深い世界選手権初出場のゴモスコフ(ソ連)戦で第3ゲーム13-19から8本連取したこと、そして「大きくリードされたときは思い切った作戦の転換と、相手以上の気力で信念を持ってやることが大切であること」を述べた。
 しかし、私のゴモスコフ戦のように13対19の土壇場から逆転する。また中には10対20から逆転する人もいるだろう。だが、土壇場になって思い切った作戦の転換をしてもよほど運もよくなければ逆転することはむずかしい。また逆転勝ちをしたとしてもその粘り強い精神力、技術はすばらしいが、作戦の転換が遅すぎ本当にいい試合とはいえない。技術的にも精神的にも肉体的にも相当に無理をするため、どうしても疲労が激しく、自分の力を出しきることができなくて損である。
 そこで今回は、朝鮮と団体決勝を争ったときに7番で朴信一選手に1対9の比較的はやいうちから逆転勝ちした試合を紹介することにした。ちょうど前回の続きになるが、この一戦も生涯忘れることのできない思い出の一戦である。

 1対9から勝つ決心をする

 その試合は'67年にストックホルムでおこなわれた第29回世界卓球選手権大会の団体決勝である。そして長谷川対朴の試合は、3対3というチームの勝敗の鍵を握る重大なヤマ場での対戦であった。
 試合前の私のコンディションは、連日の緊張した激しい試合の疲れと4番で金昌虎選手に負けたショックから、足、腰のマッサージを受けなければ出場できないほど体力が消耗していた。しかし試合で私の置かれている立場は、どう考えてみてもチームが勝つか負けるかの鍵を握る大事な一戦で、気を抜いたプレイは絶対に許されない。自分で自分を強く励ましながらコートに向かった。
 そのときのノートを見ると、次のようなことが書いてある。
 「レシーブ、3球目はフォアでまわり込んで積極的に攻めるんだ。思い切ってドライブをかけ、スマッシュチャンスのボールはネットの白線をめがける感じで自信を持って打つ。相手はバックハンドがうまい。(自分の振る)バックハンドは、バックにばかり打たずフォアにも打ちフォアドライブに結びつける。動きまわる。ロビングで拾われたときは、焦らず落ち着いて打ち込む」。
 精神面では、よほど勝ちたいという気持ちが強かったのだろう。「何も考えず教えてもらうつもりで思い切ってやる。檜舞台で、また団体戦の決勝戦に出られることはスポーツマンとして最高に幸せ者だ、必死でがんばるんだ」とある。また、前夜のミーティングで木村監督から「自分の持っている何年間の積み重ねた技術、精神、体力をすべてぶつける。自分の若さを出して思い切りぶつかる。動いて動いて最後の1本まで死に物狂いで動く」という話があった。その他、絶対に勝ってベンチに帰ってくるんだとか、相手をゆさぶるんだとか、ラクな気持ちでやるんだ...。など大会前に書いた試合に臨む心構えを、もう一度読みなおして試合に臨んだ。
 だが、試合のスタートはからだが重く自分でもびっくりするほど悪かった。動きが悪いために、レシーブ、3球目の思い切りが悪く、早い攻めで先手先手と攻められた。先手を取られているのでドライブに威力がない。スマッシュをしのぐロビングもボールに伸びがなく打ち抜かれることが多く、0対6、1対8とますます差がひろがる一方。彼の正確な攻撃に対して、思い切った攻撃をしようとするが、どうしようもない感じであった。
 そして1対9と8本の差をつけられてサービスが交替したときに踏ん切りがついた。大きく離されているのは、動きの悪さ、思い切りの悪さだけではない。気力、集中力不足からこのぐらいの返球でいいだろう、これぐらいのドライブで返せば勝てるだろう、という中途半端な気持ちがあったから大きく離されたんだ、チームが勝つためには自分が絶対に勝たなければならない。それには第1ゲームを落としてはいけない。絶対に勝つんだ、と。チームが勝つために真剣に考えた結果そういう答えが出た。相手と実力が同じぐらいの場合、第1ゲームを取られると第2ゲームは絶対に負けられない気持ちから技術、体力、気力、集中力をフルに使い果たす結果、第3ゲームになると不利になることが多いと考えたからだった。

 信念を持ち、作戦の転換をする

 第1ゲーム1対9。ここで勝つためには何よりもまず精神面を立て直さなければならないと考えた。
 「技術で負けるのは仕方ないが、気力では絶対に負けてはいけない。相手以上の気力を出す。元気を出す。勝敗にこだわるな。今までやってきた、技術、体力、精神すべてを出す。集中だ。1本1本死に物狂いでやる。冷静にやる」
と何度も自分に言いきかせ、信念をかためた。
 そのあと、思い切った作戦の転換をした≪レシーブ、3球目ともミスを恐れず思い切り動いて思い切り攻める。思い切り動いてドライブで攻める。ロング戦になったら自信を持つ。ストレート攻撃を多くする。攻められたときのロビングは体を使って少しでも威力のあるロビングにする。無理な攻撃をしない。粘り強く返す≫...という思い切った積極的な攻撃と、攻められたときには守りをしっかりやるように2つの作戦に切り変えた。またこの作戦以外に勝つ道はないと思い、これで負けたら仕方がないと思った。
 もちろん、これだけのことを1度に考えついて決心したのではない。0-5と離されたあたりから、危険だと感じいろいろ考えてはいたのである。ジワリ、ジワリくっついていくより、かえって前半で大きく離されたのが幸運であったかもしれない。1対9と離されたときにはっきり決心がついた。からだの力みが取れ、落ち着きを取りもどした。試合は、負けを恐れていると思い切ったプレイがなかなかできないが"人事を尽して天命を待つ"心境に近くなったのだろう。

