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「作戦あれこれ」第62回 目標を持ち練習計画をたてよう

"あけましておめでとうございます"
 「一年の計は元旦にあり」という格言があります。みなさん、今年の目標と計画をたてましたか?この新年号が届くのはまだ正月前なのでこれからという人もいると思いますが、もし元旦を過ぎたのにまだ1年の目標・計画をたてていない人は1日も早くたててください。目標と計画をたてることはとても大事なことです。
 計画のたて方や目標の決め方は、無理をすると苦痛になるもので長続きしません。いきなり多くやるのも身体の故障の原因になります。目標をいきなり高くしないことも大事ですよ。
 上手な計画のたて方というのは、まず昨年1年間(今年中に計画をたてる人は今年1年間)の試合の結果と、練習の内容、体力トレーニングの内容をじっくり振り返って今年やれそうな目標をはじめに持ちます。次に、その目標を達成するにはどのような技術をどのぐらい高めなければならないか、どのような筋力を高めなければならないかを考えます。また、どれくらいの精神力、集中力で練習、トレーニングをしなければならないかを考えるとさらに効果が上がるものです。
 私が中学のころは、試合の数が少なかったので目標がたてにくかったのですが、最近は試合が増えたので目標がたてやすいと思います。自分の1年間の試合結果、練習などを冷静に正しく振り返って正しい目標、正しい練習計画をたててください。
 今月号は新年号なので、技術的な話は少なくして私が一番伸びたときの目標、計画のたて方の話をします。以前に話した部分もありますが、目標の持ち方、練習計画のたて方などの参考にしていただきたいと思います。

 100mが18秒2、垂直飛び30㎝、規則的な左右動が3本しか続けられなかった

 私は恥かしい話ですが、中学1年生のとき100メートル全力疾走18秒2、垂直飛び30センチ、校内マラソン(6㎞)は900人中うしろから数えて10番前後という運動能力でした。非常に低かったんですね。やや優れていたのは飛び箱とボール投げ、懸垂ぐらいのものでした。中でも勇気さえあれば飛び越えることができる飛び箱はクラスの中でトップクラスで鈍足の長谷川がどうして飛び箱がうまいか、ずいぶん不思議がられました。
 卓球の腕前はどうかといいますと3年生のとき愛知県新人戦に2回出て、1回目は3回戦で負け、2回目は2回戦で負けました。練習でも1本ずつフォア、バックに動かしてもらう規則的な左右動のフットワークが苦手で、高校1年の夏の終わり頃までは3本しか続けられませんでした。それで何度も"精神棒"で尻をたたかれたり「こんなやさしいフットワークができないのか」とどなられました。私は最初、フットワークがスイスイできる人を見ると不思議でたまりませんでした。ショートも全然できませんでした。反面、フォアハンドロングとループドライブはまあまあで下手な相手にはあまり負けませんでした。しかし、ちょっと強いなと思う相手には勝てませんでした。昨年の7月に高校のOB会があったときに、当時3年生だった人に聞いたんですが根性だけはものすごくあったそうです。それはそうですね、6人の新入部員がいて3ヵ月後には私と深谷君の2人しか残らなかったくらいですから。どのぐらい練習が厳しかったか想像できると思います。

 全日本1回戦で負ける悔しさと全国大会の力を肌で知る

 私は10月に行なわれた全日本ジュニアの厳しい予選で幸運にも4名の代表の中に勝ち残ることができました。規則的な左右動ができるようになったため、実戦で動けるようになったのが良かったのだと思います。
 全日本の会場は、毎年行なわれていた浅草にある台東体育館でした。
 私は、1回戦だけは勝ちたいと思っていましたが、実力の差は明らかで初戦で負けました。その時の試合は今でもはっきりと覚えています。コートは14コートの一番端でした。このころはまだドライブの威力がなく、青森県代表のショートのうまい村上選手にいとも簡単にゆさぶられたのち、バックを攻められたり、ショートサービスから3球目攻撃されそれを打ち返すことができず、あれよあれよという間に離され完敗。トーナメントは1度負けたら終わりです。私は、もう試合に出られないことを思うと息がつまりそうな気がしました。あと一試合だけでいいからやりたかったのですが、そんなことは絶対に許されません。このあとは最上級生の馬場園先輩の応援をするかたわら、一流といわれている選手のプレーを真剣に勉強しました。

