1. 卓球レポート Top
  2. その他
  3. 卓球レポートアーカイブ
  4. 「作戦あれこれ」長谷川信彦
  5. 「作戦あれこれ」第44回 ショートをバックハンド強打で攻めた杉本戦

「作戦あれこれ」第44回 ショートをバックハンド強打で攻めた杉本戦

 藤原選手に勝った次の相手は、となりのコートで対戦中の杉本敬太郎選手(サンフレンド・東京、現三重県庁)対岩井正司(徳島市役所)の勝者。どちらも速攻型であった。
 私は、4回戦が早く終わったのですぐに観覧席へ上がって観戦した。だが、2人とも愛工大時代一緒によく練習したので手の内を知り尽くしており、5分間ぐらい観戦して以前とほとんど同じプレイ内容であるのを確認したあと、体育館の前に置いてある兄の乗用車の中で休憩した。観覧席は寒いし大勢いて空気がよごれている。いろんな人と出会って気を使ったり緊張感から解放されなかったりでゆっくりできない。体力のことを考えた場合、あきらかにマイナスだからだ。そのために、以前から全日本になると休憩室として兄の乗用車を利用していた。澄みきった青空を見ると、気持ちがラクになり疲れが取れる。気分もさっぱりする。杉本選手対岩井選手の試合結果は、次の試合の準備をするために終わり次第知らせてもらうことにした。それまでは休みながら反省をし、気がついたことをメモした。
 20分ぐらいしてから、杉本選手が3対2で勝ったという知らせを受けた。その瞬間、やっぱり杉本君かと思った。岩井選手も練習熱心な努力家だ。しかし杉本選手は、超がつくほど努力するまじめ人間で、学生時代は毎日のように夜中の1時、2時まで練習した練習の虫で社会人になってからも寸暇をみつけては練習をしていた。その努力が実って大学3年生の'69から3年連続全日本ベスト16、'71年の全日本社会人では3位入賞に輝いた。これぐらいまでやりこんだ選手は、全員といってよいほど精神力と体力が身についている。すると接戦になったとき崩れづらい。また岩井選手は試合巧者だが、惜しいことに一発で打ち抜く破壊力がない。そのために、杉本選手の固いショートに攻撃を阻まれ最後は杉本選手に打ち負けると思ったからだった。
 私は、その杉本選手と対戦するにあたり、「気を引き締めてかからないと危ないぞ。油断をしたら負ける」と思い気を引き締めた。それは、彼のショートが好調なときは壁のような正確さで返ってくることを知っていたからだ。'69年の全日本のとき、当時世界チャンピオンだった伊藤繁雄選手が彼のショートに振り回されて1ゲームを落とす思わぬ大苦戦をし、かなりの体力を消耗しペースを崩して3連勝を逃している。ドライブ選手にとってトーナメントでこのようなしつこいショートマンタイプとやるのはイヤなものだ。

 「同士討ちほどベストを尽くすんだ」

 それと、強く気を引き締めた理由がもう1つあった。よくないことであるが、自分の後輩となるとどうしも相手にも勝たせてやりたい、という気持ちになってヨーシがんばるぞ、という闘志がわかなかったからだった。そのために動きが鈍くなって粘りがなくなり作戦が単調になって負けるといったこともあったからだ。私は、対杉本戦を考えた前夜もそのことを強く反省した。そして「やはり誰と対戦するときでも相手を尊敬し、全力を尽くすことが真のスポーツマンである。中でも特に、一生懸命に努力している選手、または友人、仲間同士とやるときは、ふつうの選手とやる以上にベストを尽くすことが真のスポーツマンであり、礼儀である。そうすることによってお互いが切磋琢磨して伸びる」と思った。私は、国際試合の準決勝や決勝で同士討ちとなった場合、いつもこのような気持ちでやったが、この考え方が好結果につながった。また正しい考え方だと信念を持っていた。特に杉本選手はまじめな努力家で尊敬できる人間の1人。また、彼は私が徹夜練習したときにいつも練習相手になってくれ、私が強くなることができた恩人の1人ともいえる選手。それだけに、ふつうの選手以上にベストを尽くすことが礼儀だと考えた。
 そう考えながらノートに書いた心構えを車内で再び思いだしながら読み返した。
 心構え
 ・尊敬の念を常に忘れず、今まで積み重ねてきた心・技・体・智(作戦)すべてを出し、ベストを尽くす
 ・杉本選手以上の集中力、気力を出す
 ・絶対に粘り負けしない
 ・絶対に油断をしない
 ・ラクな気持ちでやる
 ・思い切ってやる
...などを特に読み返した。

