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卓レポ名勝負セレクション 
インターハイ三連覇の軌跡 岸川聖也 Select.3

 卓球レポートは国内外のさまざまな大会へ足を運び、およそ半世紀にわたり、あまたの熱戦を映像に収め続けてきた。その膨大な映像ストックの中から、語り継がれるべき名勝負を厳選して紹介する「卓レポ名勝負セレクション」。  今シリーズは、岸川聖也(ファースト/当時 仙台育英高)の全国高等学校卓球選手権大会(以下、インターハイ)男子シングルス三連覇の軌跡を紹介している。  最後は、高木和卓(東京アート/当時 青森山田高)との平成17年度(2005年)インターハイ男子シングルス決勝をお届けしよう。

■ 観戦ガイド
「優勝したい気持ちを強く持った者が勝つ」
岸川がチャンレンジャー精神で三連覇の偉業に挑む!

 平成16年(2004年)の島根インターハイで男子シングルス二連覇を果たした岸川聖也は、日本人として前人未到の三連覇に挑むべく、平成17年度の千葉インターハイに臨んだ。
 千葉インターハイ男子シングルスは、岸川のほか、1年生の水谷隼(木下グループ/当時 青森山田高)、2年生の高木和卓と、2005年世界卓球選手権上海大会の日本代表選手が3人もエントリーするという史上まれに見るハイレベルなトーナメントになった。
 
 男子シングルスより先に行われた男子学校対抗決勝で、岸川が牽引する仙台育英高は青森山田高に敗れ、この種目の三連覇を逃していた。2番で岸川が水谷との対決に敗れたことが尾を引いた敗戦だったが、「団体決勝の前夜のミーティングで、橋津文彦監督は『完全燃焼して、それで負けたら仕方がない。最後は勝っても負けても笑顔で』と話してくださいました。持てる力は出せたので悔いはありません(卓球レポート2005年10月号より抜粋)」と語った通り、気持ちを切り替えて三連覇がかかる男子シングルスに挑んだ。

 岸川は、男子シングルス三連覇に臨む心境を、当時の卓球レポートの取材で次のように語っている。
「もちろん、優勝して3連覇したいです。ただ、自信を持ちすぎてもいけないと思っています。『絶対に優勝しなければいけない』という気持ちになると、プレッシャーに負けてしまうことがあります。だから、今は『3連覇にチャレンジする』という挑戦者の気持ちで大会に臨みたいと思っています。(中略)
 僕も含めて、水谷君や高木和君、横山君大矢君(いずれも青森山田高)などは、みんな同じくらいのレベルです。だから、誰が優勝してもおかしくないし、みんなに同じくらい優勝のチャンスがあると思います。
 その中で『誰が1番"優勝したい"という気持ちが強いか』『優勝するためにどれだけしっかり準備できるか』ということが勝敗を分けるポイントになるでしょう(卓球レポート2005年8月号より抜粋)」

 チャレンジャーとして三連覇に挑むと語った岸川は、その言葉通り、気負わず、そうかといって受け身にならない充実のプレーで、史上最高レベルのトーナメントを勝ち上がる。
 準々決勝で、この大会の台風の目になっていたカット主戦型の佐々木徹(文星芸大附属高)、準決勝で中国からの留学生の唐興賀(関西高)を競り合いながらも退けると、決勝へ勝ち上がった  三連覇をかけて決勝を争うのは、高木和だ。岸川や水谷と同じく将来を期待される逸材の一人であり、切れ味鋭い両ハンド攻撃を得意とし、勢いに乗ったら手がつけられない強さがある。

 岸川の三連覇の行方に会場中が固唾をのむ中、始まった男子シングルス決勝は、岸川が持ち前の安定した両ハンド攻守でポイントを重ね、2ゲームを連取して三連覇に王手をかける。しかし、決勝まで来て簡単に負けられない高木和も意地を見せ、鋭い攻めで2ゲームを返して勝負を振り出すに戻す。
 勝負の行方はがぜん分からなくなったが、「優勝したい気持ちを強く持った者が勝つ」と勝敗の分かれ目を語っていた岸川が、最終ゲームの序盤から気迫のプレーで高木和を引き離し、三連覇を手繰り寄せていく。
 岸川が成し遂げた、インターハイ史上のみならず、日本の卓球史上に燦然と輝く男子シングルス三連覇をしかと見届けてほしい。

 以降は余談。三連覇を決めた岸川の目には涙があふれるが、このときの心境を岸川は次のように語っている。
「自分では泣くと思っていませんでしたが、自然に涙が出ました。吉田安夫監督(青森山田高)のところに握手に行ったら、吉田監督が大泣きしていましたし、ベンチに戻ると橋津監督も泣いていました。チームメートは最後まで大声で応援してくれましたし、僕はとにかくみんなの気持ちがうれしくて......(卓球レポート2005年10月号より抜粋)」
 ベンチに入った橋津文彦監督(現 野田学園高監督)やチームメートの応援はもとより、敵将である吉田安夫監督の涙が、自身の涙腺がゆるむきっかけになったと明かした岸川。
 一方の吉田監督は、「岸川には若手の代表として日本を引っ張ってほしいのです。(中略)敵とか味方とかという気持ちではなく、岸川にはもっと大きな気持ちで接しています。(中略)シングルスの3連覇はなかなかできることではないから、よくがんばったなという気持ちで涙が出ました(卓球レポート2005年10月号より抜粋)」と、この時の心境を語っている。
 昨年逝去された吉田監督といえば、数々の名選手を育て上げた日本で比肩する者なき巨匠だ。高木和のベンチに入った吉田監督からすれば、自分の教え子たちのタイトルを阻む岸川は、なんとしても倒したい相手だったはずである。
 その敵将である吉田監督が思わず感涙したというエピソードは、吉田監督の卓球への深い愛情を伝えると同時に、偉業を成し遂げた岸川のすごさを雄弁に物語るものだろう。
(文中敬称略)

(文/動画=卓球レポート)

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