 全国大会で勝つには主戦武器とサービス、レシーブ、ネットプレーを一流にすることだ

 私はこの大会をずーっと見ているうちに、次のようなことを感じました。
全国大会で勝つには
 ①フットワークをよくすること
  どこへ打たれてもそれをフォアハンド(フォアハンド・ドライブ主戦だったため)で、どのコースへも緩急自在に打ち分けられなければならない。
 ②フォアハンド・ドライブに威力をつけること
  ドライブをかけても逆に攻められるようなドライブではダメ。一発ドライブをかけたら次も必ず攻撃ができるようなドライブでなければならない。
 ③レシーブから攻撃できるようにすること
  どんなサービスを出されても、半分以上は先手がとれるレシーブ力を身につけなければならない。とくに台上のサービスをフォアハンドで強く打てなければならない。
 ④威力のあるサービスを身につけること
  とくにドライブマンは、スピードのあるドライブ性ロングサービスと、相手がツッツキか軽くしか払えない強力な変化サービスをマスターし、そのサービスから確実に3球目攻撃ができなければならない
 ⑤ネットプレーをうまくすること
 これらのことは、以前に指導者から言われたり卓球レポートを読んで知っていたことですが、実際に肌で実感できたことは大変幸運でした。それと全国大会の1回戦で敗退することの辛さを肌で知ったことも幸運でした。大会が終わって名古屋へ帰る準急列車(このころはまだ新幹線がありませんでした)の中でも、1回戦で負けたことについて悔やまれて仕方ありませんでした。先輩や同僚の深谷君に何と言って試合の説明をしたらいいか、ずいぶん悩んだりしました。このように悩んでいるうちに「来年、京都で行なわれる全国高校選手権に絶対に愛知県代表になって出場し、そのときは絶対に1回戦で負けないぞ!できればランク(16位)に入りたい」と心に誓いました。これが私の生まれてはじめて持った目標でした。
 それまでは、将来一流プレーヤーになりたいとか、3年生のときにインターハイ団体優勝したい、と思っていましたが夢みたいな目標でどうしたらいいのかわからず、ただミスしないように練習している程度でした。
 しかし、適切な目標や身近な目標を持っても持つだけの人がいます。それではいけません。適切な目標を持ったならば、その目標を確実に達成するために練習内容、トレーニング内容、生活面を真剣に考えて実行に移すことです。目標を達成したら次の目標を立てるという、次々と目標を高くしていく人が強くなる人だと思います。

 はじめて自ら苦しい練習に立ち向かう

 私は、5日間ぶりに学校に帰ってから練習のやり方、心構えがガラリと変わりました。
 昼の練習は3時15分から5時30分。この時間は主に基本練習でしたが、先輩に自ら「フットワークお願いします」と希望しました。そしてこのとき、前陣でフォアハンド強打で"エイ、エイ"と声を出しながら「これでもかこれでもか」と打ち返しました。またこのとき、フットワークの効果を上げるためにどんなに大きく速く動かされたボールでもあきらめずに追いかけました。そのために何度も激しく転倒し、膝と肘をすりむき血が流れ出ました。それこそ血のにじむ激しい練習を繰り返しました。これは「ノータッチは卓球選手の恥だ」と思っていたからです。それとフォアハンド主戦の選手は「フットワークが卓球の命」と全日本に出場して肌でわかったからです。インターハイまで1日約1時間フットワーク練習をやりました。