 思い切った攻撃をして逆転に成功

 試合はあれよあれよという間に急転した。
 9対1と大きくリードした朴選手は、前の2試合に鍵本選手、河野選手に負けていたのでエースの汚名ばんかいと必死の形相。ゆるめず少しも変わらず積極的に攻めてきた。私も負けじと思い切って攻め、激しい打撃戦となった。彼は私の心境の変化と、作戦の変化が読めなかったようだ。思い切り動いて、一球一球威力のあるフォアハンドドライブやバックハンドを打っていた彼に打ちミスが続けて出た。また、先手を取られた私が台から離れてロビングで返球することが何度もあったが、それまでとちがって全身を使って相手コートに入ってからグーンと鋭く伸びるロビングの粘りに対する打ち込みミスも多くなった。とくにロビングの打ちミスをしたあと、相手の動揺したスキをついて思い切り攻めて3本連取した。ロビングで得点した次の1本は、負けてもともとという気楽さと、相手の少しの油断とが重なったのであろうか、ボールの威力の差、守備の差で優位に立ち、ついに12対12と激しく追い上げた。そのあと数本競り合って逆にリードした。
 彼はスマッシュに追い込んでも打ち抜けない焦りから、後半苦しい表情でベンチを振り向く回数が多くなった。私も苦しいだけにその表情が痛いほどよくわかった。一瞬、引き分けになればいいな、と思ったほどだ。しかしチームのことを考えると、すぐ試合の鬼に変わった。日本が勝つためには、第1ゲームを絶対に取らなければならないんだ。俺の方がもっともっと苦しい。絶対に油断するな。死に物狂いでやる。がんばれ。ゆるめるどころか、自分の置かれている立場から自信も手伝って信念と作戦がますます強固になり、それが21対16の結果になった。7本取られる間に21本取るというハイペースで逆転勝ちに成功し、第2ゲームにも勝ってストレート勝ちをした。
 そして8番で日本の鍵本選手が金昌虎選手を破り、日本は6年ぶり6度目の団体優勝を飾った。

 信念第一、作戦第二の考え方が成功

 同じレベルの選手同士の試合で、第1ゲームを1対9とリードされると、あきらめて第2ゲーム、第3ゲームにがんばる作戦をとる選手がいる。または、いつまでも勝敗にこだわって浮上できないままの選手がいる。
 私も朴選手との試合のとき、第2、第3ゲームをがんばるべきか、第1ゲームにかけるべきか、一瞬迷った。しかし、今までの経験で得たカンから第1ゲームを取る決心をしたのは大変良かった。体力、気力、集中力の差が出る問題もあるが、もし負けても第1ゲームを捨てずにがんばることによって、相手を少しでも疲れさすことができゲームオールになったときに集中力や気力、体力のハンディが少しでも縮まるからだ。また大事な試合になればなるほど精神的重圧から気力、集中力、粘りなどが強く要求されるからだ。
 私の場合は、もし第1ゲームをあきらめていたとしたら、1度ゆるんだ気力、集中力を締め直すのがむずかしいこと。爆発的な気力、集中力を第2ゲームに出す結果、次の第3ゲームに同じような気力、集中力を出すことがむずかしいことなどから、きっと負けていたと思う。
 1対9になったとき「チーム戦で勝つためには、第1ゲームを絶対に取らなければならない」と考えることができたことは幸運であった。そこから不動の信念、思い切った作戦の転換が生まれた。
 試合中に、このような考えに徹することはなかなかむずかしいもので、せっかく朴信一戦で貴重な体験をしたにもかかわらず、そのあとに行なわれた大学対抗でニガい思いを味わったことがある。すなわち、大学3年の大学対抗決勝戦で大正大学にかろうじで5対4で勝ったが、愛知工大が4対1とリードした6番で、木村選手の粘り強いドライブに対して絶対に勝つ、という信念もなくリードされてもいつかばんかいできるだろうという中途半端な気持ちで戦って0-2で負け、チームもあやうく負けるところだった。そういう苦い思い出がある。
 このようなことから、いましみじみ思うことは絶対に勝つという信念は、早く危機感を生み、その人を早く助ける、ということである。朴選手との試合は、まさしくそれであった。そしてまた、作戦を転換する前に強い信念をもったことが、困難な試合を逆転勝利に導いてくれた。リードをされてもしても、第1ゲームを取っても、自分を甘やかすことなく、最後の最後まで1本も無駄な打ち方をせず、油断もせずがんばれたのは、強い信念のおかげだとつくづく思う。ちょっとしたことのように思えるが、信念を持ってやることは非常に大切なことではないかと思う。



筆者紹介 長谷川信彦
hase.jpg1947年3月5日-2005年11月7日
1965年に史上最年少の18歳9カ月で全日本選手権大会男子シングルス優勝。1967年世界選手権ストックホルム大会では初出場で3冠(男子団体・男子 シングルス・混合ダブルス)に輝いた。男子団体に3回連続優勝。伊藤繁雄、河野満とともに1960〜70年代の日本の黄金時代を支えた。
運動能力が決して優れていたわけではなかった長谷川は、そのコンプレックスをバネに想像を絶する猛練習を行って世界一になった「努力の天才」である。
人差し指がバック面の中央付近にくる「1本差し」と呼ばれる独特のグリップから放つ"ジェットドライブ"や、ロビングからのカウンターバックハンドスマッシュなど、絵に描いたようなスーパープレーで観衆を魅了した。
本稿は卓球レポート1976年6月号に掲載されたものです。

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