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「作戦あれこれ」第116回 表ソフト速攻型攻略法⑨ 対李振恃作戦

 前回までに、ドライブマンが強い表ソフト速攻型に勝つための基本としては、①まず戦術がいいこと ②技術面では、主戦武器のドライブ、スマッシュだけでなく、つなぎのショート、ツッツキ、バックロング等が正確であることと、速いフットワーク、素早い切りかえを身につけること ③精神面では、粘り強さ、勇猛心を苦しい練習で身につけること ④体力面では、最後までボールのスピードとフットワークのスピードが落ちないよう、トレーニングと猛練習で腕力、脚力、背筋力等を身につけること...等が大切だと述べた。
 また、試合の心構えとしては、試合前のウォーミングアップをしっかりやること等も大変重要なことだ。
 今述べた基本のどの一つが欠けても強い表ソフト速攻型に勝つことはむずかしい。表ソフトの強豪に勝とう、打倒中国を目指そうというのなら、そう思って努力しなくてはならない。
 さて、その基本の上にたって、ドライブマンが表ソフト速攻型に勝つためのまとめとして、私の実体験を数回にわたって述べてみたい。私が1974年第2回アジア選手権で中国の代表的な表ソフト速攻型の李振恃、許紹発選手と対戦するにあたって、たてた作戦、練習、トレーニング計画は、高い目標をもつ選手には必ず参考になる点がある、と考えるからだ。
 しかし、中学生、高校生の選手がいきなり私と同じような練習、トレーニングをするのは無理がある。国際的なレベルの強い表ソフト速攻型に勝つためには、どのくらいの練習やトレーニングが必要かを学び、それを目標に自分の現状に応じたトレーニング、練習をやってほしい。そうすれば、いつの日か私と同じ、いやそれ以上の猛練習もできるようになるに違いない。

 "寿命が縮まってもいいから中国に勝ちたい"

 第2回アジア選手権は、1974年の4月2日から15日まで新しく模様がえをした横浜文化体育館で行なわれた。
 この時、私は「この大会では、中国に絶対に負けたくない」という気持ちでいっぱいだった。というのは、その前年にユーゴであった第32回世界・サラエボ大会の対中国戦で、私が2敗(許紹発、李景光に敗れて1勝2敗)したため日本が4対5で敗れ、結局日本は1位スウェーデン、2位中国に次ぐ団体3位という不名誉な成績に終わってしまったからだ。強くなったスウェーデン、中国に紙一重の差で敗れたとはいえ、私は「日本が弱くなった」と卓球ファンに思われるのが非常に悔しかった。それだけに、この「アジア大会」そして、その直後に行なわれる世界4強リーグになんとしても優勝して"強い日本"を全国、世界にアピールしたいと強く念じていた。この時の気持ちを正直にいえば「たとえ寿命が縮まってもいいから中国には絶対勝ちたい」と思っていた。
 当時、日本と中国はほぼ互角の力であった。中国は60年代に日本に完勝した荘則棟、李富栄らが'71年名古屋、'73年サラエボを最後に引退し、かわって登場した'73年世界チャンピオンの郗恩庭、投げ上げサービスの名手の許紹発、中国No.1の速攻・李振恃('79年世界3位)、魔のバックサービスを持つ刁文元、速攻・王家麟のメンバー。5人中3人が本格派の表ソフト速攻型。そして2人がドライブマン。
 そして日本は、河野、田阪、今野の表ソフト速攻型と中国タイプの裏ソフト速攻型の井上、そして唯一のドライブマンが私だった。

 まず自分を知る

 そして、この目標をたてた後、次に、ではどうしたらよいかを考えた。中国の孫子の兵法書に「敵を知り、己を知れば百戦危うからず」という有名な言葉があるが、自分の力と相手の力を冷静に分析し、対策をねることはとても大切なことだ。
 この頃の私は、6度目の全日本選手権保持者であったが、すでに27歳となり、体力はやや衰え、ドライブの威力にもかげりが見えはじめていた。
 そこで私は自分の体力と筋力のアップをまず考え、中国の正確な速攻に勝つために、次のトレーニング計画をたてた。
①ランニング30~40分
②ダッシュ(30メートルを15~20本)
③サーキット・トレーニング
④ウエート・トレーニング
 この4つを最低週5日行なう決心をした。中でも勝利への意欲を燃やすため、私に一番良い方法であったランニングとパワーアップのためのバーベル(27.5㎏)によるウエート・トレーニングはしっかりやるよう心がけた。寒い日の早朝ランニングは辛かったが「中国の速攻を倒すには、気(気構え)・心・体とも完全に揃っていなければ勝てない。辛さに打ち勝ってこそ気・心・体が完全になる」と思い、ランニングを続けた。