 反省しながらやったことが大変よかった

 このときですが、ミスしたときもしなかったときも常に一本のラリーが終わるたびに反省してやったのが非常によかったんです。もし、何も反省しないでいたとしたらすごく平凡な選手に終わっていたのではないかと思います。よく、ミスすると次はいいボールを打とうとすぐに打つ人がいますがこれはよくないと思います。
 「ミスしたときはなぜミスしたか、よかったときはどこがよかったのか」を反省し、そして次のボールを心をこめて打ちはじめることが大切です。
 私は、もどりが遅かったときやボールの引きつけが悪かったとき、足の構えが悪かったときなどにミスすることが多かったので、もどりが遅かったときは「もどりを早くする」、ボールの引きつけが悪かったときは「しっかりひきつける」などと反省して打ちました。もちろん短時間のうちに反省しました。
 こうしてからは、苦しい練習もだんだん楽しくなり、時間がたつのも早くなりました。また、一日の練習成果があがり一日一日よくなっていくのが自分でもはっきりわかりました。

 ゲーム練習も課題をもってやる

 私が急に強くなった練習方法がもう一つあります。ゲーム練習のとき、課題を持ってやったことです。今でもはっきり印象に残っているのですが「今日はショートサービスをフォアハンドで積極的に攻める」という課題を持ったときは、少々ミスが出ても積極的に払っていきました。「今日はサービスから3球目をフォアで積極的に攻める」と思ったときは、レシーブのときと同じように少々ミスが出ても思い切り攻めていきました。ストレート攻撃の課題を持ったときは、ストレート攻撃を主体に攻めました。
 このように課題を持ってゲーム練習してから、フットワークのときと同じように楽しくなり、また一日の成果がよくわかり一日一日上達していくのが自分でもわかりました。

 自分でも信じられないインターハイ単3位

 このような練習を続けていくうちにみるみる強くなり、インターハイ愛知県予選通過、そして8月に京都の西京極体育館で行なわれた全国の精鋭が集まった本大会で、サービスからスピードのあるドライブ3球目攻撃とロング戦で得点を重ねて、あれよあれよという間に準決勝進出しました。そして、準決勝でも優勝候補No.1といわれていた関東No.1の石井選手にゲームオールの17対13でリードしていました。ところがここから勝てるかもしれないと勝敗を意識してしまったために思い切り攻撃できなくなり、8本連取されて大逆転負けしてしまいました。負けましたが、8ヵ月前の全日本では1回戦で負けたのに3位に入賞でき、自分でも信じられませんでした。

 適切な目標を持ったことがよかった

 これは、はじめに述べましたがまず第一に適切な目標を持ったことがよかったと思います。第二には目標を達成するには自分の技術をどこまで高めたらよいか、それにはどのような練習をしたらよいかを真剣に考えたことだと思います。そして第三には、真剣に考えたことを毎日実行したことだと思います。
 いくら走るのが遅くても、不器用でも、卓球が下手でも、適切な目標、練習計画をたて、一生懸命練習すれば必ず上達すると思います。たとえ上達しなかったとしても精神面が著しく成長すると思います。今年もまた1年間、適切な目標、練習計画をたててがんばってください。



筆者紹介 長谷川信彦
hase.jpg1947年3月5日-2005年11月7日
1965年に史上最年少の18歳9カ月で全日本選手権大会男子シングルス優勝。1967年世界選手権ストックホルム大会では初出場で3冠(男子団体・男子 シングルス・混合ダブルス)に輝いた。男子団体に3回連続優勝。伊藤繁雄、河野満とともに1960〜70年代の日本の黄金時代を支えた。
運動能力が決して優れていたわけではなかった長谷川は、そのコンプレックスをバネに想像を絶する猛練習を行って世界一になった「努力の天才」である。
人差し指がバック面の中央付近にくる「1本差し」と呼ばれる独特のグリップから放つ"ジェットドライブ"や、ロビングからのカウンターバックハンドスマッシュなど、絵に描いたようなスーパープレーで観衆を魅了した。
本稿は卓球レポート1981年1月号に掲載されたものです。

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