 体力を考えラリーに持ち込んでから攻める作戦

 作戦は、次のように考えて立てた。
 彼は、前陣でのショートとフォア強打でゆさぶったのち、相手のからだの真ん中とバック側に打つのが得意。だがややパワー不足のために、フォア側に連続攻撃されると弱い。それとフォア側に寄せられた後、バックサイドにおおきくゆさぶられると弱い。コートの中央で待つことが多いことから、フォアミドルに速い攻撃をされると弱い、ストレート攻撃または変化をつけられたドライブや深く伸びるロングを打ち抜けない弱点があった。
 トーナメントでも勝ち抜く場合には、準決勝、決勝戦で最高調に持っていくことが必要である。攻撃1本やりでも彼のショートを打ち崩せないことはないと思ったが、それだと準決勝以後バテて体力が持たなくなり得策ではないと考えた。そこで、守りが強い自分の卓球を考え、杉本戦ではラリーに持ち込んで自分の城をしっかり築いてから攻撃する作戦をとることにした。つまり中陣から相手のボールを利用する。打たせてとるできるだけ体力を使わない作戦で臨むことにした。そして、ときどき相手の意表をつきサービスから3球目攻撃、レシーブ攻撃、ミドル攻撃、ストレート攻撃を混ぜて、彼のペースを狂わせることにした。
 そして忘れてならないのが、守備になったときの戦法である。彼とやって守りになったとき、すぐにコースをかえたり浅いロングを返したときは、彼に打ち崩されていた。そこでフォア側に打たれても、バック側に打たれてもクロスにできるだけ深くドライブをかけた曲がって伸びるロングで一貫してしのぐことにした。ストップされた場合も同じだ。そうしてスマッシュをしのいでおいて打ちあぐんだボールを前に出て反撃する作戦を立てた。
 彼との試合は、最終日の第三試合で、まだまだ体のすみずみまではほぐれていなかった。そこで試合前は、7動作のシャドープレイをして、からだのすみずみまで十分に暖めラケットが完全に振り切れるようになるまでウォーミングアップした。
 試合は今でもはっきり覚えているが一番端の第8コートで行なわれた。私は最後までベストを尽くすことを誓いながら彼と試合前の握手をした。