 基本をチェックしながら打つ

 また、対中国戦の練習内容としては、
①左右動のフットワーク(正確に動く)。そのあと、ランダムのフットワーク(どんなボールもあきらめない)
②中陣でのフォア強打対フォア強打
③相手の前陣フォア強打に対する中陣ドライブ強打
④相手のフォア強打に対する中陣バックハンド強打
⑤フォア・バックの切りかえ
⑥ツッツキ打ちをしのいでから攻撃する練習
⑦投げ上げサービスに対するレシーブと4球目攻撃
⑧サービスからの3球目~5球目攻撃
⑨スマッシュをロビングでしのいでからの反撃
⑩表ソフト速攻型とのゲーム練習
 この時、得に気をつけたことは、中国の速攻と速いピッチで、左右前後に振り回されても凡ミスが出ないように、一球一球基本に正しく打っているかをチェックしながら打ったこと。特に戻りを速くするよう心がけたことだ。

 李振恃は投げ上げサービスがうまい

 4月2日の大会開始の数日前に日本チームと中国チームの交歓練習会が行なわれた。私は3人いる中国の速攻選手のうち、初めて日本と対戦する、中国No.1李振恃がどのようなプレーをするのかをまず知りたいと思い、彼と練習した。いろいろな練習をしたあと、お互いの同意で1ゲームだけ試合をした。結果は大接戦の末、やっと勝った。
 初めて見た李は左押し右打ち型の典型的な中国式前陣攻守型で投げ上げサービスとプッシュ、そしてプッシュから回り込んでのフォアハンドスマッシュが大変にうまかった。戦術的には、ミスをしても常に強気で攻めるタイプと見た。
 弱点としては、こちらが十分な体勢でフォアへドライブ攻撃をしたときは打ち返せないこと。投げ上げサービスを思い切りドライブ攻撃すれば得点につながること。そして、攻められてもロビングで何本も粘り強く返すとある程度のスマッシュミスが期待できること...などがわかった。敵を知ることができたのである。
 とはいえ、このことは同時に相手もこちらの弱点がわかったと考えなくてはいけない。私は試合後「もし李振恃が団体決勝に出てきたら、結局は投げ上げサービスに対するレシーブが勝敗の鍵を握っているな」と直感した。
 さて、両国は予想どおり勝ち上がり、私の第一の目標である中国との団体決勝戦は4月7日に行なわれた。私は1番と4番と8番に出場する一番重要なX、Y、ZのXに起用された。そしてトップで世界チャンピオンである郗恩庭のドライブを拾いまくり、まず1勝を上げた。そして次の4番でいよいよ李振恃と対戦することになった。



筆者紹介 長谷川信彦
hase.jpg1947年3月5日-2005年11月7日
1965年に史上最年少の18歳9カ月で全日本選手権大会男子シングルス優勝。1967年世界選手権ストックホルム大会では初出場で3冠(男子団体・男子 シングルス・混合ダブルス)に輝いた。男子団体に3回連続優勝。伊藤繁雄、河野満とともに1960〜70年代の日本の黄金時代を支えた。
運動能力が決して優れていたわけではなかった長谷川は、そのコンプレックスをバネに想像を絶する猛練習を行って世界一になった「努力の天才」である。
人差し指がバック面の中央付近にくる「1本差し」と呼ばれる独特のグリップから放つ"ジェットドライブ"や、ロビングからのカウンターバックハンドスマッシュなど、絵に描いたようなスーパープレーで観衆を魅了した。
本稿は卓球レポート1986年2月号に掲載されたものです。

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