1. 卓球レポート Top
  2. その他
  3. コラム
  4. ヒロシ、感動をありがとう

ヒロシ、感動をありがとう

 全国中学校卓球大会(全中)3連覇、全国高校選手権大会(インターハイ)2年連続三冠王、全日本学生選手権大会(全日学)は楊玉華(東北福祉大)の4連覇の前にタイトルを逃したものの、平成元年関東学生リーグ戦では36勝3敗の最高成績で特別賞を受賞。松下浩二、松下雄二、伊藤誠らが揃う黄金世代でありながら、ひとり悠々と前人未到の記録を打ち立ててきた渋谷浩。1990年代における全日本選手権大会は、毎年のように彼が話題の中心にいて、多くのファンは「いつ渋谷が優勝するのか」に注目していた。

 ところが、渋谷の全日本優勝までの道のりは、取材する我々から見ても気が遠くなるほど長いものだった。以下に、1990年代における彼の全日本選手権大会の男子シングルスの成績を見てみよう。


1990年(平成2年度) ベスト8

1991年(平成3年度) 2位

1992年(平成4年度) ランク落ち

1993年(平成5年度) ベスト16

1994年(平成6年度) ベスト16

1995年(平成7年度) 2位

1996年(平成8年度) 2位

1997年(平成9年度) ベスト16

1998年(平成10年度) ベスト16

1999年(平成11年度) 優勝


 初めて全日本の決勝に進出してから優勝するまでの長い期間、本人の気持ちたるやいかばかりだったろう。全日本の前、調子が上がらなければマシンから打ち出されるボールを一人で黙々と打ち返し続けるのが渋谷流の調整方法だったと聞く。自らマシンのスイッチを切るまで繰り返し打ち出されるボールを、深夜になっても納得できるまで延々とカットで返球する練習は「誰にも迷惑をかけずに、ひたすら練習に没頭したい」という彼の周りへの気遣いと勝利への渇望の表れだったのかもしれない。


 この10年間で全日本の決勝に進むこと4度。初めての決勝では渡辺武弘(協和発酵・当時)に敗れ、2度目の決勝では、準決勝でカットキラー・岩崎清信(日産自動車・当時)がゲームオール19対18(当時は1ゲーム21点制)の場面で足をつるアクシデントの中で勝ち上がったものの、先にプロ宣言した松下浩二(グランプリ・当時)に敗れた。そして、翌年、3度目の決勝では前年に激闘を演じた岩崎に敗れた。

 親友でもある岩崎との決勝は、どちらが勝っても初優勝。しかも渋谷は3度目、岩崎は2度目の決勝進出だった。息をのむ熱戦の中、取材する我々の心にも痛みを伴うほど過酷な試合だったことを覚えている。

 過去の全日本決勝での敗戦から敗者の痛みを知る岩崎は、このとき自分が全日本チャンピオンになった喜びよりも、渋谷が3度目の決勝で敗れたことに対する気遣いから「渋谷に、かける言葉が見つからなかった」と振り返った。しかし、試合終了後に両者が握手する際、渋谷は先輩・岩崎の背中をポンポンッと叩いて一声をかけた。


「おめでとうございます」


 この一言に、勝った岩崎も救われたに違いない。実はこの大会の2週間前、渋谷は全日本に臨むプレッシャーから右半身に帯状疱疹が出て、痛みで眠れない日を送っていたのだった。


 その翌年からは、ソウルオリンピック男子ダブルス金メダリストとして名を馳せた偉関晴光(寿屋・当時)が帰化して全日本選手権大会に出場。渋谷は2年連続でカット攻略の名手・偉関に完敗し、ベスト16に沈んだ。

「もう渋谷は全日本チャンピオンになれないかもしれない」。

 1990年代の終わり頃の全日本会場には、そんなムードさえ漂っていた。


 ところが、平成11年(1999年)度大会、渋谷は4度目の全日本決勝で三たび偉関と対峙。「この試合で、自分の足がどうなろうとも構わない。足がボロボロになっても動きまくり、何とか勝機を見出そう」。渋谷のプレーからは、並々ならぬ覚悟が感じられた。丁寧なボール扱いによるラリー展開でありつつ卓球のダイナミズムを感じさせる死闘だった。そして、ついに渋谷は勝った!


 我らのヒーロー・渋谷浩は、32歳にしてようやく「全日本チャンピオン」の称号を手にした。初めての決勝進出から、実に8年越しの悲願。年を追うごとに全日本チャンピオンを狙える可能性が小さくなっていくプレッシャーの中で、想像を絶する重圧と向き合い続け、卓球にすべてをかけた執念の優勝だった。


 この当時、幣誌が誌面に付けた見出しは「ヒロシ、感動をありがとう。長かった全日本の頂点に立つ」だった。


「寡黙に努力を積み重ねた我慢の男が1999年の全日本選手権大会を制した。それまでの彼の悲運なまでの道のりは日本卓球界の多くのファンが知っている。だからこそ、この劇的な優勝に多く人が感動の涙を流した。涙を見せるのは恥ずかしいことじゃない。彼のプレーを見て、涙が出ない心の方が恥ずかしいんじゃないか......(卓球レポート2000年2月号)」


渋谷浩。その名は全日本選手権大会の記録に燦然と輝きを放ち続ける。(敬称略。編集長)


h29al0118-02-02.jpg「卓球レポート」2000年2月号

h29aj0118-02.jpg平成11年度全日本選手権大会決勝で渋谷が優勝を決めた瞬間



詳しい情報は日本卓球協会ホームページに掲載されています。
日本卓球協会:http:/www.jtta.or.jp
全日本卓球(特設サイト):http://www.japantabletennis.com/zennihon2018

卓レポ.comでは、連日の熱戦の模様をウェブサイトとツイッター(http://twitter.com/takurepo)で配信します。
全日本選手権大会の特集は卓球レポート3月号(2月20日発売号)に掲載します。


\この記事をシェアする/

Rankingランキング

■その他の人気記事

NEW ARTICLE新着記事

■その他の新着記事