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「作戦あれこれ」第117回 表ソフト速攻型攻略法⑩ レシーブが悪く李と許に敗れる

 前回に続き「対表ソフト速攻選手」の実戦例として、1974年第2回アジア選手権での私の体験を話そう。

 団体決勝の日

 4月7日。いよいよアジア選手権男子団体決勝の日がきた。
 日本チームの、河野、田阪、井上、今野、そして私の5選手は6時45分起床、7時からトレーニングを行なった。決勝戦は3時。目標としていた試合が近いだけにみんな朝から緊張ぎみだ。口数も少ない。私は軽いランニングの後、いつものように短距離ダッシュ10本、強打の素振り(フォア10×5、バック10×5)、フォア・バック強打の切り替え(20×5)を行ない、その後おそらく決勝戦で対戦するだろう許紹発、李振恃ら対中国前陣速攻選手用のシャドープレーを納得のいくまで繰り返した。目的は、中国戦で使う筋肉をすべて動かしておくことだった。

 フットワークとレシーブ練習

 団体決勝があるこの日、午前中の試合はなかった。そこで、午後からの試合にむけての調整練習を約1時間行なった。
 大会当日の調整練習では、私はフットワーク練習を重視する。動きが大きいためウォーミングアップ効果が高いのと、動きながら打球することで実戦に近い打球感をつかみ調子を上げやすいからだ。
 そこで、この日もまずフォアハンドとバックハンドの乱打で基本をチェックした後、さっそくフットワーク練習に取り組んだ。
 しかし、この日は体が思うように動かない。
 フットワーク練習は動きながら実戦に近い打球を連続するため、その日の調子がすぐわかる。が、この日はまるで体に鉛でも入っているかのような鈍さだ。凡ミスが多い。
 なぜ?と考えてみたら、どうも大会前からしっくりいかなかったグリップに原因があるようだ。グリップがしっくりいかないため、どうしても手首に力が入ってしまい打球感を狂わす。パン、とボールが飛ばず重い感じ。その重い感じと凡ミスで、体の動きのほうまで重くなってしまう...。
 しかし、調子が悪いからといって、練習しないとますます調子が悪くなる。ここは苦しくても「辛抱だ」と自分にいい聞かせ、フットワークを続けるしかない。そう考え、辛抱してランダムのフットワークを続けた。
 そして20分ほどフットワークを続けた後、フォア・バックの切り替え、許、李らを想定した投げ上げサービスに対するレシーブからのオール、サービス+3球目攻撃からのオール...等を行なった。しかし、ドライブは走らず、戻りが遅く、フォア・バックの切り替えも悪い。調子は一向に上がらなかった。
 オールの練習では、この時のアジア選手権のメンバーの代表に惜しくももれた表ソフト速攻の中村孝太郎選手(日産自動車、元全日本ベスト8)がトレーナーをひきうけてくれたのだが、ラリーになっても中村選手に押されぎみ。「これではとても中国の速攻に勝てない」と心の内は苦しかった。しかし、勝たなくてはならない。

 前半日本2-1とリード

 私の出番は先月号で述べたように、1番と4番と8番の重要なX、Y、ZのXに起用された。そしてトップで世界チャンピオンの郗恩庭のパワードライブを中後陣で拾いまくり、まず一勝を上げた。試合前に少しでも良いコンディションでトップの試合に臨もうと、試合直前まで練習を行なったことが良かった。
 この後、2番で河野選手がみごとな両ハンドの速攻で李のフォア強打+バックプッシュを破り、3番では許紹発のすばらしい投げ上げサービスに田阪選手が敗れたが、日本2-1のリードでいよいよ私と李の対戦となった。

 対李振恃作戦

 「李攻略が中国を破る鍵となる」と考えた私は、試合前の合同練習で李と練習試合をし、辛勝した。
 そして、その時次のような作戦をたてた。
[李が3球目ショートをフォアに回してきたケース]
①逆モーションでバックへ出してくる投げ上げサービスに対し、思い切って回り込み、両サイドとミドルを狙って強ドライブでレシーブから攻める
②バックへのドライブに対し、ショートでこちらのフォアへ回してきたら、フォアへ強ドライブで攻める
③そのボールをクロスに強打してきたら負けずにドライブ強打でフォアに打ち返す。ミドルにしのいできたら回り込み強ドライブで同じくフォアに攻める
④そのボールをバックにしのいできたら、よく引きつけ逆モーションで相手のバックへ強ドライブ攻撃、もしくはバックハンド強打し、コートについている李をコートから下げる。そして、相手が下がって攻め返してきたボールを中陣両ハンド攻撃し、最終的に李の弱点であるフォアサイドをつぶす
[李が3球目ショートをバックに回してきたケース]
①投げ上げサービスを回り込み強ドライブレシーブ
②李が3球目をバックにしのいできた場合は、まず得意のバックストレート逆モーションドライブ(またはスマッシュ)で、李のフォアサイドを一発で打ち抜くことを考える。しかし、逆にナックル性のショートでしのいできた場合は、よくひきつけ回転のかかったドライブでバックサイドに攻める
③李がこのドライブをフォアへ回してきた場合は、[李が3球目をフォアへショートで回してきたケース]と同じラリー展開にし、最終的にフォアサイドをつぶすようにする
―この2つのラリー展開を軸に、時おりフォアへ飛びついてストレートに強ドライブ攻撃する、などして李にフォア攻めを見抜かれないように工夫する
 これが、対李振恃用の基本的な作戦であった。

 レシーブが弱気になり、敗れる

 しかし、勝負というのは水ものである。これだけ李をマークし、しかも調子が悪いとはいえ世界チャンピオンの郗を破り「郗に勝ったんだ。この李との試合が日本が中国に勝つかどうかの鍵を握っている。絶対に勝つぞ!」と決心して戦ったのにもかかわらず、私は敗れた。
 敗因は、この作戦の基本的な土台である「レシーブから強気に攻める」ことができなかったことだ。そのため、その後のラリー展開で李を台から離すはずが全く逆になってしまった。勝敗を意識したため、バックへくる変化サービスと全く同じフォームから、パッとフォアへ出されるスピードロングサービスを恐れ、回り込みが中途半端になってしまった。そのため、回り込んでもループドライブでつないだり、ツッツキで返すところを李にスマッシュとドライブで狙い打たれた。2ゲーム目をとったとはいうものの、後手、後手に回り、李のナックルショートにも凡ミスがでて内容的には完敗だった。
 私のショックは大きく、8番でも絶好調の許の投げ上げサービスをレシーブから攻め込めず逆転負け。日本は3対5で中国に敗れた。「このままではいかん」。私は個人戦に雪辱を誓った。



筆者紹介 長谷川信彦
hase.jpg1947年3月5日-2005年11月7日
1965年に史上最年少の18歳9カ月で全日本選手権大会男子シングルス優勝。1967年世界選手権ストックホルム大会では初出場で3冠(男子団体・男子 シングルス・混合ダブルス)に輝いた。男子団体に3回連続優勝。伊藤繁雄、河野満とともに1960〜70年代の日本の黄金時代を支えた。
運動能力が決して優れていたわけではなかった長谷川は、そのコンプレックスをバネに想像を絶する猛練習を行って世界一になった「努力の天才」である。
人差し指がバック面の中央付近にくる「1本差し」と呼ばれる独特のグリップから放つ"ジェットドライブ"や、ロビングからのカウンターバックハンドスマッシュなど、絵に描いたようなスーパープレーで観衆を魅了した。
本稿は卓球レポート1986年3月号に掲載されたものです。

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