 相手に打たせたのを反撃する作戦が成功してストレートで勝つ

 私は、スタートから気合いを入れ集中して臨んだ。試合の立ち上がりから集中してスタートすることにはたくさんの利点がある。1番目としては、気合いと相手に「凡ミスもなくさすがだなあ」と思わせることで、自然のうちに威圧して固くさせる。2番目としては、スタートから気合いを入れて集中して臨むと集中力が最後まで持続でき、尻上がりに調子がでてくる。3番目としては、スタートから調子のいい選手は少なく好スタートが切りやすく、いっぺんに自分のペースに引きずり込める。4番目としては、早く自分の心・技・体の状態と作戦の欠点を見つけることができる。5番目としては、相手の動きがわかりやすく、相手に対する正確な判断ができる...などで、スタートから気合いを入れることの効果を細かく上げたらきりがない。
 この試合でもそれが出た。出足はいつものように、下切れのサービスとドライブ性ロングサービスを両サイドに出した。そしてドライブやバックハンドでゆさぶって相手の様子を見るつもりでいた。するとどうだろう。彼のレシーブは、あまりにも慎重になりすぎてからだの動きと振りが鈍くなっていたために威力がなかった。そこで、私は絶好のチャンスだと思い一転して攻撃に切り変えた。思い切ったドライブ攻撃でフォアサイドに攻めたあとバック側につないできたボールを両ハンドでバックサイドに攻める。また、レシーブになったときも慎重に出してくるサービスをフォアで回り込んで積極的に攻め、つないでくるボールをやはり前陣でフォアサイドに攻めた。そしてそこからバックサイドを攻めショートミスを誘う。実際にこのような理想的なパターンで7対3と好スタートを切った。攻撃に切り変えたのが成功したのだ。彼はおそらく前の試合が長引いて、気持ちと作戦の整理ができなかったのだろう。それにだいぶ固さが見られた。
 私は、彼の状態を見てチャンスだと思ってこのあともドライブとバックハンドで積極的に攻めていった。彼もドライブとショートで攻め思い切りスマッシュしはじめた。だが彼の攻撃には余裕がなかった。「守ってばかりいたのでは、ますます差が開くばかりだ。少々苦しいボールでも攻めていかなければならない」といった焦りからくる攻撃のように感じられた。
 こうなると攻めよう、攻めようという考え方オンリーになるために無防備になってしまい、レシーブからいきなり攻められたときや速い3球目攻撃をされたとき、またはストレート攻撃や強打を逆に攻め返されたときにすごく弱い。また、意識過剰からサービス、レシーブが甘くなるものである。またコースも単調になる。
 私は、豊富な試合経験からそのことをよく知っていたので、相手のサービス、レシーブをよく見きわめて、甘いサービス、レシーブは強ドライブでいきなり彼の弱点であるフォア、ミドル、ストレートへレシーブ攻撃した。ラリーに持ち込む戦術も忘れたわけではなかった。私が、彼と試合すると大体次のようなラリーになる。
 私がサービスを持った場合、短いサービスを出すとバック側へ短くレシーブしてくる。それをバックにツッツくと回り込んでバック側にドライブしてくる。次をショートでフォアへ返すと素早く動いて前陣でバック側もしくはミドルに攻めてくる。次をショートでバックへ返すとすかさずショートでバック攻めをしてくる。そして、一歩さがった私のバックハンド対彼のショートの打ち合いになる。このときに、私がバックハンドでショートに打ち勝てば楽に勝てる。
 反対にショートで攻められた後にフォアハンドでバックを攻められた場合は彼の方が有利だった。
 長いサービスを出したときは、フォアハンドで動いていきなりバックを攻められる。こちらがショートを使うとそのままバック攻めをされる。フォアで回り込むと、次をフォアに回されて飛びついてドライブで攻めるとバック側へ回されるという展開だった。レシーブのときもほぼ同じ展開になる。つまり6割~7割はバックハンド対ショートのラリーに入る形だった。
 そこで、絶対に有利な試合をするために、ショートをバックハンドでスマッシュできる位置までしっかり動くことにした。だがそれには、サービスからの3球目攻撃とレシーブからの4球目攻撃で攻め、甘いショートにさせなければならない。そこでサービスからの3球目、レシーブからの4球目を積極的に攻めた。彼もおそらく同じ考えでいたと思う。だが彼のサービス、レシーブが焦りからかいつもより甘かったために、私が終始先手を取れショートをバックハンドスマッシュが打てる位置で攻められた。すると彼は、ミドルをついてつまらせてチャンスを作ろうとした。だがこちらはその戦法をすでに読んでいたのでミドルに動いて再びスマッシュができる態勢でバックハンドで攻めた。そうして、いつでもバックハンドスマッシュができる態勢で攻めて、相手をバック側の守りの位置に寄せて、回り込んでバックサイドから打たせたフォアハンド強打をバックハンドでフォア側へ流し、次をフォアで回り込んでバックサイドを攻めたり、威力のないショートを回り込んでフォア側とミドルに攻めたり、バックハンドスマッシュ攻撃をしたりした。
 こうなると、彼は不得意な前中陣で、イチかバチかの攻撃をすることが多くなり攻撃ミスが出た。それと、彼が痛かったのはせっかくロビングまで追い込んだときにミスが出たことだ。私のエンドラインぎりぎりに入る曲がって伸びるハンドドライブを左右に打ち分けしようとしたがやはり焦りからかミスが多く、取ったり取られたりの互角のポイントでしかなかったことだ。私はこれでずいぶんとラクになり、1ゲーム目14本と先行。2ゲーム目もショートを崩した私が12本で勝ち2対0と順調にリードした。
 しかし、3ゲーム目は彼の見違えるような積極的なプッシュショートから回り込んでスマッシュ、ドライブからのスマッシュと、その後も粘り強いスマッシュ攻撃にラリーが20本以上続く激しい打撃戦になった。その徹底したバック攻めに対して私も粘り強く打ち返したが、一進一退の試合が続きくじけそうになった。だが、ストレートで勝たなければあとの試合に大きく影響すると思った私は気力をふりしぼって、終盤さかんにドライブ攻撃して先手、先手と攻めた。後陣に追い込まれたときは両ハンドのドライブで負けずに打ち返した。その積極的な攻撃と粘り強く打ち返す作戦が実を結び、ショートミス、スマッシュミスを誘って23対21の接戦で勝ち、結局3-0とストレート勝ちした。



筆者紹介 長谷川信彦
hase.jpg1947年3月5日-2005年11月7日
1965年に史上最年少の18歳9カ月で全日本選手権大会男子シングルス優勝。1967年世界選手権ストックホルム大会では初出場で3冠(男子団体・男子 シングルス・混合ダブルス)に輝いた。男子団体に3回連続優勝。伊藤繁雄、河野満とともに1960~70年代の日本の黄金時代を支えた。
運動能力が決して優れていたわけではなかった長谷川は、そのコンプレックスをバネに想像を絶する猛練習を行って世界一になった「努力の天才」である。
人差し指がバック面の中央付近にくる「1本差し」と呼ばれる独特のグリップから放つ"ジェットドライブ"や、ロビングからのカウンターバックハンドスマッシュなど、絵に描いたようなスーパープレーで観衆を魅了した。
本稿は卓球レポート1979年3月号に掲載されたものです。
\この記事をシェアする/

Rankingランキング

■その他の人気記事

NEW ARTICLE新着記事

■その他の新着記事